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【素的視点から#044】10月に入りました
今日から10月ですが、近頃、
「あぁ、今年もあと三か月しかない!」
というフレーズをよく耳にするのですが、皆さんはいかがでしょうか。
昼間がまだ30度近くあることに釈然としないながらも、空気や”空気感”から、もう秋に足を踏み入れていることは肌で分かりますよね。
そして、うっとりと秋に浸っているうちに、また季節は移ろい、冬支度へと向かうわけですが、それよりもなによりも、冒頭の
「今年が終わってしまう!」
という焦燥感が襲ってくるようです。
なんて、他人事のようですが、実際、『ヒトゴト』なんですね。
無論、四季は自然界の時の流れやリズムですが、今年だ来年だ、ましてや「あと三か月しかない!」などは、ヒトが決めて作った”定規”とその”目盛”のようなものでしかないなと感じるのです。
一応、この社会で、私も人並みにヒトの時間を生きていますが、最近頓にヒトの時間定規/メジャーが気にならなくなってきました。
なぜなら、その定規で寸法を測っても「で?」というしかないから。
それよりもむしろ、四季折々の行事や二十四節気などが気になる。旧暦ベースですので太陽暦からはタイミングがズレるのですが、個人的には妙にしっくりくる。
これは、この二十四節気がヒトの五感を呼び起こすからではないかと、これまた個人的にそう思っています。
次にやってくる節気は、
(10月8日)『寒露』ー野草に冷たい露がつく頃
ですが、この言葉を見れば情景が浮かびますし、肌で感じる寒い外気や草木が擦れる音、どこからともなく漂ってくる朝餉の匂いや供されるご飯の甘さなど…
まるで連想ゲームのようですが、これが私には楽しく、
「そうだ、新米でご飯を炊こう。お味噌汁の具は、お漬物は…」
と同時に、昼間いくら気温が高くても露のつくこともあろうかと思えば、衣服や寝具にも気を配るし、家に飾るお花も「寒露」から連想されるしっとりとした色目のものを選びたくなる。
「あと三か月しかない、急がなきゃ!」
と焦るよりも
「そろそろ寒露だ、一枚羽織もの持って行かなきゃ!」
の方が心と体に良いように思うのですが、いかがでしょうか。
<今日の美>
秋の薔薇