両面宿儺の伝説を巡る
日本最古の歴史書である日本書紀に登場する両面宿儺。 顔が2つ、手が4つある飛騨国の怪物で、大和朝廷の武振熊(たけふるくま)と言う人が退治したと記述されている。だけど地元の言い伝えでは、日本を統一しようとする大和朝廷に抵抗した、原住民のリーダーとされている。
前回の記事で両面宿儺に触れたので、今回は宿儺好きな友人数人で、伝説が残っている地をめぐるツアーをした話。 そのツアーを決行したきっかけは、宿儺の伝説が飛騨地域だけでなく、美濃地方(岐阜県南部、旧美濃国)にも残っていると言う事を知ったからだった。
宿儺の伝説を探していくと、やはり朝廷側から見たストーリーと、民衆の間で伝わって来たストーリーがある。まず、宿儺討伐のリーダーであるタケフルクマが、行軍中に宿儺討伐を祈願した、いくつかの場所が、神社として残っている。その神社に伝わる物語では、やはり宿儺は怪物であり、退治したタケフルクマが英雄となっている。宿儺を英雄とする伝説が残っているのは、決まって山奥の密教的な寺であった。(神社との役割の違いを感じた。) 美濃地方、関市の寺で伝わっている話では、飛騨からやって来た宿儺が暴れる龍を退治する話や、そこの土地に住む人たちの為に貯水池を作った話などがあった。実際に、その辺りには宿儺が作ったとされる池が3つある。言い伝えが残っている寺の1つの堂守をしている方の話では、龍というのは大抵、水や川の象徴なので、おそらく川が溢れて洪水になったのをおさめたという話なのではないかと言っていた。 今までに聞いていた伝説のイメージよりかなり具体的な話も聞けたので、広範囲で民衆の為に働き、慕われていたという、人間的な宿儺像が見えてきたツアーだった。それと同時に、どんなに大きな時代の変化や権力にも流される事なく、ひたすらに人々の暮らしをより良くする為に働いた、宿儺の生き様に、改めて感銘を受けた。