恋愛と性欲の境目はどこにあるのか?身に覚えありまくりのムラムラコメディ『サバエとヤッたら終わる』
「愛とは尊いものである」なんてことをよく言われます。
愛をテーマにした、文学、映像作品が数多くつくられており、もちろん恋愛漫画も山のように存在します。
一方で、「性欲は尊いものである」と言われることはありません。
性欲をテーマ(というか対象)にした作品は、山のように作られているにもかかわらず、です。
けれど、この2つは区別できるようなものなのでしょうか?
本作の主人公、男子大学生の宇治は同じサークルのマドンナ桜井さんに片思いしており、彼女の友人である鯖江に恋愛相談をします。
この鯖江、見た目はそこそこかわいいのですが、性格はオヤジ。恋愛相談は、下ネタギャグによってたびたび脱線します。
しまいには、Hカップの巨乳を武器に、本気かウソか分からない感じに誘惑され、宇治は、性欲(鯖江)と愛(桜井さん)の天秤に葛藤することになります。
図にすると、こんな感じ。
※画像は『サバエとヤッたら終わる』(早坂啓吾/新潮社)一巻より引用
でも、この図式は間違っています。
だって、宇治の恋愛の対象になっている「桜井さん」は、外見の印象と数回の会話で作り出した薄っぺらい人格に過ぎないのですから。
桜井さん(という妄想)と鯖江(目先の性欲)の天秤、と考える方が正しいでしょう。
みんな自分の手の届かないものにあこがれる気持ちってありますよね。でも、妄想の中で都合よく解釈した「好き」は、やっぱり色々リアリティが足ません。
正直言って、この手の思い込み恋愛は身に覚えがありすぎて、宇治に共感してしまいます。宇治はゲス野郎ですが、性欲が絡んだ恋愛事情においてゲスにならない奴っているのか!?
さて、それでは、「愛」はどこにあるのでしょうか?
少なくとも、この作品における愛は明確です。
鯖江は最初から宇治の事が好き。自分の友人のことが好きな宇治を振り向かせるため、友人の可愛さとは全く逆の価値観でアプローチしているのです。
主人公視点では、一見下ネタ好きでガードの緩い女の子のように見えている鯖江ですが、実際は「宇治にだけ」見せている態度。そんなところにすごくリアルなものを感じてしまいます。
つまり本作の構造はこう。
※画像は『サバエとヤッたら終わる』(早坂啓吾/新潮社)一巻より引用
性欲のフィルターに包まれて宇治には見えませんが、「性欲の先」を見通せば必ず鯖江の純粋な「愛」に気付くことができます。
まあ、ラブコメの図式として、決着してはいけないんでしょうけど。
「宇治おまえ何で気付かないんだよ!?」
とモヤモヤしながら、時折見せる鯖江の「本気」の表情をぜひ堪能していただきたいと思います。