【素的視点から#020】映画から日々を振り返ると…②ジョジョラビット
前回に引き続き、映画と私です。
「ジョジョラビット」ー2019年公開の比較的最近の作品ですが、アカデミー賞の複数部門にノミネートされ脚本賞を受賞。
そういえば、公開時にかなり話題になった作品でしたので、天邪鬼な私は敢えて観なかったのだと思います。
しかも、ナチスをテーマにしているというのに、タイトル「ジョジョラビット」もおふざけのようで、ジャンルもコメディとされていることにも反発を覚えたのですね、堅くて真面目な私は。
実際にこの作品を観てみると、これもコメディではなく、諸々自身と重なりました。
ごく大雑把なあらすじは、ナチ政権下のドイツで健気に生きる母子、主人公(子)ジョジョは立派なナチ崇拝者になるべく日々奮闘、一方の母(とイタリアの前線にいるとされる父)は密かにレジスタンス活動を行う中で、様々な出来事に遭遇し人間性について考える、というもの。
あくまでも私的視点で書いているものの、このストーリーの扱いがどうしてコメディなんでしょうね、ま、いいですが。
この作品では、主要な登場人物の姿が全て私自身のあらゆる側面を映し出しているように思いました。
・主人公ジョジョは10歳の男の子ですが、その好奇心と無知からくる無邪気さ
…ハィ、無邪気さという言い逃れがまだ通用するのか不明ですが、私もエエ歳ながらまだまだ知らんこと多いデス。
・ジョジョの母は知性と勇気溢れる情熱家
…エェ、義憤に駆られるというのか、私も(たぶん)時にはそんなことがありマス。
・空想上のヒトラー
…ハァ、劇中ではひたすら保身に走るその姿、滑稽で哀れですが、実害は筆舌尽くし難いものがある。私も猛省デス。
・現実のナチ関係者
…フゥ、哀しいかな、宜しくないことでも「組織の為だから」と加担、善悪の判断や感覚麻痺し燃え尽きてしまう。私もそんなことがありマシタネ。
なにより、これらのヒトビト、実際私の周囲にいる/いたのですよね、そのヒトビトとの間に起きる現実もあるし、あった。
そう、皆さんご賢察の通り、現実とは自分の見る世界そのものでしかない、ということ。
映画のような創作物であっても、「己れの眼」で切り取る世界が全て、ということ。
私にとってこの作品がコメディでない理由はマサニコレ!ということ。
無論、この作品を純粋にコメディとして観られる人もいるわけですし、それはそれで良し。
(まーでも、この作品でゲラゲラお腹を抱えて笑う人を見かけたら99%説教するかも。)
前回今回と書いてきて、映画を映画として純粋に楽しむことに欠けていること、この癖が私の日々をアレコレ複雑にしているんだろうなぁ…と。
“もーいーっ、この癖は私の個性です!”
と胸を張ることにしました、人生には開き直りが肝要ということで。
・余談:ふと気になり「開き直り」の英語表現を調べたら、”so-what attitude”というものがありました!
<今日の美>
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