短篇小説「迷惑系ユーチューバーひろし」
〈迷惑系ユーチューバー〉のひろしが、今日も他人様にしっかり迷惑をかけている。他人に迷惑をかけているからこそ、彼はそう呼ばれているのだ。だがその肩書きが、本当に現在の彼にふさわしいのかどうかは誰にもわからない。そもそもそんな「系」など、つい最近までこの世に存在していなかったのだから。少なくとも、我が銀河系には。
そんな〈迷惑系ユーチューバー〉ひろしのもとへ、ある日一通のメールが届いた。
《迷惑を、かけてほしい人がいるんです》
件名にはそう書かれており、差出人のアカウント名には〈毒殺系フードコーディネーター〉と書いてあった。
人は会ってみないことにはわからない。それはいつもネット社会を主戦場にしているからこそ、ひろしが逆説的に身につけた信念であり処世術であった。たとえ相手の肩書きが、どんなに怖ろしいものであったとしても。それに何か怖い目に遭わされたら遭わされたで、その体験もまたネタになる。迷惑をかけられるというのは、むしろ〈迷惑系ユーチューバー〉としての新境地を切り拓くことになるかもしれない。「迷惑系」と語尾を濁しているからには、そこに「被迷惑」が含まれていたとてその体系内、つまりは許容範囲内であるのではないか。
待ちあわせ場所の喫茶店に現れたのは、赤と黒のドレスに身を包みサングラスをかけた、妖しげで美しい女。
「毒殺以外で、お願いしたいんです」
いきなりそう切り出したからには、毒殺ならばすでに自らの手でおこなったことがあると認めているようなものだ。しかしだとしたら、なんのためについている「系」なのか。それでは単なる〈毒殺フードコーディネーター〉であって、あいだに「系」の挟まる余地などないのではないか。それを言ったら、ひろしとてなんの余地もない、単なる〈迷惑ユーチューバー〉ではあるのだが。
「毒殺以上の迷惑となると、さすがに難しいですね」
ひろしはそう答えるしかなかった。彼は〈犯罪系ユーチューバー〉ではなく、あくまでも迷惑系、いわば迷惑止まりのユーチューバーでしかないのだから。
「毒殺以上じゃなくて、以外であればいいんです。それに毒殺が、必ずしも相手にとって迷惑とは限りませんから」
たしかにあっさり斃されてしまえば、迷惑を感じる暇などないのかもしれない。相手が迷惑をかけられて困っている表情をじっくり味わいたいというのならば、女の要求には筋が通っているようにも思われた。
「相手は夫で、元々は〈事故車系カーディーラー〉をしていました」
フロント部分に事故のダメージを負った自動車と、リア部分に傷を負った二台の自動車をそれぞれ前後半分に切り離したうえでドッキングさせることにより、フランケンシュタイン式に走行可能な一台を組み上げる。そんな中古車販売の手法を、ひろしも都市伝説レベルで耳にしたことはあった。ひろしの脳内には咄嗟に「エコ」や「SDGs」という地球にやさしいワードが浮かんだが、それはちょっと違うような気もした。
「ちなみに彼とは大学時代に知りあいました。そのころ彼は陸上部員で、〈脱靴系マラソンランナー〉でした」
「……だっくつけい?」
「靴が脱げる、ということです」
それはそうだろう。靴はいつか脱げる、というか一日に最低一回は脱ぐものだ。しかしそれが「マラソンランナー」の頭についたとなれば、もちろん玄関や昇降口ではなく、競技中に脱げたという話になるだろう。
そういえばひろしは、オリンピックのレース中に履いていた靴が脱げてしまった日本人選手のチャーミングな動画を、どこかで見たことがあるような気がした。しかしそこに「系」がつくとなれば、これはもう何度も、ともすれば毎度レースごとに靴が脱げていたということになりはしないか。この場合の「系」には、どことなく常連感が漂っているように思われる。
すると翻って自身の〈迷惑系ユーチューバー〉という肩書きに含まれる「系」にも、そのような繰り返しの意味が無意識のうちに乗っているということか。だとすればいよいよ、女は複数の相手を毒殺した経験のあるフードコーディネーターということになってくる。
「その男が大学を卒業後に、脱がすものを変えて〈脱穀系ファーマー〉になりました。それから私と結婚して〈溺愛系ハズバンド〉、そして子供が産まれると良き〈肩車系ファーザー〉になったのですが、やがて子供が肩車をせがまない年ごろになると、その淋しさから今度は他の女の前で服を脱ぐ〈浮気系ハズバンド〉になり〈違法系ギャンブラー〉にまで墜ちた挙げ句、ついに収監されました。とはいえさすがにここまで来ると、もはや脱ぐものもなくなって落ち着くかと思いきや、それがこのたびついに〈脱獄系プリズナー〉になったという一報が入ってきたのです」
ひろしは話を聴いているうちに、なにがなんだかすっかりわからなくなってしまった。いくらなんでも、これでは「系」が多すぎる。それでもっていったいぜんたいこの俺は、いったい何をつんつんすれば良いというのか。つんつんでないとしたら、ぐいぐい押したりがんがん叩いたりぶーぶー言ったりしてくれということなのか。この女は〈迷惑系ユーチューバー〉である自分に、いったい何をどうしてほしいのか。
「できれば彼を、昔の彼に戻してほしいんです」
「なるほど……そういうことならば」
後日、ひろしのユーチューブチャンネルに、見るからに暴力的な男の靴の踵を踏みつけようと何度もしつこくトライしては、そのたびに殴り返される動画がアップされた。十二度目のチャレンジにしてようやく踵を踏まれ左足の靴を脱がされた男の表情は、何かを思い出したように突如として和らぎ、そのまま拾った靴を履き直すこともなく立ち去ってゆくその背中は、なぜかそこはかとない哀愁を帯びていた。
当初の閲覧数こそ伸び悩んだものの、そのラストの余韻に着目した〈逆張り系コメンテーター〉が、《この手の迷惑系ユーチューバーの動画にしては、珍しく後味の悪くないコンテンツである。痛みに耐えてよく頑張った! 感動した!》といつかの首相のような感想をコメント欄に書き込むと、それが火種となっていつになく好意的な方向でこの動画はプチバズりを見せた。
それは思いがけずひろしにとって、〈脱・迷惑系ユーチューバー〉へと方向転換を図る大きなきっかけになるかと思われた。だが実際にその後ブレイクしたのは踏まれた男のほう、つまりこの日から〈脱獄系プリズナー〉改め〈脱靴系ユーチューバー〉と呼ばれることになった男のほうなのであった。彼はその後、あちらこちらに脱げた靴を証拠として残していったが、いつまでも捕まることはなかった。