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空音央『HAPPYEND』

坂本龍一を父に持つ映像作家、アーティスト、そして翻訳家として活動する空音央の長編劇映画デビュー作『HAPPYEND』を観た。

今からXX 年後、日本のとある都市。
ユウタとコウは幼馴染で大親友。いつもの仲間たちと音楽や悪ふざけに興じる日々を過ごしている。こんな幸せな日常は終わらないと思っていた。
高校卒業間近のある晩、いつものように仲間と共にこっそり学校に忍び込む。そこでユウタはどんでもないいたずらを思いつく。「流石にやばいって!!」と戸惑うコウ。「おもろくない??」とニヤニヤするユウタ。
その翌日、いたずらを発見した校長は大激怒。学校に四六時中生徒を監視する AI システムを導入する騒ぎにまで発展してしまう。この出来事をきっかけに、コウは、それまで蓄積していた、自身のアイデンティティと社会に対する違和感について深く考えるようになる。その一方で、今までと変わらず仲間と楽しいことだけをしていたいユウタ。
2人の関係は次第にぎくしゃくしはじめ...。

学校も社会も「決められたルールの中で生きる」という構造は同じであり、その中で生きる人々の多くは決して現状に満足しているわけではなく、「どうせ何も変わらない」という諦めを感じているのではないか。デモ活動を冷笑し、緊急地震速報のアラームは気にも留めない。

ユウタとコウは同じ高校に通う同級生であり、音楽という共通の趣味から一緒にいるが、社会的に2人は全く異なる立場にある。コウは在日韓国人として構造的な差別を受け、奨学金を借りなければ学業を続けることもできないほど経済的にも苦しい家庭環境で生活をしている。恵まれた環境で不自由なく暮らし、自由を求める脱社会的なユウタを疎ましく感じるのも無理はない。「大学とかで会ってたら友達になってたのかな」という言葉を聞くまで、ユウタは彼の心の痛みに気付かなかったはずだ。

AI監視システムとか露骨な差別描写とか、時代錯誤な教育観とかそういう設定の部分で評価を落としているような印象だけど、この作品の見どころはもっと本質的な部分であり、大人でも子供でもない若者たちの葛藤を通して、変化の激しい予測困難な時代をどう生きていくのかを問いかけるメッセージ性にあると思う。カメラワークや劇伴も最高だった。ぜひ劇場で観てほしい!

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