澤村・スペンサー・英梨々のように生きられない
澤村・スペンサー・英梨々の死から一年が経った。
一年前、劇場を後にして、この先この感情は永遠に心のどこかに残り続けるだろうな、とかなんとなく思っていたけれど、
結局そんな永遠も半ばを過ぎて、
今では何とも言えない空虚感が残り続けるのみです。
そもそも、澤村・スペンサー・英梨々の失恋がなぜこんなにも悲しいのか?
なぜあんなにも悔しかったのか?
理由は簡単で、澤村・スペンサー・英梨々の人生を見てきたからですよね。
でも正確には少し違っていて、本当は
『澤村・スペンサー・英梨々の人生を見て、なんとなく自分も人生をやっている気分になっていた』
というのが正しいですね。
自分じゃ何にも頑張れないから、澤村・スペンサー・英梨々に頑張ってほしかった。
努力が報われてほしかった。
まぁ要するに、自分がしてたのは感情移入じゃなくて、都合よく自己投影してただけ、っていうそれだけの話なんですけどね。本当に頑張るべきなのは自分だったのに。
だからこそ、最後に報われなかったことが悲しかった。
でもまぁここまではいいんですよ。
ラブコメには悲しくも勝者と敗者が居ますからね。
他のヒロインにだって人生はあるわけですし。
だけどさぁ…
あんな結末でめちゃくちゃ辛いはずなのに、どうして笑顔で終われるんだ。
どうしてまだ頑張れるんだ。
そういう自分には無いものを見せられて、どんどん置いて行かれた気持ちになりましたね。
あぁ、俺には無理だ、もう頑張れない、って。
結局最後に残った感情はそれだけでしたね。
澤村・スペンサー・英梨々のようには生きられないなぁ、と。
この一年の間に大学院を卒業して就職をしましたが、澤村・スペンサー・英梨々のフィギュアは未だに引っ越しの段ボールから出せずにいます。
これからもなんとなく人生をやって、
劇場からの帰り道で感じた悔しさとか、澤村・スペンサー・英梨々の存在も、いつかは忘れてしまうのでしょうか。
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