「私人見知りなんです」は、ずるい?
私は人見知りなので、って自分から言うのはずるい。もったいない。逃げている。
とか、
人見知りなんです、って宣言することが壁をつくっているのに。それが人を遠ざけるのに。
って言葉をたまに聞く。
わかる。
でも私のような、人見知りのくせに相手に人見知りだと思われることが嫌な自意識過剰でプライドが高い人見知りにとって、初めにそう伝えることで、話しやすくなる場合もある。
もうどうしたって考えてしまう、自分に注がれている相手や周りからの視線。自意識過剰なだけで、誰も気にしていないってことはもちろんわかっている。でも自分にとってどうしても気になってしまうこの視線の見え方がもし変えられたなら、少し話しやすくなる。
人見知りって宣言をすることは、コミュニケーションをとる努力を怠っているだとか、相手に責任を丸投げしているようなものだとか、そういう意見があるのもわかる。
けれど、相手が人見知りだとわかっている場合の接し方と、知らない場合の接し方は、やはり少し違うと思う。
少なくとも私はそうだ。
知っていれば、こっちも普段より少し頑張って話そうって思うし、機嫌悪いのかな?なんて思わないし、逆に人見知りあるあるトークなんかで盛り上がれたりもするかもしれない。
でも知らなければ、この人無愛想だな。なんか冷たいな。全然目が合わないな。なんて思ってしまうかもしれない。
どうしても目で見えていることだけで判断してしまう。
私は、自分が緊張してうまく話せないことで、相手をこんなふうにほんの少し嫌な気持ちにさせてしまうのが嫌だから、その勘違いを発生させないように頑張ろうとする。でも大抵その気持ちに対して実力が伴わない。空回りもする。
だから、それを払拭する為に先回りして言うこともある。それはずるいことなのだろうか?
その言葉に頼って逃げてばかりいるのならだめだけれど、そのたった一言を最初に言うことでその後落ち着いて話せるのなら良いのではないか、その一言を言った後の態度が大切なのではないか、と思う。伝えたいことを伝えられた、という結果が大事な気がする。
だから、私もなるべく使わないようにしているけれど、こういう面倒くさい人間にとって「私人見知りなんです」は逃げではなくて、むしろコミュニケーションを諦めたくないから使う場合もあるってことを知って欲しいなと思いました。