声のリアリティ
なんでこんなタイトルにしたかと言うと、メタバースだ。
メタバースは、コミュニティの形成のされ方とか(DAOとか)、価値の発生のしかたとその交換方法とか(NFTとか)いろいろと本質的なテーマがあるわけだけれど、その辺は他の人がいろいろ語っているのでさておくと、
冬休みにしばらくOculus Quest 2をかぶってVR chatに入りこんでいたら、一番の衝撃は「声のリアリティ」だったわけです。
ふつう、メタバースをマスコミが取り上げるとき、「HMD(ヘッドマウントディスプレイ)をかぶってVR(バーチャルリアリティ)」という絵をとりあげるので、一般の人がニュースなどだけ見ていると、それをイメージすると思うんですよ。
だけど、何年も前からHMDとかVRとかには慣れているし、自分でUnityで3Dシーンや3D音響空間を作ったりというのもやっていた僕が、「これはとんでもない空間に入りこんじゃったな」と思って、あらためて「メタバースって、パラレルワールド的な異空間だ!」と実感したのは、VR chatでJapanese Shrine という日本の神社的な空間に入って歩き回っていたときに(冒頭のスクショ)、いきなりHMDの耳元から「拳銃持ってる?」という英語が聞こえてきたときですよ。
いや、もちろんそれまで見えてたんですよ、その人たちは。声も「英語で会話してるな」という程度には聴こえてたんですね。だけどアバターだし、そんな絵は見慣れてるし普通にやりとりするじゃん。いわゆるメタバースの一つであるClusterとかはよく使うし。それで、なんとなく惰性でそちらに近づいてたわけです。
アバターって、まあ、アバターじゃん。本当の人がいるのは理屈ではわかってるけど、そこまで生々しくないじゃん。リアルな場所だったら、いきなり知らない人たちに近づかないけど、ぼーっと近づいたわけですよ。そしたら、こっちは自分の部屋にいるのに、耳元で「拳銃持ってる?」って外国人が言うんですよ。やばいじゃん。その瞬間、その人たち、僕の部屋の中にいた気がしましたよ。まあ今になってみれば、アバターが身につけるバーチャルアイテムとしての拳銃の話だったのかも知れないけど。
もうね、すぐ逃げましたよ。VR chatから脱出して。
声のリアリティってすごいですね。いきなり、僕の頭のなかでは、自分のすぐそこにいる人が見えたような気がしました。どんな人かも想像しましたよ。
だいたい、映像とかがものすごくリアルになっても、「すごいリアリティだ」とは思うのだけど、最後の一線の「本当にそこにある」にはなかなか届かないと思うんですよね。
だけど、視覚よりもむしろ情報量としては少ない聴覚に訴えかけられると人間の想像力というのはフル稼働するので、そのときの「本当にそこにある感」というのはむしろ視覚よりすごい気がしますね。想像力がすき間を全部埋めちゃうからね。
少し話は飛ぶけど、フランスの作家プルーストの「失われたときを求めて」という長編小説の中に出てくる「紅茶のマドレーヌの香りで、過去のある時期の記憶がすべてよみがえる」っていう、いわゆるプルースト効果というのがありますね。あれはまったくその通りで、嗅覚のような制限された感覚も、それによってとんでもない量の記憶をよみがえらせることがありますよね。僕は、朝、家を出た瞬間に陽射しと空気のせいで、子どものときの特定のシーンを思い出すことが時々あります。
というわけで最初に戻って、「声のリアリティ」というのは、僕はメタバースの一つのキーワードのような気がするな。まあ、声もアバターボイスが普通になって、リアル感が消えちゃうかも知れないけど。
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