見出し画像

死んだばあちゃんが今年80歳なことを思い出した

今日がばあちゃんの誕生日とかでは無いんだけど、昨日ふと「死んだばあちゃん、生きてたら今年何才だっけ」と思って数えてみたら今年で80歳だった。

80歳、傘寿。
医療機関で少し働いたことがあるので80代の方と話す機会は割とあったけど、病院で出会ったおじいちゃんやおばあちゃんを思い返して「同年代か...」と思うとなんだかしっくり来なかった。

永遠の64歳、という言葉が頭に浮かんだ。
父方のばあちゃんは私が小学生の時64歳で死んだ。

遠方に住む母方のばあちゃんのことは「○○(地名)ばあちゃん」と呼んでいて、今も元気な70代。私の中での「ばあちゃん」はいつも父方のばあちゃんのことだった。

保育園児の頃、「お出かけするけん、お化粧してくれる」と言われて出かける前のばあちゃんの顔に口紅や眉墨を引いたりしていた。

今の私が保育園児に化粧を任せてそのまま外出できるかというと絶対無理なんだけど、ばあちゃんは私が化粧するあいだ横になって嬉しそうにじっとしていた。
綺麗な人だったのに化粧がぐちゃぐちゃで勿体ない。孫にめちゃめちゃ甘い人だった。

幼稚園に通っていた時、園が嫌になって脱走して、すぐ裏にあるばあちゃんの家へ行ったことがあった。

黙ってばあちゃんちの玄関を開けて、走って居間の扉を開けたら「たぬきが来たんかと思った!」と笑われた。

その日ばあちゃんから「よっちゃん(私)のお父さんも昔幼稚園に行ったら『嫌だ帰る! 』って門扉に張り付いて泣きよったんで」とこっそり教えてもらった。

私が小学生になっても時々「よっちゃんが幼稚園から逃げてきた時はびっくりした」と嬉しそうに話していた。

小5の秋頃体調をくずしたばあちゃんは「病院に行ったら帰って来れない気がする」と頑なに病院に行かなかった。日に日に弱るばあちゃんが怖くて、家に行きたくなかった記憶がある。

2月末にいよいよどうにもならなくなって病院に行った。末期の大腸がんだった。すぐに入院したんだけど、本当の本当に末期だったらしく入院してから2週間くらいでこの世を去った。嘘みたいだと思った。

棺桶に入ったばあちゃんの額をみて、昔私がお化粧していた時のばあちゃんの顔が重なった。触ったおでこは昔と違ってびっくりするほど冷たかった。

「もっと早く病院に行っていたら」と思ったし、適切な時期に適切な医療をうけないと人はこんなに早く死んでしまうのかとも思った。

遺影の写真を探していたら沢山写真が出てきた。中にはばあちゃんが学生の頃の写真とか飲み屋でじいちゃんとダンスしてる写真とかもあった。

叔母やうちの母から、ばあちゃんとじいちゃんの昔話を聞いた。

貧乏な家の長女だったばあちゃんは、ばあちゃんに一目惚れしたじいちゃんに一生懸命口説かれて結婚した。かっこいい車に乗って腕いっぱいの花束を持って告白にきた銀行員のじいちゃんを見た時、ばあちゃんは「幸せになれる!」と思ったらしい。

でも付き合ってみたら、じいちゃんはお金持ちではなかった。銀行員なのは本当だけど、借金がたくさんあって、かっこいい車は借り物で、家にはテーブルもなくてみかんの箱の上でご飯を食べていた。

じいちゃんはばあちゃんに付き合って欲しくて、とてつもない見栄を張ったらしかった。

そこからばあちゃんはじいちゃんと一緒に家計を切り詰めて貯金をして、私の父と叔母を産んで、最終的には家も建てた。私の知るじいちゃんばあちゃんはいつも笑顔で仲良しだった。

人は歳をとるということを初めて実感したのはこの馴初めを聞いた時だった。ばあちゃんは昔はお母さんだったし、女の子だった。

大人になった今、ばあちゃんの事を思い出すことはそんなに無くなってしまったけど、せっかく今日は思い出したのでnoteに残しておこうと思った。

すっかり思い出さなかったせいで、誕生日は少しすぎていた。
遅くなってごめん。
傘寿おめでとう、ばあちゃん。