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短篇小説「言霊無双」

 目の前を歩いている人がずっと後ろを向いているように見えるのは、シンプルに彼女が後ろ向きな考えを持っているからだ。人は後ろ向きな思考を続けているあいだは、文字通り顔面が後ろを向いてしまうようになった。

 それに対して、先ほどから僕の右脇を歩いている男をどんなにジロジロ見つめてもこちらを振り向かないのは、おそらくは借金で首が回らないせいだろう。

 ネットやSNSの流行により、言葉によって人が傷つき時には命を失うほどまでに言葉の力が増大した。その結果、言葉は人の身体を容赦なくコントロールするようになった。

 それは古来「言霊」と呼ばれる言葉の霊力がかつてなく強まった結果だ。いまや言葉を口にする以前に、そのフレーズを思い浮かべたり言葉に類する行動を取るだけで、人はいとも簡単に言葉に支配されてしまう。

 後ろ向き女と首回らな男、この二人を組み合わせて、たとえば借金で首が回らない人が後ろ向きな考えに取り憑かれているのだとすれば、その順序次第で症状の度合いは変わってくるだろう。

 先に借金で首が回らない状態にある人が、あとから後ろ向きな考えを持つようになったのだとしたら、すでに首は回らない状態であるので顔が後ろ向きになることもない。

 だがあらかじめ後ろ向きな考えを持っている人が、後ろ向きなことを考えたまま借金で首が回らなくなったのだとしたら、後ろ向きになった顔は借金を返済しない限り元へは戻らなくなってしまうだろう。

 借金をする際には後ろ向きなことを考えるのが普通で、むしろそんな困難な状況下において前向きなことを考えることは至難の業であるから、借金をしている人は後ろを向いたまま歩いている人が多く事故に遭いやすいと言える。

 事故に遭えば保険が下りてちょうど借金を返せるかもしれない、というのは貸し主にとっては都合がいいが本人にとっては希望なのか絶望なのか。

 先日、バス停で高校時代の友人である味噌村と数年ぶりに出遭った。彼は松葉杖を持ってベンチに腰かけていた。

「おう、久しぶり。足、どうしたの?」

 僕は心配して声をかけた。

「ああ、これ? どうやら他人の揚げ足を取りすぎたみたいなんだ」

 よく見ると味噌村の右足を覆いつくしているのは、ギプスではなく衣だった。衣といっても衣服の衣ではなく、天麩羅や串揚げの。

 彼によると、ある朝目が覚めたらもうそうなっていたらしい。当初はサクサクの揚げたてであったに違いないが、今やすっかり薄汚れてしなびてしまっている。

 そういえば彼は学生時代から抜け目のない皮肉屋で、授業中にも教師の揚げ足を取って生徒らの笑いを取る代わりによく叱られていた。こうなった前日の夜も、会社の飲み会で上司の揚げ足を取りまくった記憶があるらしい。

 スーパーに寄って帰る途中、建物に沿って行列ができているのに気がついた。流行りのラーメン屋でも開店したのかなと思って行列の先頭を目で追うと、そこにあったのは意外にも眼科の看板であった。行列のできる眼科など聞いたことがない。私は気になって、最後尾に並んでいるお爺さんに訊いた。

「何に並んでるんですか?」

「孫が目に入ってしまったんだよ。ワシが孫を可愛がりすぎるあまり、『目に入れても痛くない』とか思っちまったばかりに」

 言われてみれば行列に並んでいるのは、人の良さそうなお爺さんお婆さんばかりだった。

 やがて診療を終えたらしいひとりのお爺さんが眼科から出てきた。お爺さんは目からポロポロと輝かしい鱗を地面に落としながら帰っていった。鱗ではなく孫が目から落ちる諺を早急に創る必要があるのかもしれない。

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