徒然なるアナログ生活〜今日の1枚〜VOL.10 22.06.08
塵も積もれば山となる。
雨垂れ石を穿つ。
継続は力なり。
わたしの苦手な言葉です←
そんな私でも気づけば10日目。やれば、出来る!!
サンキュー高岸。
さてさて、そんな他愛のない平日。皆さんお元気ですか?
私は既に梅雨疲れ。今日くらいの天気で雨が降らないまま明けてくれ。
そんな梅雨にドロップキック。
本日はコチラ
DOORS/L.A.WOMAN
71年作。ジム・モリソン存命時の最後のアルバム。
前作「MORISON HOTEL」からブルースへの回帰が見られたDOORS。
その完成形がこの1枚。
ブルース調なアルバムであっても、アルバムの定番の形式である、最後に大作で締める、のは健在。
DOORSを評する文章で度々最後の2作品は酷評されていたりする。
えてして本文内では「ハートに火をつけて」が最高傑作として崇拝されているのも特徴。
筆者はそういった論調を目にするにつけ、嘆かわしく思う。
確かに1stの「ハートに火をつけて」はサイケデリックの傑作である。
その後、わずか数カ月でリリースされた「まぼろしの世界」は前作を凌ぐディープさに満ち満ちていて、より深層なサイケデリック感を漂わせていた。
DOORSのバンド名は『知覚の扉』というLSD使用による幻覚体験を記した本に由来する。そう、サイケデリックの申し子であったわけだ。
サイケバンドはサイケであり続けなければならないのか。
そんなことはない。
ジム・モリソン存命時の6枚のアルバムはどれもテイストが違う。
実験、試行錯誤を続けてきたバンドだ。
セールス的にも人気的にも振るわなかった「SOFT PARADE」だが、筆者的には満足している。
ジム・モリソンのカリスマ性と精悍なヴィジュアル、サイケな印象が未だに先入観を生んでいるが、主な作曲を担ったロビー・クリーガー、レイ・マンザレクの音楽的背景はブルースとジャズである。
フロントマンを引き立たせるよう作曲に腐心した二人が、バンドが円熟期を迎えつつあるタイミングでブルースに回帰したのは不思議でもなんでもなく、至極当然の帰結だった。
決してサイケデリックさが鳴りを潜めたわけでなく、端々にきちんとエッセンスが残っており、本作もまた同様である。
ブルージーに、時にキャッチ―に、ほのかにサイケデリックな本作は、DOORSの中でも特に完成されていると筆者は考えている。
聴くときはぜひ全編通して聴いてほしい。
72年には昨日も触れたように、ストーンズが原点回帰して大ヒットを飛ばした。その前年にリリースされた本作は、世の機微を敏感に感じ取っていた「先見の明」が光る作品でもある。
他人が何と言おうが、「L.A.WOMAN」は大傑作であり、名盤。
そしてそれはDOORSだからたどり着けた1枚なのである。
筆者はそう信じて疑わない。
進化の集大成が見えたDOORS。
惜しむらくはその進化の先を見ることが出来なかったこと。
ツェッペリンと同じような無念を感じる。
購入は行きつけのココナッツディスク池袋店さん。
どかっとDOORSが入荷して、飛びつくように全部買った。←
丸角のUS盤。買わずにはいられない。
状態は良好で、音の出も良い。破格と言っていい値段で買えたことは
まさに僥倖ッ!!
めでたく家宝になった。
情熱がほとばしってしまった本日。
ここまで。
決して明るい1枚ではないので、梅雨には向かないやも知れませんが…
その辺はご愛敬。
皆さんの新たな「知覚の扉」が開くことを願って。
それではまた明日。
To be continued…