「意味」と「意義」
泉谷閑示先生の講義を受けているのだが、今日の講義(対話)のなかで、自分にとってかなり「刺さる」話があった。このことを、自分の雑感を中心に一人語りしていく。
その行いに「意味」があるかどうかは、事前にはわからない。
事前にわかるのであれば、それは「〜のため」に行われるものであり、「意義」はある。
「意味」と「意義」とは、自分の理解では、相反するものではない。
両者の違いは、「いまここ」にあるものと、「事前に」「〜のため」としてあるものとで、相違がある。
またその行いに「主体性」や「個性」があるかどうかも相違点となるだろう。主体性を伴えば、その行いに「意味」を見出すこともできるのだろう。
「『準備』ができたから、行う」のではない。
そのときは、とにかくも行ってみて、あとから振り返って、「意味」を見出す、とのこと。
自分はどうしても、「準備」をしてから…と考えがち。準備ができていないと、前に進めない、愚かな「完璧主義者」なのだ。
もちろん「準備」することの大切さは、いまでは十分わかっている。
しかし「いま」やらなければならないことは、「いま」やるのだ。
今日の対話で、このことを「直観」した。
そして、思い切って前に進み出した。
「いま」やるのだ。