青を秘めて
ーー内側に覗く青色に、胸の高鳴りを感じた。
インナーカラーを入れたいと思うようになったのは、無職になった頃からだったように思う。
きっかけと言えるほどのものはなくて、ただ漠然とした願望だった。
*
2020年の初め、コロナウイルスの猛威によって次第に閉じていく世界の中で、僕はうつ病の再発によって文字通り部屋に引きこもっていた。
先の見えない世情、一向に上向かない自身のコンディション。
将来への不安と焦りは募る一方で、休むほかないのだという達観もあり、しばらくの期間をほとんど何もすることなく過ごした。
寝られるまで起きて、起きていられなくなったら眠りに落ちる。
太陽が南中する頃に少しだけ起き上がって、最低限の食事を摂る。
そして夜が来たらお風呂に入り、また布団に潜り込む。
精神科の予約の日が来たら体に鞭を打って通院して問診を受ける。
そんな日々の繰り返しだった。
働いていた頃は、変わり映えのない日常を少し憂うことはあったけれど、それすら変化に富んだ日々だったのだと実感するほどに、同じことがひたすらにループしていた。
仕事から離れ、世の中から隔絶されて過ごす日々には大きな感情の揺れもなく、テレビから流れてくる感染者数などの世の中の動静も、ひどく他人事のように思えた。
自分の中から、色が抜け落ちていくような感覚。
どうすることもできない暮らしの中で、「当たり前」「普通」として自分に塗りたくられていたモノたちが、時の経過と共に剥がれ落ちていく。
そうして自分自身が無色透明にに近づいた頃、「退屈」という光が頭の隅に差し込むのを感じ始めた。
少しだけ視界がひらけたような、憑き物がとれて体が軽くなったような。
それは光であり、兆しだったのかもしれない。
長い穴蔵での眠りから覚めた春の熊のように、重たい体を持ち上げて、数ヶ月ぶりに僕は自らの意志で外に出た。季節は夏だったけれど。
*
ちょうどその頃、休職期間が満了となり、社内規定で退職となった僕は晴れて(?)無職に。肩書きも全て傍に置いて、無色透明になったような気がした。
それからの日々は緩やかで、堅実なものだった。
起きたら散歩に出かけ、実家の家事を手伝い、定期的に通院する。
まるで老後を先取りしたような日々。
明瞭になっていく意識と少しずつ増えていく体力が、未来への期待感を取り戻させてくれた。案外、大丈夫そうだ。
ここからまだ、何にでもなれる。何色にでもなれる。
思い出したかのように顔を出した、根拠のない自信(こいつは高校時代からの心強い相棒でもある)と共に、自分自身の色を探す道のりが始まった。
そうして社会復帰に焦る気持ちを抑えながら過ごすこと1年半。
2022年4月に、ようやくの思いで僕は東京に戻ってきた。
待ちに待った時が来たのだ! (中略)東京よ!私は帰ってきた!!
(わかる人にはわかる、この言い回し)
新しい肩書きはNPO職員。傍目に見ればお堅そうだが、肩に乗っけてみた感じ、案外悪くない。
ビジネス社会のしがらみからも解き放たれて、むしろより自由になったようにも思えた。スーツも革靴も、もう要らない。・・・多分。
とは言え、久しぶりの仕事。慣れるには2ヶ月ばかり時間を要したものの、思いの外何とかなった。一度躓きはしたものの、僕はもともと精神的にも体力的にも結構タフなのだ。
目の前にあるのは期待感と、少しの不安。そして根拠のない自信。
それらはまだ何も描かれていないまっさらな地図のようで、これを持って僕はどこへでも行けるような気がした。
*
この新しい門出の記念に、最初の色を添えようと思った。
向かったのは大学1年の頃からお世話になっている美容師さんのところ。
迷わずオーダーしたのは「青のインナーカラー」。
青は昔から好きな色だった。空の色、水面の色。不可能を打ち破る青いバラの色。これからのテーマカラーにぴったりだと思った。
胸の内に秘めた情熱を、髪の内側に忍ばせる。
カタログの中から理想の形に近いものを探すのに苦労したけれど、そこは勝手知ったる間柄。思い描いた通りの仕上がりにしてくれた。
店を後にして、街に繰り出す。
微かに残る薬液の香り。鏡に映る、少しだけ変わった自分。
風に靡く髪の内側に覗く青色に、胸の高鳴りを感じた。
それは海のように広く、空のように果てがない。
未来への期待を映し取った青だった。確かな自由と意志とがここにある。
心なしか、足取りも軽くなったようにも思う。ちょっとだけなら空も飛べるかもしれない。
胸を打つこの予感のする方へ向かえば、きっと何にだってなれる。
そんな気がした、髪を染めた日。