【素的視点から#012】住まいも生きる...?
このところ、住んでいる街のあちこちで建設工事が行われており、特に、大小の集合住宅が次々と建てられているのが目を惹きます。
こちらは関西のとある都市なのですが、皆さんお住まいの地域はいかがでしょうか。
某パンデミックによる約1年のブランクを経て、えいやッと号砲とともに一斉に工事開始、と言わんばかりの勢い。
近くで行われている工事をベランダから眺めて、この将来そこに存在するであろう「建物」というものの、"壮絶さ"に驚いている私です。
"壮絶さ"という表現はおかしく聞こえるでしょうね、まるで建物が自分の"人生=life"を持っているようで。
そも、私自身が建築建設関係に不知であることが背景にありますが(であるから以下の表現も稚拙&勘違いあるやも)、基礎工事による土台作り、鉄骨を組み立て芯をつくったら外壁、内部の設備に配管・配線等...
これは、まあ、私の大変浅はかな知識からの大変大雑把な工程ではありますが、最近見かけた現場の工程表によれば1年あまりで完成するとある。
え、完成予想図にあるこの巨大な集合住宅が・・・1年で完成?
現場が始動する前の準備期間はいかほどかとは思いますが、始まると一気呵成なのですね、スタートしたら後は計画に沿って粛々と完成に向かって進む。
その一方で、とある建築物になるモノも"壮絶"なlifeを背負っているなぁ、とも思いました。
大地を相当深くまで掘り(不動産屋さんによると20mぐらいとか)、機材を押し込み、あれやこれやと作り上げ作り込まれていく…
これは非常に感覚的なものなのですが、建物はモノではあるがヒトと全く異質のモノではない、やはり、どちらも己のlifeを地道に進んでいる存在とでもいうか。
工程に沿って進むあの様子を見ると、私自身など小さいなぁ、人生がどうのこうのなんて可笑しいなぁ、とふと思いました。
こうなると、普段、無意識に過ごしている我が住まいも、よく利用するあの施設も、駅も、あらゆる建築物のlifeが気になって仕方がない。街を歩いていても建築物をキョロキョロ&じーっと見つめるようになりました。
これまで自然の中にいることを比較的好んでいたのですが、現代・現在の街の姿を観察することで、学びがあることを実感している今日この頃です。
・・・↓これらの建築物のlife...もう想像を絶しますねぇ。
<今日の美>
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?