生まれつき顔にアザのある女子高生の建前と本音『青に、ふれる。』
車いすユーザーの方につい目が行ってしまう件
最近、駅やその周辺の施設がバリアフリーになってきたので、車いすの人を街でよく見かけるようになりました。
で、その車いすの方を見かけると、ついシゲシゲと見つめてしまいます。ここ数年、車いすユーザーのお友達がたくさんできて、いろいろ聞いているうちに車いすに詳しくなってきたので気になっちゃうんです。
「お、JWシリーズだ」
「手押しハンドルがない、アクティブな人なんだな」
「アームサポートがないからこだわりの人なのかな」
「珍しいメーカーのだな」
とかいろいろ。
多分、車好きの人が街で道行く車に注目するのと同じ感じです。車いすには、乗り手のこだわりやセンスが詰まっているのですごく興味深いんです。
シゲシゲと見られることで気に病む人もいるのはよくわかっています。でも「気になるけど見ないようにする」ことも、恐らく相手には伝わるんです。そもそも「障害者を見ちゃいけない」と思うことが、差別だと私は考えています。気になるなら見るし、気にならないなら見ない。本能のままにしています。
顔の大きなアザを「気にしない」と振る舞う女子高生。しかし本当は……。
自分の特性を「やっぱり人は気になるんだ」と思ってコンプレックスに感じ、「でも過度に無視するのもおかしくない?」とも思う。
そんな、すごく複雑で繊細な気持ちを描いたのが、『青に、ふれる。』です。
主人公は、顔に太田母斑(おおたぼはん)という生まれつきの大きな青いアザがある女子高生・瑠璃子。「コンプレックスのひとつやふたつ、誰にでもあるよね」と、気にしない、気にならないと明るく振る舞っています。
そんな彼女ですが、あることで本音を暴露します。
そのきっかけというのが、担任になったイケメン新米教師の神田先生です。彼は生徒を覚えるために、一人一人の特徴をかなり詳細にノートにメモしていました。ところが彼女の欄だけ空欄なんです。それを見た瑠璃子は叫びます。
※『青に、ふれる。』(鈴木 望/双葉社)1巻より引用
「書けばいいじゃん!! 青山瑠璃子!! 顔に大きなアザ!!」
「触れちゃいけないみたいなの、一番ムカつく!!」
「写真なんて今も大嫌いだ」
そしてそのときに、神田先生は自分が「相貌失認(そうぼうしつにん)」だと告白するんです。人の顔が見分けられない疾患です。
※『青に、ふれる。』(鈴木 望/双葉社)1巻より引用
人の顔がわからない。どれも同じに見える。でも顔のパーツに何か大きな特徴……例えばホクロとかがあれば、それで見分けている。
彼の場合、彼女のアザはどう見えていたんでしょうか。ちょっと驚きの見え方なんですが、それは本編を読んでいただくとして……。
障害を、個人ではなく「社会の問題」として考える
顔にコンプレックスがある女の子と、人の顔が見分けられない男性。彼には彼女のコンプレックスが見つけられないんです。めっちゃよく考えられた設定じゃないですか?
太田母斑は、レーザーで取ることができます。私は、気に入らないことがあるならなくせばいいと思っているので、迷わずレーザーを選ぶと思います。実際に、気に入らなかった学歴は上書きし、顔中にあってコンプレックスだったホクロはほぼほぼ取ってしまいました。
だけど瑠璃子がいま、レーザーを選ばないのはなぜなのか。そこにはちゃんと理由があります。そして神田先生は相貌失認によってどんな経験をしてきたのか、少しずつ語られていきます。二人がこの先、コンプレックスや見た目問題、障害による困難をどう解決するかが気になります。
ちなみに障害を語るときに「障害を乗り越える」と表現されることが多いですが、私は好きではありません。
障害があって大変なのは、社会の設備(ハード)が追いついていなかったり、差別や哀れみといった人の心(ソフト)の問題があることが大きいんです。それを「乗り越えた」と言ってしまうと、当事者だけがなにか苦労をして意識を変えなければいけないように感じてしまうからです。
瑠璃子や神田先生の口から語られることは、強がりでもなく愚痴でもなく、コンプレックスや見た目問題を抱える当事者としての迷いや悩みです。
世の中にはいろんな人がいる。二人の気持ちに寄り添って読んでいきたい作品です。