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【観じて想う#047】この雨は…
本日こちら関西地方も梅雨入りしたとのこと。
子どもの頃から「梅雨」ということばの響きが好きではなかった。
あのジメッとした鬱陶しさを即座に思い起こさせたからだった。
学校や会社という集団的社会生活においては、個人の裁量スペースが限られることが多い。
特に学校は「先生」という監督官の下、いくら衣服や靴が雨に濡れて本人が不快且つ不衛生な状態でも、学校という枠を出ることができず惨めの一日を送るしかなかった。
社会人になっても、不文律の「社会/会社ルール>個人の事情/意思」図式はついてまわっていたから、大人になっても事情が変わったわけでもなかった。
それが、いつの間にか、雨、それも大雨でも、梅雨ということばにもうんざりしなくなった。
その理由をつらつら想ってみると、二つほど思い当たる。
一つは、10年ほど前に山登りに夢中になったのだが、そぼ降る雨の中を歩くことはよくあった。その経験から、雨が日常生活の中の一部というよりも、大いなる自然の大切な要素、という意識が芽生えたのかもしれない。
もう一つは、(梅雨-雨-憂鬱のような)社会の当たり前やルールと理解していたものは、自身の思い込みと気づいたというか、自身の意思なくそれらに依存していた状態から抜け出せたということだろうか。
いでたちもスケジュールも心地よい状態を保てることが最優先。これは単に雨だから外出しないというのではなく、どんな状況でも私自身が”気楽“な状態であるような選択をするだけで、雨の中でも歩きたい気分になればひたすら歩く。
前者の背景には屋久島でのトレッキング体験がある。ご存知のように彼の地は年間雨量の大変多く、だからこそ、あの稀有かつ美しい姿を保っている。
また山登り、始めようかなぁ…
<今日の美>
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