この漫画は『女の子が死ぬ話』です。
※本記事は、「マンガ新聞」にて過去に掲載されたレビューを転載したものです。(編集部)
【レビュアー/工藤啓】
明日が来ると信じて疑わない僕らは、どんな夢とともに瞼を閉じるのだろうか。
人生はいつか終わる。でも、それが「いつ」なのか誰にもわからない。限られた時間を精一杯生きようと胸に刻みながらも、その限定性が把握できないことから、僕らは何となく「まだしばらくは大丈夫だろう」という根拠のない未来を信じることができる。
『女の子が死ぬ話』は、「きれいに死ぬ」ために強くあり続けた少女の話である。20歳まで生きられないことを知りながら生きてきた少女に余命いくばくもないことが告げられた。高校入学前の出来事だった。
大きな目、きれいな髪、小柄で真っ白な肌の瀬戸遥は、誰からも一目置かれる「きれいな」少女。見られていることには慣れている、とさらりと言ってのけてしまう少女が背負っていることを知っているのはごく一部。それを知らない人間からは疎ましく、また、中学生ともなれば何か言ってやりたくもなるのだろう。
わざわざ話しかけてあげている感を隠さない同級生を無視すれば陰口を言われ、それも放置すると手を出してくる。病弱でか弱い少女は普通に喧嘩をしても勝てないことを知っている。
幼馴染で唯一の友達である水橋和哉、そして入学式当日に偶然の出会いから初めての親友となった望月千穂との高校生活が始まり、そして一瞬にして終わる。屋上でのシャボン玉、下校時のみちくさ、教室での写メ、海での花火。それがすべての経験であり、思い出となった。夏休み前、主治医からの限界と入院の言葉が少女の余命がいくばくもないことを告げる。
主治医からの宣告の前から、既に少女も気が付いていたのだろう。この高校生活が、自らの人生が終焉を迎えようとしていることを。
幼馴染の恋心も、初めての親友との接触も、すべて入院とともに断ち切ってしまう少女。それは、すべての事情を知る由もない残された人間たちにとっては裏切り行為にも映ったかもしれない。少女はそれも承知していた。そしてそれは大きな大きな少女の決め事だったのだ。
一貫完結の本書は、「きれいに死ぬ」ために生きる少女を裏切る幼馴染と、誰よりもその愛の深さを知っていたからこそ避けてきた一瞬に触れた少女、そしてハッピーエンドで終わることのない人間の難しさを描きながら終局へ向かっていく。
遥は、「きれいに死ぬ」ことができたと思いますか。本書を読んだひとによって答えが変わるのもまた本書の魅力である。
誰もがいつか迎える生の終わり。僕らはそれを知りながらも、なんとなく終わらないだろう明日を前提に今日を、いまを生きている。それではいけないと思うときもあれば、それでもいいじゃないかと思うときもある。そうだとしても、僕らはそれぞれの終着駅へ確実に向かっており、その終わらせ方について少しだけ考えてみてもいいかもしれない。