![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/43181650/rectangle_large_type_2_ff99e19865068d6d3379d52d2e100c08.jpg?width=1200)
【ココロの旅#73】"優しさ"-素的視点から
こんにちは、三寒四温というにはあまりにも激しい気候の変化、立春までは暫くこのような日々が続くのでしょうか。
カバー写真は部屋に飾っているラナンキュラスなのですが、このお花は慶事や贈り物の花束でも人気の、優雅でありながら愛嬌のある誰にでも好かれるお花の一つですよね。
このお花の花言葉は「優しさ」、正確には黄系ラナンキュラスの花言葉だそうですが、この薄桃色のお花からも充分その「優しさ」は感じられます。
~ふんわりと包まれていたい...でも~
●「優しさ」という言葉の持つヤサシクナイ事情
実は、以前からこの「優しさ」について引っ掛かりを覚えることが多く、斜に構えているわけではないのですが、私にとっては何か腑に落ちない気持ちを抱かせるものの一つなのです。
・例1:「○○さんって優しいですね、いい人~🧡」
・例2:「tmkO(私のこと)って優しさのかけらもないんですねっ💢」
・例3:「他者に"NO"と言えないのは優しさではなく恐れ、嫌われたくないという思いからくるもの」
上の例3つ、1は皆さんもよく見聞きするセリフかもしれませんね。
2は私の実体験、しかも、一度や二度ではないという(苦笑)。
3は最近目にしたとある文章の一部ですが、以前、善人であるお仲間から相談された事柄にも少し似ているような...
その時のご相談は「他者に"NO"と言えない自分の弱さ」というもので、これはこの文章でいうところの「嫌われたくないという恐れ」に近いのではと思っています。
で、私の「引っ掛かり」は、
・例1':褒め言葉なのだろうが、具体的に何を褒めているのだろう?
・例2':ひょっとして、何かを求めているのか?具体的にそれは何?
・例3':え、「恐れ」が「優しさ」の仮面を被っているってこと?
というものでして…相当偏屈なんでしょうか、私は。
1は、双方納得してりゃいいことで、私個人は難しいというだけで(笑)。
2は、皆さんあまり経験することがないであろう特殊なケースですが、対人関係や条件/状況に応じたコミュニケーションを『構築する』ことの大切さを再認識させる事柄でもありました。
で、問題は3。
ホンマの善人であるお仲間には、
「『弱さ』ではなくて『優しさ』というか、それは人間性という美しさではないか」
とお話したのですが、
「優しさ」という言葉を用いるとは...我ながら何と無責任な!
「『優しんですよ、あなたは』って、結局何言っているのか分からないじゃないか!(要は例1と同じ)」と反省(Yさん、ごめんなさい。思索が足りないままお話してしまいました)。
~はて、はて、一体何なんでしょうか?~
●素的視点から
この、「優しさ」というのは、つまるところ、話者による対象者の評価であり、しかもその評価が、対象者が話者にとって「好都合か不都合か」に多分に因っているのではないかと思うのです。
個別的で主観的な判断というのか、好悪や好き嫌いの類、下手すると気分の問題ではないか。
似たような言葉に「親切さ」がありますが、これは、具体的な人の言動を評する時に比較的よく用いませんか。
「あの人は優しい」と「あの人は親切だ」はニュアンスが異なる。
私は「親切ですね」と言われると掛け値なく嬉しい、それは、私のささやかな言動が役に立ったことが明確に分かるし、何より、己の行為の意味と目的が他者と共有できたことの喜びがあるからです。
無論、一つ一つの言動に都度こんな注意を払っているわけではないですが、ただ、「相手に通じている⇒目的が繋がっている⇒行為が巡っている」ことは自然と分かる、実感として持つ、良い経験として心と身体のどこかに残っている。
「優しさ」が今一つ分からん!と、悶々としていたら、「優」という字の語源に"悶々とさせるヒント"を見ました。
「優」:「人」が他者が「憂」いていることを気にかける姿
なるほど...「気にかける」ねぇ、この曖昧さだな。
気にかけるぐらいならば、憂いが取り除けるよう、さっさと具体的な行動を起こせばいいのに。
「優しさ」はその曖昧さによって、多用され、愛されているということなのでしょうが、個人的には、多様性&ボーダレスな社会/世界に住むこれからの我々は、自分自身や他者のために何ができるのかについて、自覚的・具体的であった方が良いような気がしてなりません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一方、「優しさ」についてはこんな有名な言葉もありますね。
「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」
オリジナルは、
If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
訳者の方に歯向かう気などさらさらないのですが、この「gentle」は、個人的には「優しさ」というより「寛容さ」のように思います(「タフ」の対義語として用いられているとして)。
(余談:「gentle」は英英辞典Oxford Dictionaryによれば、
"calm and kind; doing things in a quiet and careful way"
この表現からは、落ちついた物腰の穏やかで親切な人物像が浮かびます)