恋愛と人間関係の、心地よいスタンスを探して。
「彼女できましたか?」
「できてないです。」
そう訊かれて、こう応えて。切なくなる。
彼女がほしい。それは間違いない、健全な20代男子のひとりとして色んな欲求があるから。
とりあえず映画館デートがしたい。水族館とかプラネタリウムとかも捨てがたい。ライブや、紅葉を見るのも素敵だなあ。
そんな秋が訪れるのを心待ちにしている。
おいしいもの食べて「おいしいね」と、きれいな景色を見て「きれいだね」と、好きな人と言いあえたなら。それはすごく素敵なことだと思う。
ふと、いま気がついた。
私は「彼女がほしい」というよりも「デートがしたい」んだ、ということに。
つまり、好きな人と感覚を共有して、関係を深めたいのだ。
***
少しまえに読んだ、最所あさみさんのnote「関係性のラベルと、グラデーション。」に、こう書いてあった。
「告白」というものがあまりよくわからない、という話をすると、いつも怪訝な顔をされる。私からしたら、友達に「私たち、今日から友達ね!」と約束したりしないのに、「今日から恋人ね!」という約束は絶対すべきものという風潮の方が、よっぽど不思議だなと思う。さっきまで「友達」として会っていた人が、急に「恋人」になるスピード感に、心がついていけなくなったりしないのだろうか。私にとって人との関係は、ラベルよりもグラデーションのような感覚に近い。
関係性をあらわすラベルはわかりやすくて良いけれど、それに縛られるのは窮屈だ。
恋人だから。友達だから。家族だから。
そういう理由でなにかをするのは、どこか本末転倒だと思う。
始まりの動機は、いつだって、「私がしたいからする」とか、「あなたに喜んで欲しいからする」という、まっすぐでシンプルなものがいい。
出会った場所や、生まれてきた順番に惑わされることなく。
「あなたとわたしの関係」を、深めていきたい。
「感情はめまぐるしく変化するから、いま伝えないと。いま思っている好きという気持ちを。」
そう思って、告白したことがある。
後悔はしていないけれど、「この告白は自分本位なものだったのかもしれない」と、思うようになった。
それより心惹かれるのは、こんな言葉。
伝える自分は緊張することなく自然体で。思わず口から溢れてしまった言葉が、相手の耳にそっと届く。相手は驚くことなく静かにうけとり、微笑む。
そんな告白が理想だ。
いままでと違うラベルを急に提示して、好きなひとを困惑させるようなことはしたくないから。
そんな理想を実現するために、まずは偏差値をあげよう、と思う秋分の夜。
(決してマネしないでください。2)