短篇小説「弁解家族」
「なんだよ、観てたのに」
酔っぱらった末にソファーで横になっていた夫が、急に喋り出したので妻は驚いた。夫は咄嗟に妻の手からリモコンを取り返すと、テレビに向けた。
「観てたって、何を?」
再び叩き起こされた画面に映し出されていたのは、真夜中の通販番組であった。元グラビアアイドルが、台本どおりの大袈裟なリアクションで矯正下着を売っている。しかし実際に下着を着用しているモデルは、どうやら素人の体験者のようだ。通販番組に出るような段階のタレントは、もう絶対にそのような姿でテレビに出ることはないと決めている。妻にはそのように見えた。
「いやいや、そういうんじゃなくて」おかげで夫は、すっかり目が覚めてしまったらしい。「ついさっきまでは、スポーツニュースやってたんだよ」
「さっきって、もう二時間前とかでしょ。すっかり寝てたんだから」
「いや、俺は寝てないよ。なにしろ寝た憶えがないからな」それが冗談なのか本気なのかは、言った本人にもわからない。
「寝てたから憶えてないのよ。だいぶ酔ってるみたいだし。はい、お水飲んで」
「だから俺は酔ってないんだって。それより、冷蔵庫からビール持って来てくれよ」
翌日の夕方、学校から帰ってきた息子が、前日父が寝そべっていたそのソファーへ横になっていた。
「ほら、先に宿題やっちゃいなさいよ」
そう言われた息子は起き上がってスマホを母の手から取り返すと、急いでゲーム画面を呼び戻した。
「なんだよ、いまやろうと思ってたのに」そう言いつつ、息子は再び横になってしまう。
「思うだけなら誰でもできる!」母は腕を組んでその脇に立ち、一歩も譲る様子はなかった。「ほら、いつやるの? さあ、いつやるの?」そして例の答えを言わせるべく、何度もそう息子に問いかける。
「あれ、嘘だよ。できる子は、みんな言われる前にやってんの。あの先生だって、絶対そういうタイプでしょ」求めていた「でしょ」とは全然違う「でしょ」が返ってきて、母としては匙を投げるほかなかった。
そこで母は比喩ではなく、実際に匙を投げた。とはいえその投げた匙は、やはり本物のスプーンというわけにはいかなかった。それはハーゲンダッツのアイスクリームについているプラスチック製の、使い捨ての匙であった。それをねぶり尽くした末にごみ箱へ投げ捨てる様子を、息子はたしかに見ていた。
「母さん、ダイエットしてるんじゃなかったっけ?」
「え、そうよ。明日からね」
「なに? いつやるって?」
「だから明日からよ」
「はいはい。で、いつやるの?」
「い、今でしょ!」
その夜、自分ひとりだけこれ見よがしに夕飯を抜いてみせた母は、早めに夫を寝室へと追いやった。そして深夜のソファに腹を鳴らしてどてりと寝そべりながら、ダイエット器具を喧伝する通販番組を観ているところで、深い深い眠りに落ちた。