追いかける程に遠ざかる手塚治虫の天才性と少年ジャンプに勝つ方法『チェイサー』
※本記事は、「マンガ新聞」にて過去に掲載されたレビューを転載したものです。(編集部)
【レビュアー/堀江貴文】
言わずと知れた、日本の近代漫画界を創った天才といえば手塚治虫だ。
大阪大学医学部卒の医学博士であり、漫画やアニメの世界だけにとどまらず、多岐に渡る分野に造詣が深いため、知識や経験が作品の深淵を形作っている。
この『チェイサー』という漫画は手塚治虫を追いかける、同世代の「架空」の漫画家の話だ。
彼を通じて手塚治虫の生き様を描いた、最もコージィ城倉らしい作品である。
物語は、まだ貸本がメジャーな漫画の読まれ方をしているなか、月刊誌が創刊されだした頃から始まる。
手塚治虫も初期は少年少女漫画をメインで描いていた。代表作『鉄腕アトム』などはその典型である。
そして、多数の雑誌を掛け持ちしながら驚くべきスピードとテクニックで超人的な働きをしていた。
その間、ずっと彼はトップランナーであり続けてきた。
アニメ界での手塚治虫。その功績と凋落。
そんな彼でもトップランナーから脱落する瞬間はやってくる。
そのターニングポイントになったのが「TVアニメの放送開始」と「週刊漫画誌の創刊」である。
驚くべきことに、手塚は多忙な連載漫画の合間を縫って、東映動画でアニメーターの仕事を開始。
来たるべきTVアニメーション時代に「自分の原作で、自分のアニメーションを作ろう」と考え、そのノウハウを習得していたのだという。
そして自身の手による連続アニメ放映のために、オリジナルの「リミテッドアニメーション」という手法を編み出して、漫画界に続いてアニメ界でも金字塔を打ち立てた。
しかし、多額の資本を必要とし、視聴率に一喜一憂するTVアニメで勝ち続けることは、さすがの天才・手塚治虫でも難しかった。創業した「虫プロダクション」の社長を辞任したのち、倒産に到る。
この時期での週刊誌の創刊のなかに、後年とんでもない漫画誌となる「週刊少年ジャンプ」があった。
読者によるアンケートシステムでヒット作が生まれ、その人気作が原作のTVアニメは大ブームなる。
手塚以外の作家による“お化け作品”が社会現象を起こすほどになると「手塚治虫は終わった」とまで言われるようになった。
少年ジャンプがあったから、『ブラック・ジャック』は誕生した。
秋田書店の壁村耐三編集長に「俺が死に水を取ってやる」と言われて始まった少年チャンピオンの連載『ブラック・ジャック』。
この作品で手塚は見事に復活する。
以降の大人向け漫画での活躍はご存知の通りだ。
手塚の驚異的な仕事のスピード、クオリティ、何よりも負けん気の強さが他の作家をまたもや圧倒してしまったのである。
本作の「架空の」主人公はずっとチェイサー(追う立場にあるもの)のままかと思われた。
しかし、週刊少年ジャンプの人気により、社会的ブームにまでなるヒット作を創り上げる。そして遂には、手塚治虫を一時追い越すことに成功する。
「あの手塚治虫を超えること」。
このエピソードは、むしろ手塚の天才性を表す象徴的な出来事として描かれている。
天才は再来するのか
天才性とは何か。
作詞家・プロデューサーの秋元康から私が言われた言葉がある。
「堀江、ピカソがなんで世界で一番注目される画家となったかわかるか?
それは多作だからだ。
他の画家に比べてピカソの作品は桁がひとつも二つも違う。
傑作は計算して描いても、必ずしも当たるものではない。
だからお前ももっと本を書け。全然足りない」。
秋元康はそれを実践して、傑作を生み出しているのは皆さんも広く知っているはずだ。
手塚治虫という作家は、最期まで多作のまま、数々の傑作を生み出し続けた。
その手塚のアンチテーゼが、週刊少年ジャンプである。
ジャンプの創作性とは、作家の作品数を絞りに絞って、上澄みだけをいただくシステムである。
このシステムがマジョリティとなった今、果たして手塚治虫のような稀代の天才は生まれてくるのだろうか。