MUSICA2023 7月号(やなぎ単独インタビュー)そして「儚くない」
日曜日のやまぎん県民ホールのライブに行ってきたばかりで余韻も冷めぬまま。
MUSICA7月号、やなぎのインタビューを読んで感情が揺さぶられ、Twitterにはおさまらんなぁと思ってしまったので書いておく。
とはいえ記事に触れすぎるとネタバレになってしまうのでここはあくまで読んだ時の私の気持ちです。
矢島さんが「儚くない」と「それでも世界が目を覚ますのなら」「星になりゆく人」について聞いていた。
その中でやなぎが話していたことから鮮明に蘇ってきた思いがあって。
12年前のあの頃、私は岩手の内陸(盛岡)にいた。ヘリがたくさん飛んで行った。
幼い娘二人を抱きながら、以前住んでいた石巻、義両親の故郷釜石、縁のある宮古。友達の実家のある閖上。引っ越して間もなかった陸前高田にいるママ友……リアルに知っている岩手と宮城の沿岸の街並みを思い、車を捨て、大事なぬいぐるみだけを抱き、迫る波から逃れた知人親子の話を聴きながら、それでも想像するしかなかった。
同じ場所にいてもあまりに違う思いを、それぞれに抱いていた。
悲しみも辛さも状況も一括りになどできないのに、「東北」「被災地」と世間にまとめられる違和感。
思うことはたくさんあったけど、所詮私は被害の少ない場所にいたし、秋田出身で当時岩手や宮城側の知人がまだ限られていた私は、何も誰も失っていなかった。
でも、身近な人に聞けば、誰か少なくとも一人は知っている人を亡くしている、そういう状況だった。
そして、見えない危険への恐れ。
東北は危険だから逃げろというどこかのひと。あのさ、そんなかんたんじゃないんだよって思ってた。不安でも「ここで」生きなきゃいけない。
あの頃は秋田の両親ですら温度差を感じた。
ただ、あの時は元気な人、元気な場所はそれでいいんだ、できる範囲で応援しようって声もあがっていた。すごく救われた。
無力感に苛まれもしたけど、できることをすればいい。無理はしなくてもいい。いつか誰かに返すことができるかもしれない。
私はそれをきっかけに、あまりに不甲斐ない自分が嫌で、何かしようと独学で保育士免許をとった。(役に立ててはいないけれど、勉強はしてよかった)
しかし、コロナ禍はそれとはまた違う閉塞感がものすごくあった。
あの時よりずっと(自分は)健康で。周りは何も変化がないようにみえて、それでも動くことができない。突然に日常を奪われたのは同じだけど、雰囲気が全く違った。
やなぎがいうとおり、世界中どこでもそうだった。助けたい人も助けて欲しい人もみんな苦しかった。2011年と比べるもんじゃないと思いつつ、先が見えなくて苦しかった。
っていうことがすごく蘇ってきて。
震災後に生まれたのが「それでも世界が目を覚ますのなら」だっていうのは知ってたけど、リリースが数年後だった理由もちゃんとわかった。
「儚いから」ではなく「慣れないから」とするやなぎの感性がほんとうに好きで
「ごめん」「やっぱり思っちゃうよ」
「生きてこそって」「生きていてって」
ここに詰まってるんだよな。
やなぎはきっとすごく優しいけど、だからってめちゃくちゃ品行方正ないい子だと言うつもりはなくて、でも、こういう風にありたいという思いは、強いひとなんだろうと、そう思ってるよ。
人の目を気にする、ってのは私も覚えがあるし。
そういえば、子どもの頃から何となく相手の気持ちわかっちゃって、人の顔色うかがって……そして周りには才能ある人ばっかりで、自分は凡人だから努力してる……私の大好きなめっちゃ凄いボーカリストもそう言ってた人だ。だからこそ、何でもやってきた。
……ってなわけで泣きながらMUSICAインタビュー読んだんですけど、三重のレポで
酒飲んでリーダーにウザ絡みするわ、ケータイ無くして交番行くわ、ひろくんに褒められて照れるわ
涙返せ!!!(笑)と思いつつそういうとこが好きだな〜と改めて思いました。
グラビア写真よりライブのやなぎフォトやオフショが大好きでしたがMUSICAの写真良すぎますな。
***
改めて。
「儚くない」はすごいね。
居なくなること、何か起きるかもしれないから、会える時は大事に。
それと同時に、これが無くなることを前提に毎日会うなんて出来ないし、なにが起きるか
わからないことを、毎日考えて生きるのはむしろしんどい。
多分後悔はするし慣れないけど、それが初めてならいい。
今じゃないと信じたい。願いだ。
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