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【ココロの旅#79】"匂い"-素的視点から

 こんにちは、関東では春一番が吹いたと聞きました。日中は10度を超える日もちらほらある今日この頃ですが、皆さんはどんな小さな春を見つけましたか。

~小さな春がもうそこまで~

●そこはかとなく漂ってくるもの

カバー写真は先日散歩の途中で撮った、今年初めての白梅です。

マスクを着けていても、あの甘く柔らかな「匂い」は分かる。その方へ足を向けると、意外と相当数のお花が開花していました。きっとここ数日の温かさに誘われたのでしょう。

この日は生憎薄曇りの天気でイマイチ「映え」ない写真になってしまったのですが、このアンバランスさが、春がよちよち歩きでやって来ている様子をよく表しているようにも思って、個人的には気に入っています。

さて、この「匂い」ですが、香りと書くべきなのかもしれませんが、今回はこの「匂い」という言葉にこだわりたい(笑)。

香りだと、何だか少し人の手の入ったような、人造的な、よそよそしい感じがするのですね、私には。

はて、はて、一体何なんでしょうか?

●素的視点から

無論、「におい」のもう一つの漢字、アレは、ほぼネガティブな「におい」を指し示すもので、ちょっとここでは傍らに置いておいて、「匂い」について、改めてその意味を探ってみると、嗅覚以外にも、実に、様々な意味を持っている。

そういえば、中学高校時代の古文・古典の時間に、雅な貴族文学から勇ましい武士の物語にも、この「匂い(表記は匂ひ)」はよく登場していました。

それに拠れば、嗅覚のみならず、視覚(姿や色の形容など)、聴覚(声色など)、そして、「体感覚」とでもいうのか気配についても、この言葉で表現され、人物にも自然物にも用いられています。

そう、古の「匂い」は鼻以外も感じるものだったのです。

ところが、現代では、時々、短歌などの文芸作品で気配や姿を現す「匂い」を目にすることもありますが、専ら嗅覚、日常において、あのネガティブ「におい」とその対をなすのは、やはり香りですねぇ。
ちょっと悔しいですが。

昔と今では、環境や社会、風習が異なると言ってしまえばそれまでなのですが、昔の人は、実に立体的にヒトやモノを感じていたのではないか、と思うのです。

現代からすれば、より自然の摂理に沿った、よく言えば素朴な、まあ原始的な生活だったでしょうが、その分、つまり、今では科学が担っている大部分を人が己の持つツール(笑)をフルに活用し日々を送っていたことは、想像に難くない。

その延長線上に「匂い」の持つ多様な意味があるように思えてなりません。

中学生の頃の古文の時間に、平安時代の貴族は病に伏せると祈祷師を呼び祈らせ、病人の病をその祈祷師に移すことで平癒させる、との話を聞いたことがあるのですが、当時は、その非科学的さというか素っ頓狂な考えに、嫌悪に似た強烈な違和感を覚えた記憶があります。

しかし、今思えば、それもあり得るのかな、と。
なぜなら、当時の人々は、今の私のように、寝ても覚めてもスマホやら家電やらにお世話になっているような機械頼みの科学無しではもはや廃人、とは違う。全くもって生粋の人間(笑)。

実は、上述の体感覚についてはちょっと面白い話がありますので、それはまた次回に...

<今日の美>

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