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性格の悪さとプライドの高さが「いい人」を作り出す

「いい人そう」と言ってもらえることが多い。

たしかに話していて相手を緊張させてしまうことは少ない気がするし、知らない人にもよく道を聞かれる。

だが、「いい人そう」と言われる度に、多少の罪悪感も感じてしまうのだ。


私はたぶん「いい人」と思われる振る舞いを知っているだけだ。小さな頃からそれを見つけては自分の行動に取り入れてきた。その方がなんだか生きやすいなと、無意識にやっていたことだった。

逆にいうと、「いやな人」として振る舞うこともできると思うのだ。普段やらないように気をつけていることをやればいいのだから。

こんなことを考えていると、「いい人でいたい性格の悪いやつ」という表現が1番しっくりくる。

素でいい人っぽい人を見るとちょっとイラッとしてしまうのも性格の悪さが故だろう。ちなみに、自分よりもいい人を演じるのが上手な人には、もっとイラッとする (笑)


そんな自分を自覚しているはずなのに、その性格の悪さがバレるのは嫌なのだ。つまりプライドが高い。

多少の性格の悪さって面白い。私も、ちょっと毒のあるエンタメが好きだし、友達のひねくれた話にいつも笑ってしまう。

なのに自分がやるとなると、どうしたらいいのか分からなくなってしまうのだ。性格の悪さをそのまま出すのは勇気がいる。いっそ割り切れてしまえば、ポップに毒を吐けるんだろうか。


自分は欲張りだから、いい人でもいたいし、多少の性格の悪さも受け入れてもらいたい。

その前にまず、自分で性格の悪さを許せないといけない。このnoteはその第1歩だ。

性格の悪さに完全に蓋をすることなく、うまく昇華できるようになったらいいなあ。

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