見出し画像

実家よ、さようなら。

なんか書きたいなーという欲求があるので、
書きます。

今日は10時から母親と、実家の退去手続きに向かった。お昼は馴染みの食堂で、どて煮と、うどんを食べ、退去の立ち会いをすませた後は、お世話になった銀行へゆき、口座を解約した。

その時対応してくださった方から「いつお引っ越しされるの?」と尋ねられ、「実は1年前から地元を離れているんです。このたび母も地元を離れることとなったので。」と答えた。知り合いではなかったけれど、短いこの会話が、長年住んだ地元を本当に離れるのだという実感を抱かせた。

私の実家は借家で、主である母は、この家におおよそ25年住んだ。私と妹は、子どもから成人するまでの数年間と、その後ちょこちょこ居たり居なかったり。

私が直近で実家に住んだのは、私がリコンした一昨年の頭から去年の冬までであるから、ついこの間まで、この部屋で生活してたんだよなーと思うと、それはそれは胸が詰まる思いでいる。それもあるし、借家である以上、いずれはその日が来ると覚悟していたけれど、案外あっけなく過ぎていくものなんだな、という気持ち。

自分を育ててくれた家と別れる時には、盛大に見送られよう!と心に決めていたが、役所の人に「ありがとうございました」と頭を下げ「さ、いこうか」と車に乗り込むまでの私たちの行動の速さには、涙のひとかけらも浮かぶ隙はなかった。

先日妹と話をしている時、私が「さびしくなるよね」と言うと、「私はわりとそんなことない」と、妹は言った。私は「えっ」と思った。

妹は昨年結婚し、幸せに暮らしている。自分の方がしっかりしているお姉ちゃん、と思っていたが、こうして話をしていると、妹の方がしっかりと地に足をつけ、自立している。

もちろん妹にだって、寂しい気持ちがまったくない、というふうには思っていない。ただ、実家に未練を残すことなく、きちんと巣立っていったんだな、妹はすごいな、進んでるんだなと、こんな時でさえお姉ちゃん気取りで、しみじみと感じた。

かくいう母と私も、これからはそれぞれの生活が始まり、それぞれの道をしっかり見つめているからこそ、こんなにもあっさりとすっきりと、実家を離れることができたのだと思う。

それはそうと、引っ越しのために長く住んだ家をたたむ作業は、お金も体力も気力もいるし、大変だったと思う。お母さん、ありがとう。少ししか手伝わなくて、ごめんなさい。

母の引っ越し先というのが、私の家から自転車で10分の距離にあるので、年老いていく母を1人遠い故郷へ残していくことを思ったら、とても安心している。近年つづく自然災害のニュースを見聞きするたび、昭和初期に建てられたおんぼろ実家が倒壊するのではと冷や冷やしたし、母の命に関わるもしもの何かが起きても、すっ飛んで行くには、ちょっと遠い。

10年前には必要なかった心配ごとが、母の身にたくさん起きるおそれが増えた。いつの間にか、母から心配されることよりも、母を心配することの方が増えた。母のことが、まさかまさか、頼りない私の悩みの種になるなんて。

そんな大きな私の不安を、結局は母が一大決心し、住まいはじめとともに25年勤めた仕事も辞め、勇気をもって解消してくれたことは、娘として安堵の気持ちと、感謝しかないのである。

けれども、長年の棲み家を立ち去るにいたったことは、私はやっぱり寂しい。もう二度と、家に入ることはないし、そればかりか、おそらく近いうちに、取り壊しの工事も始まるんだろうな。それでも、たまには帰って故郷の空気を吸おう。私たちがここに住んでいたということは、なくなってしまわないはずだもの。

いいなと思ったら応援しよう!