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オタクが推しの作品世界に入り込んだ時の反応を覗いてみましょう『金色のマビノギオン ―アーサー王の妹姫―』

【レビュアー/bookish

物語好きなら一度は「あの物語の世界に入り込んだらどうするか」を考えたことがあるのではないでしょうか。

しかし実際に入り込んでしまうと、主人公らの人生を傍観するだけではない、それ以外の想像できないつらさも待ち構えている。

そんなことを突き付けられた作品が、現代人が「アーサー王物語」の世界に入り込む山田南平先生の『金色のマビノギオン ―アーサー王の妹姫―』(白泉社)。

物語世界に入り込むことの楽しさと厳しさが共存する展開となっています。

5世紀のイギリスへのタイムスリップ

『金色のマビノギオン』は3人の現代の高校生・たまき、真、広則が修学旅行中に、「アーサー王物語」の舞台である5世紀のイギリスへタイムスリップするところから物語が始まります。

しかもたまきが当時瀕死状態にあったアーサー自身を救うために、同じ魂を持つ存在として魔術師マーリンに召喚されたことで、否応なく物語に巻き込まれていきます。

興味深いのは3人のアーサー王物語の世界の中へのなじみ方です。

たまきと広則が当初警戒するのに対し、アーサー王物語オタクの真はとにかく自分が親しんでいた物語の登場人物が実在することが楽しくて仕方なく、興奮を隠せません。

好きな世界に飛び込むことができたという点で真は読者であるオタクの代理人ともいえ、彼女の語りは読者に対する世界観の説明にもなっています。

異なる価値観とのぶつかり合いが生むドラマ

真の物語での展開上の立ち位置や心情の変化は、オタクが自分の好きな世界に飛び込んだ時のものに近いのかもしれません。

魔術師マーリンに憧れ弟子入りする真ですが、人間離れしているマーリンの考えに徐々についていけなくなります。

魔術師であり未来を見る力を持つマーリンは、真とともに現代から来た広則の手が切り落とされても「死ななければいい」と思う人。傷ついてほしくないと願う真の考えとはかけ離れています。

その作品の世界のオタクであればあるほど、もしその世界に入り込んだ瞬間は楽しいし、好きなキャラクターに出会えたことに興奮するでしょう。

『金色のマビノギオン』でも、アーサーの周りにいる騎士らは死や戦いに対する考え方がたまきら現代人と違うことを除けば、紳士的で気のいい人たち。たまきとアーサーの関係やマーリンからの指示があったとしても、突然現れた3人にも気持ちよく接し、仲間に入れてくれます。

たまきや広則はそれぞれアーサーやその周りの人々と関係を深め、そして自分にできることを探していく。

その中で真だけがマーリンらとの埋められない溝を実感しながら、付き合っていかなければいけないのです。

もし読者がこの物語の世界にいたならどのような関係を築けるでしょうか。

非常に残酷でストレスのかかるつきあいを真は迫られていますが、作品としてはこうした真とたまきらとの差異が、物語を読み応えあるものにしています。

『金色のマビノギオン』のような異世界トリップものを読む醍醐味のひとつは、このような「現代の知識を持って、違う世界に飛び込み、生き抜いていくときの葛藤」に生まれるドラマにあります。

物語の展開上、どうやら『金色のマビノギオン』では大規模な戦争は不可避のよう。そもそもたまきら3人が現代に戻れるのかどうかもはっきりしません。

アーサー王物語そのものと、そこに紛れ込んだ3人の若者の物語を、可能ならば最後まで楽しみたいと思います。