【ココロの旅#77】"続ワンちゃん🐶"-素的視点から
こんにちは、今年ももうはやひと月がたちますね。実のところ、静かながらも精神がそして心が豊かなひと月でした。ありがたいことです。
~トリコロールとワンちゃん~
●引き続き思うのは
前回のブログを書いた後、「自由・平等・友愛」とワンちゃんについてつらつら考えていました。
動物学の専門家でもなんでもないので、あくまでも個人の経験や愛犬家の話を読んだり聞いたりして感じたことなのですが・・・
間違いなく彼/彼女らの「友愛」さに救われるヒトは多いものの、場を楽しませなければならないという義務感(所謂"やらされ感")からは「自由」であり、そして、大抵は「平等」にヒトに近づき接してくれる(私のようにやや無関心な者にも愛想が良いなど)。
勿論、ワンちゃん達がヒトに示す友愛の情は、そのヒトの在り様によって深浅はあるでしょうが、一般的に多くのワンちゃんが「ヒトの友」たろうとしているように見えます。
ただ、「自由」と「平等」については、これは「ヒト社会」が創り出した概念的な要素が多分にあるので、上述のワンちゃんについて書いたくだりには若干の無理があるのは否めないのですが…🙏
そんなにヒトの友であろうとしてくれて嬉しいしありがたいですが、ワンちゃんたちのその献身とは...
はて、はて、一体何なんでしょうか?
●素的視点から
ある愛犬家の作家は「イヌは我々に愛されるためにこの世に生み出された美しい贈り物」と表現していました。
あるご近所さんは長年家族の一員であるワンちゃんを胸に抱えて「この子がいないなんて考えられない。思っただけでも涙が出るわ...」と。
あるホテルの入口に控えているワンちゃんについては「肩書と職務があるのですよ。ほぼ毎日出勤してお客様と交流してくれています」とのお話を聞きました(処遇などは不明ですが...)
なるほど、立場は違えど、「ワンちゃんがいなくなると『困る』」ということでは一致しているようです。
・遥か昔から狩りの相棒や用心棒の役を担う、ヒトの生命・安全欲求を満たしてきたワンちゃん
・家族や友達として共に遊びや様々な活動を行う役を担う、ヒトの社会的欲求を満たしてきたワンちゃん
・『(ヒトがワンちゃんに)慈しみ育て快適な環境や生活をもたらす』という行為を通じてヒトが自己承認するための相手役を担う、ヒトの承認要求を満たしてきたワンちゃん
・・・もう、お気づきと思うのですが、次は「自己実現」そして「自己超越」の段階に至るとの仮定です。
つまり、ワンちゃんは我々のヒトとしての成長、自己実現のために『愛らしく』存在してくれているということなのでしょうね(苦手意識を持っている人もいるでしょうが、その苦手意識そのものが「生きる」においてワンちゃんの影響を受けているともいえるはず)。
いずれ、ヒトは自ずと己を実際に現わして、それを超えることになっているはずで、我々ヒトもワンちゃん並みに「美しい贈り物」になっていると良いのですが...
前回の拙ブログを読んでくださったお仲間の一人が、ここしばらくお辛い時期を過ごされたとのことで、それを知った時、その方の言葉通りこちらも心が「削られる」ような気持ちになりました。
といっても、私の場合『何であんな善人が苦しまきゃいけないんだ、許せん!ったく!』という義憤に近く、もっと過激なのですが(笑)。
ワンちゃんがヒトに献身的に示す美しい友愛の情が、今日もまた、お仲間さんに、あなたに、そしてついでに私にも(笑)注がれますように・・・
<今日の美-Wolf Moon>
そういえばワンちゃんってオオカミの親戚(?)でしたね🐺
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