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【ココロの旅#65】「ヒ-ヒロイン」-ワタクシの人生「イロハ帳」


 こんにちは、今年もあと2週間を切りました...皆さんは年末の作業にお忙しい頃でしょうか。どうぞ体調を崩されませんように、休憩時間には温かい飲み物をとって、心身を休めてください。

~清く正しく美しく!~
だけど、涙が出ちゃう...

1)一般的意味:

📖劇や小説などの女性主人公。また、実際の事件の中心となる女性。

🐐冒頭のサブタイトルは、昭和アニメの定番、そう某「スポ根」ヒロインの名台詞です。リアルでは知らなくても、なぜだか、日本人の多くがこのアニメを知っているような気でいるのはないですか(笑)。

2)ワタクシの旅:

🎀キャンディス・ホワイト

またまた、ある世代以上の方限定の話題になりそうですが、この漫画「キャンディ・キャンディ」が好きだったんですよ。

髪の毛もずーっとショートでシンプルな洋服を着せられていたし、本人も女の子女の子した風貌が好きではなかったクセに、この漫画は好きで好きで。これって、あの、ココロの奥に抑圧された願望が知らん間に嗜好として現れる例のアレかもしれません。

ともかく、オープニング曲から好きで好きで。アニソンなのに、優雅なチェンバロの音色が響くという凝ったものでした。
リボン付きの帽子を被ったキャンディの淑女姿も好きで好きで。
ところが、オープニングは明るくお洒落でも、ストーリーやヒロインは紛れもなく昭和アニメの宿命を背負っていますから、

-可愛い、愛嬌がある、心優しい
-生い立ちが不遇
-理不尽ないじめに遭う
-(だからこそ?)王子様(orみたいな男性)が助けてくれる

昭和時代の漫画・アニメの作者は、戦中戦後を生き抜いてきた人達、当時の日本社会を引っ張っていた人々も然り。
まだまだ世間には

「強く、たくましく生きよ。辛くても歯を食いしばって頑張れ!いつか報われるだろうから。」

が残っていたのだろうと思います。
現に、片田舎に住んでいたワタクシの環境はまさにそんなものでした(都会と地方の間には文化格差がかなりあった)。
現代令和の、

「弱さがあっていい。辛い時には辛さを吐き出そう!そして、皆で支えよう。」

という時代の空気に若干の違和感を覚えつつ、おっかなびっくりながらも、なんとか歯を食いしばって(笑)ついて行こうとしている人が、ある年代以上の人の中には少なくないのではないでしょうか(無論、含ワタクシ自身)。

この、昭和モンというか、なかなか辛さを吐露できない人が、あなたの周囲の大切な人の中にいたら…
半ば無理やりでも、その辛さを吐き出す機会をつくるのが良いと、まさに自身の体験からそう思います。

そのような辛さが鬱積し、ゴリゴリに固まり、その塊が心身のアレコレを傷つけてしまい、身体を蝕むのは勿論のこと、何より感情の大爆発とそれに伴う他者や社会を巻き込む事件/事故などの要因になりやすいから(要は常に地雷を抱えている状態)。

しかも、これが最も悪しきことなのですが、その辛さも鬱積もゴリゴリも、本人が全く知らないうちに進行してしまう。しかも、心身の不調を、この昭和的知的生命体的ヒトは『アタマ・理性・思考』によって『根性・謎のやる気/使命感』に翻訳or変換してしまう。

では、"辛さを吐き出させる”にはどうするか。

優しい声掛け「辛いことあったら話を聞くよ」も良いのですが、ワタクシを含めたこの手の人にはかなり難易度が高いと思いますし、むしろ逆効果。
せっかくの親切心が仇になり得ます。
「この私が『辛い』だと?おのれ分かったようなことを💢...」
みたいな(ホント、悲しいなぁ...)

