ハレの日に涙する私たち。
幸せと涙は伝染する。
昨日列席した結婚式で感じたことを一言でいうなら、これが一番ぴったりだ。
会場はとても素敵な空間だったし、振舞われた料理はどれも美味しかったし、サプライズなピアノ演奏もスピーチも感動的だった。
それらがあって尚、何より忘れられないのは、式の始まりに私の目を潤ませた儚さと切なさを含んだ温かい涙の感触だった。
幸せ溢れる空間において、涙は瞬く間に伝染していく。
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初めてのハレの場でのスピーチに私は思いのほか緊張していた。
幼稚園の運動会での「始めの言葉」にはじまり、中学の卒業式で詠んだ「送辞」、大学のサークルでバンマスをしていた時の「代表挨拶」、参加者100人を超えるビブリオバトルでの「司会」など、大勢の人の前に立って話すことは人並み以上に経験してきたはずなのに、体はとても正直だった。
初めての場所、初めての人、大切な友人の晴れ舞台、と三拍子きれいに揃えばそれは仕方のないことかもしれない。
さらに言えば、今回は選んでもらった期待に応えたい気持ちと、大切な友人のためにキッチリと良きものにしたい想いのダブルパンチだったので、自意識が膨らみ鼓動が加速していくのを私はただ呆然と感じることしかできなかった。
そんななか高鳴る鼓動とは裏腹に不思議と落ち着いていたのは、練習を繰り返しながらはなされた言葉が私の中に積み重なって「きっと、大丈夫」という自信に繋がっていたからなのだろう。
スピーチの途中、休符をひとつ挟んで会場の一人ひとりに届くようにゆっくりお腹から声を出した。
「『恋は奇跡。愛は意思。』というルミネの広告のコピーがあります。」
乾杯前のお腹ぺこぺこでデリシャスな料理のことで頭がいっぱいのなか(私が聞く側だったらそうなっている)何が心に残るかわからないけど、新郎新婦にぴったりなこの言葉だけでも持って帰ってもらえたら嬉しかった。
言葉はいつも想いを届けるのに少し足りないけれど、祝福の温かい空気に包まれた今日この場所では、いつもよりまっすぐ奥深くまで届けられた。
始まりのもらい泣きをした時、誤解を恐れずに言えば、私は私でありながら新郎でもあった。
「一流の漫画家が描くと、一枚のイラストから人物の意思や気持ちなどたくさんの情報を読み取れる。」と最近聞いたことがある。
そんな風に、あのときの私には、目に映る新郎の姿から彼の状況や気持ち、その気持ちに至る過去や想いがまざまざと本当に自分ごとのように感じられた(気がする)。
霊長類のなかで唯一ひとが持つ「想像する」という力は、その場の空気によって、人の気持ちの寒暖差に影響をうけて強くも弱くもなる。
大切で大好きなふたりを想う愛と祝福の気持ちしかないあの日のあの場所では、酸素や窒素と同じように空気のなかに「幸せ」が含まれていて、幸せを触媒として想像力は膨れ上がれ、涙は彼の目から私の目にやってきたのだ。
確かめようのないことだけど私はそうだと信じている。
それで充分じゃない?
真面目でおちゃめな新郎と、たおやかでキュートな新婦のおふたりさん、本当におめでとう。
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