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【素的視点から#021】言葉と人、対話①

この世に生まれてこの方、一体どのくらいの人と接してきたのだろう、とふと思いました。

そぼ降る雨を向こうに見やりながら。

こうしてステイホームやら天候条件やらで家に籠っていても、直接(リアルで)人と会わなくても、全く人との交流を持たずに一日を過ごす、ということは意外にもないものだなぁとも思いました。

厚い雲の隙間から時折見える薄光を感じながら。

文字通り“ウチ”に籠る日々の中、人が全くの「独り」ということはないのだと、ようやくそんな確信を得たように思います。

まだ、おぼろげながら、ではありますが。

人は「言葉」を持っています。
(動物にも言語があると個人的には思っているのですが)

「言葉」は、やはり「伝える」ためにあるのでしょう、何かしらの意図を持って。

対話の相手がいない状態の「独り」にも、それ(独りであること)を伝えるための「言葉」が存在するというのはどういうなのか、と頭を抱えてしまいます。

そして、言葉があるからこそ、人は決して「独り」ではない、ということに気づきますね、あなたも私も。

もしも、対話する相手がいない、他者とのコミュニュケーションができない/不得手と悩む時には、まずは「言葉」があることを思い出してみるのが良いと思います。

我々に言葉がある以上、何かを誰かに伝えている。
その「誰か」は必ずしも人とは限らない、この自然界や宇宙にあるもの全て。

まずは、思う存分自由に、無邪気に「言葉」を放ってみる
ー真白な紙に書いたり、空に向かって声を発してみたり。

自己がのびのびと心地良く言葉を発すること
ーそこから、自ずと対話は始まるはずですから。

<今日の美>

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