要は、(悔し泣きとか●●●泣きとかではなく)純粋なヒトとしての「涙を流す」ことさえしてくれれば良いので、一緒に『確実に』泣ける映画やドラマを観て、二人して号泣する時間を作るのが良いと思います。
二人で観るということがポイント、大人数では涙や感動が薄れそうですし(場合によっては泣かない人も出てくる)、一人での鑑賞もその後の孤独がキョーレツに響くかもしれない。

二人で互いの涙を認め合う、という構図...
映画鑑賞後、お互いの泣き顔を見つめ合ったら...
何となく、話の糸口がどこかにチラチラ見えてはこないでしょうか。
どう繕っても、もう顔は涙でぐちゃぐちゃなんですから(笑)。
いきなり「辛さ」の核心に到達しなくても「泣く」という行為に没頭していた時間を経た彼/彼女は、かなりの部分がヒトに戻っているはず。その時、傍らに『誰か』が居ることの効果の絶大さ・・・皆さんご想像通りです。
そして、この仕掛けのもう一つの大事なポイントは、まず自ら率先して泣くということなんですが、「涙活に付き合ってよ!」といって、件の頑張り屋さんを巻き込んでみてください(笑)。

🐐泣ける映画やドラマは皆さんそれぞれと思いますが、ド定番は【ライフ・イズ・ビューティフル】かしらん。皆さんの「必ず泣く映画」でお薦めは何でしょうか。

🩰ディズニーのヒロインも

以前、「ディズニーアニメのヒロインについて」という記事を目にしたことがあり、年代とヒロイン像の変遷から、ヒロインとは社会が求める「女性像」そのものであると考察されていました。

初期(白雪姫やシンデレラ)は不遇な女の子が王子様に見初められてプリンセスになる(キャンディ・キャンディに近い)。
その後、女性の権利向上やウーマンリブなどの社会活動が発展したことから、ディズニーのヒロインも"自立系"、自分の意志を持ち、自力で運命を切り開いていくストーリーに描かれるようになったとのこと。
ただ、”社会の求め”は往々にして”消費者ニーズ”とも読み換えられますし、となると、ヒロインも商業主義や企業戦略によるものなのか、卵が先か鶏が先かのようにも思えてきます。

ディズニー社は米国の企業、日本よりは女性の社会進出が実現しているような印象を持つ方も多いと思いますが、その実、"ガラスの天井(glass ceiling)"という表現が今でもあり(この表現にはジェンダー以外の要素も含みますが)、女性が組織の中で『上』を目指すには厳しいケースもあるようです。
特に、メディアやエンタメ業界は女性がのびのびとその才能や感性を発揮する場が少ない、女性制作者の声が通りにくいなどといった現状もあるそうで、結果、経営陣に多いオトコが好みそうな、或いは、オトコが理想(というか期待)する女性像がヒロインに反映してしまうとのこと。
この延長である#MeTooムーブメントも、きっと皆さんの記憶には新しいところでしょう。

これは日本においても同様のようで、以前、某民放局でキャリアを積まれた女性の方(チョー格好イイ方でした!)にお話を伺った際にも、
「放送業界はオトコ社会、●クハラは当たり前という風潮」と。
こんなに理性的で行動力もあり気配りと優しさも備えた方(要は男性性と女性性のベストミックス)でも、不愉快な思いをするのかと、"華やかな"業界の陰を見たような気になりました。

🐐今は既存の概念を打ち破るメディア「YouTube」などがありますね。あれらのツール、多様性と包摂性(ダイバーシティ&インクルージョン)を見事に体現しつつあるように思えます。誰でも発信者と視聴者になれる。既得権よりも"お得感"が重視される、名より実の世界ですね。

👯‍♂️誰でもヒロイン

インフルエンサーやトップyoutuberにならなくても、
家族や友人たちの間で持ち上げられなくても、
職場やサークルで人気者にならなくても、
あなたはあなたの人生のヒロイン・・・

これは、きれいごとでもなんでもなく(笑)、
いわゆる宿命であり、手綱は己にあるということ。

かのエマーソン先生は、
「君の行く道の後ろには人がいても、前にはいない」
と。
とっさに(誠に憚りながら)、
「そして、左右には人が必ずいる」
と付け加えたくなりました😉

🐐とにかく辛くなったら、大泣きしましょう!
そして、温かいお風呂に入って、早めに就寝しちゃいましょう。

3)おまけ:

号泣映画について、個人的には【炎のランナー】も音楽含めて一押しなのですが、如何せんこの邦題が...
ちょっと誤解を招きやすいというか、けれど、「原題: Chariots of Fire」を直訳すると「炎の戦車」だから、もっと難しい?
(原題は旧約聖書の詩からとられたものだそうです)

<今日の美>

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