私が「オガシン」であり続ける理由
こんばんは、エースです。
今日の試合は、久しぶりに腹の底から叫んでしまう大逆転劇でしたね。
さて、表題の件ですが、そもそも「オガシン」とはなにか、と言いますと……
「緒方孝市信者」
のことであります。
監督としての緒方孝市を支持する人間を指す言葉です。
監督緒方孝市は、25年ぶりの優勝、そこからセ・リーグ2番目の三連覇を果たした栄光の裏に、選手の起用法やクライマックス、日本シリーズでの失態などの負の面もあり、功績に反して評価をされない傾向にあります。
今回はその是非ではなく、単純に私が緒方孝市を評価し続けた理由をつづりたいと思います。と言ってもTwitterで何度もつぶやいているので、付き合いの長い方にはもう聞き飽きた話かもしれません。
1991年、私は広島出身の父の元に生まれました。その年はカープが6度目のリーグ優勝を決めた年でもあります。
広島出身者の子供の例に漏れず(?)私も幼少よりカープファンとして育てられました。子供の頃よりTVアニメより野球中継を見させられ、テーマパークもそこそこに野球場に連れていかれました。
父の英才教育(?)の甲斐あってか、私はカープファンとしてすくすく育ちました。前田智徳を敬愛し、木村拓也に憧れ、緒方孝市にときめいた少年でした。
しかし、年を経る毎に、ある事実に気づいてしまいます。
「カープはもう何年も優勝していない」
では、いつから?
そう、私の生まれた年から。
いつしか私の脳裏には一つの考えが過ります。
──私が生まれたせいでカープは優勝出来なくなったんじゃないか。
──私がカープファンを辞めれば、あるいは、私が死ねば、カープは再び優勝出来るんじゃないか。
とても馬鹿げた考えですが、当時は本気で思うこともありました。
結局カープファンを辞めることも死ぬことも出来ず迎えた2016年。開幕戦のチケットを手にしたものの、身内の不幸などもあって7回からの参戦、そして敗北。私にとってはマツダスタジアムでの初めての敗戦でした。
しかし、その年は何かが違った。東京ドーム、マツダスタジアムで大逆転の連続。白星を着実に積み上げ、8月24日にマジック点灯。仕事中にも関わらず、父に電話したことを覚えています。
そして、9月10日。
あの日の歓喜を、私は休憩中の車のラジオで聴きました。
その時は泣くことはありませんでしたが、人生でも指折りの嬉しさだったと記憶しています。
「広島の皆さん、そして全国のカープファンの皆さん、本当に、本当におまたせいたしました!おめでとうございまーす!!!」
緒方監督の最後の言葉は、私には、神の福音にも聞こえました。
──ああ、私は、カープファンでいていいんだ。生きていて、いいんだ。
──カープファンで、生きていて、本当によかった。ありがとう。カープ。
あれからもう5年も経ち、選手や首脳陣も変わりつつあります。
それでも私にとって、2016年の緒方監督とカープ戦士たちは、私を呪縛から解き放ってくれた救世主なのです。
私があの選手を表立って叩かないのも、いくら無能と謗られても緒方孝市を信じているのは、こうした一つの経緯があるからなのです。
終わり。読んでいただきありがとうございました。
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