【ココロの旅#88】"声援/応援"-素的視点から
こんにちは、先日、小さい頃慣れ親しんだラッパスイセンを、ホント久し振りに見かけ、思わず写真を撮りました。小さかった当時は大仰に見えた花弁が好きではなかったのですが、自身が大きくなった今(笑)、そのエレガントさに改めて気づいたのでした。
●楽しいラジオデビュー
前回のブログでお知らせしたように、お仲間のイチカちゃんが始めた「ラジオライブ配信 【訳ありマダム3名と永遠の思春期ちゃんの人生相談】」に不肖ワタクシがMCとして参加いたしました。
お聞きくださった方、ご相談くださった方、マダムの方々、そして、舞台をつくってくれたイチカちゃんに改めて御礼申し上げます。Merci beaucoup!
配信後「色々あったけどとっても楽しい良い経験になりました」と小学生の作文のような感想を持ち、こんな素直な自分に驚きと少しの薄気味悪さを感じながら、この気分の良さは何だろうかとふと思いました。
これまでなら、仕事(=社会で求められる私自身の役目や立場、持ち場?)以外で自身の声で自身の好きなように話をすることには苦手意識があり、避けていました。
けれど、今回このラジオのお話があった時にMCを買って出ていたんですね、なぜか。回答者として力量不足というのが主たる理由ではあるものの、仕事柄MCというか、もっと地味な仕切り役を(巧拙抜きに)そこそこやっていたからかなと思っていたのですが...実際は、直感のようなものに近かったです。
結果「楽しかった」わけで、プライベートな姿を人様にさらすのが苦手なのは、やはり変わらないのに。
はて、はて、一体何なんでしょうか?
●素的視点から
番組では4つのご相談があったのですが、(イチカちゃんの魅力が引き寄せたことは間違いないのですが)初回からこんなにご相談を頂くということに予想外の嬉しい驚きがあったんですね。
更に、当日、実際に聞いてくださっている方がいらしたことも驚きでした(コメントまで頂きました!)。
これは、大袈裟にいえば『オーディエンスに力を貰う』ということかと思っているのですが、『会場の声援が力になる』とは、ミュージシャン、スポーツ選手の特権、プロ特有の才能、それがあるからこそのプロと思っていました。
というのも、これまでは、自分に向けられる「応援」とは"周囲の期待=プレッシャー"だったから。これを更に読み解くと、
・応援= 周囲の期待
=(あくまでも自分が捉えた)あるべき姿
=(あくまでも自分が捉えた)自己像とのギャップ
=プレッシャー
・・・自己の殻に入り他者のエナジー(愛情?)を取り込めず、自滅or残念な結果
この、自己完結的な思い込みはいじけた我欲とでもいうのか(笑)。
そも、完結などない、自己もあるのかどうか怪しいというのに。
今回のラジオ配信は、マダムの方々と皆さんで時間と空間と共有するという奇跡と感性が折り重なって生まれたエナジーが、私自身の自己の殻をいとも容易く砕いたのだと思います(or単に実はお喋り好きだっただけかも)。
翻って、このブログも、奇跡的に読み手の皆さんがいらっしゃるからこそ、感性を磨くことができ、エナジーを頂戴しているわけで、いつもお読みくださり本当にありがとうございます。
諸々、精進いたします。
<今日の美>
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