Past Lives 感想

(観てから読むか、あらすじをどっかで読んでから読むのがいいかも)

“Keep cool but care”がテーマの映画だった。
時間が不可逆だとしても関係性も不可逆なの?という問題提起でもある。

まず映画における「見られる」みたいな話を書きたくなる。われわれ観客がノラたちの物語を覗き込んでる、という意識が強い。冒頭からしてそういう作りになってるし、電車の車両越しのショットとか撮り方のレベルで結構思った。と同時に「見られている」ノラたちを描いて恋愛や人間関係における自意識を暗示してるようにも少し思ったんだよなー。気持ちが動いてるときほど盲目的になれず、むしろ今自分どんな風に見えてんだろとか考えたりしませんか?(あ、しなかったら大丈夫です。)これは東アジアっぽさだったりするのかなとか、なんとなく。観た後にセリーヌ・ソン(監督・脚本)の実体験に部分的に基づいてると知って割と合点がいった。やっぱりすごくパーソナルな映画だったと思う。あとクライマックスのスーツケースの取手の感触とかうわーみたいな、かなりよくわかるんですけど。

結婚したのに初恋の人に再会するなんて、などの「不義理」を咎める意見、当事者ならまあわかるけど、あくまでも当事者的な問題に公共性を持ち出して社会規範の問題として否定する意見にあんまノレない。(アトロクで一部のそういう意見を聞いて引っ張られている)

むしろ3人がそれぞれの気持ちにどう折り合いをつけるか、お互いにケアしながらどう進んでいくか、その難しさと大切さの物語に思えた。その根底に個々の気持ちやイニョン(縁)を決して安く見積らない、という誠実な姿勢を感じた。まあ、ともかくこの引用文を読んでほしい。

◆「KEEP COOL BUT CARE」という文字列は1963年に発行されたトマス・ピンチョン最初の長編小説『V.』からの引用です。「クールとクレイジーのフリップ=フロップ回路から抜け出るには、明らかに、スローでしんどいハードワークが必要だと。黙ったまま人を愛する。やけを起こさず、自己宣伝をせず、他人をヘルプする。クールに、されどケアを忘れず。常識で分かることだ。天啓が閃いたというわけじゃない。自分で言うのも恥ずかしいほど当たり前の認識に至っただけのことである(新潮社版 小山太一/佐藤良明 翻訳)」

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あと、そうそう、skypeのギューンっていう音懐かしかった