【素的視点から#018】いま一度「働く」について②ー自他の幸福
前回のブログでは、私自身の「働く」というか「働く」の在り方は、”キャラバン“と表現しましたが、この“キャラバン”は実は子供の頃からの憧れでもありました。
古くは、アラビアンナイトのお話に始まり、学校やテレビでシルクロードなるもの、そして、その道を通って日本にやってきた文物、あの美しいお宝の数々を知り、そのロマンに子供ながらに胸躍らせていたものです。
あのロマン溢れる情景を飛び越え、今、この非常に現実的な自身の「働く」に、“キャラバン”という言葉を、辛うじてまだ持ってくることができる自分に少々の意外さと、自身が「働く」ということに、まだ幾ばくかの希望を持っていることに妙な安堵感を覚えました。
なぜなら、「働く」とは自他の幸福のため以外にあり得ず、持って生まれた個性と感性を特定の目的のために使うことだと、常々思ってはいるのですが、「働く」が「生活の糧」という現実そのものに直結すると、そんな気概も挫けそうになるから。
この葛藤というのは、「働く」人は皆抱えているはずで、各々が「働く」中で、時折、やるせない様々な問題が起き全く上手くいかないこともあります。
それは、「働く」葛藤を無視する我々を、葛藤が突いて知らせようとした結果であり、それが更に進行すると実際に心身に宜しくない影響を及ぼすという構図になります。
まるで他人事のように記していますが、ン十年経っても、私自身がまだこの葛藤というか、トラップにかかることがあります…
トラップに気づいたら、回り道してトコトコまた気長に歩んでいきますか、もう少し。
その先には、きっと黄金の国があるという希望を胸に…
そして、その黄金の国に至る道すがら、自他の幸福を残していけたらと思っています。
<今日の美>
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