見出し画像

お兄さんと私

2022年7月25日、偉大な先輩であり、私にかるたを教えてくれた「お兄さん」が、この世を去った。私が地元を離れ、かるたのことを教えてくれるのはいつの間にか夫になっていたが、それでも私はこの「お兄さん」をかるたの師と呼び続けるのだろう。

私がかるたを始めたのは高1の秋。進学校の勉強についていくのがやっとで、帰りが遅くなる班活動には入りたくなかったので、4月入班ではない。あとから思えば、早く始めてたらその年の総文は北海道開催だったので、北海道上陸できてたのにーとか。しかし物事はタイミングで、2学期が始まってかるた班の存続を危ぶんだクラスメイトに勧誘されて入った。私は全くの初心者で札も全然知らなかった。現役生以外に、謎の人がよく練習に来て指導してくれていた。それがお兄さんだ。どうやら高校の先輩で昔準名人にもなったことがあるって聞いた。早稲田大学卒で、今はNHKに勤めている。なんてエリート。かるたまで強い人。でも、偉そうでもなくて、ド素人で頭の悪い人私にも丁寧に教えてくれた。部活が少ないときは、石坂線の端っこにほど近いお兄さんの実家で練習させてもらった。昔のクラブハウスにあった、背の高い大きな扇風機のあだ名は「いしざわっち」。音が大きいので、暗記時間だけ回る。自分が出るわけでもないのに、遠くの大会の引率に来てくれた。
大学に入ってからは、試合運営や名人戦の放映の手伝いとか、いろんなことさせてもらった。解説席の映らないところで、解説者から見えるところに札を並べ、インカムから聞こえるお兄さんの声を頼りに札を動かす仕事が好きだった。預言者みたいに試合の展開を予測するのを聞けるのは、インカムをする人の特権だった。A級公認になってからは、近江神宮でやるいろんな大会で経験を積ませてもらった。それから、某かるたドラマにも出させてもらった。お兄さんがいなかったら、そんな機会もなかったろう。
私が進学して地元を離れてからは、私がいるからってことでわざわざこちらの大会に出てくれたり、そしてちゃっかり優勝して帰ったりしていた。ときどき近況報告するのにメールすると、「帰ってきたら膳所高の指導にも行ってください」とか来る。残っていたメールの日付は2019年だった。

私はA級にはなんとかなれたけど、全然強くなれなかった。本当は今でも強くなりたいけど。お兄さんはきっとこんな不出来な後輩にもいろいろ教えてくれてたんだろうけど、覚えていることは少なくて、取り組めたことも少なくて、自分の頭の悪さにげんなりする。こんなことならもっと図々しく連絡しておけばよかった。もっといろいろ聞いておけばよかった。だけど、かるたが好きで、後進に面白さを伝え、自分も取ってるときは楽しむ、みたいな(そう思ってたかはわかんないけど、自分が取る以外の仕事が多すぎる人だったから)、そんなかるたを取ることは何とかやってると思う。

訃報は、地元にいる後輩が伝えてくれた。別の後輩が電話していいか聞いてきたから、しばらく話をした。翌日、本当はどこかでかるたを取りたかったけど、結局家で一人取りした。一人で読みながら取るけど、その読み方がお兄さんの読みになっていた。余韻に入る前少し癖が出る、あの読み方。次に読むとき、自分の読みができるかなってくらい、その読み方しかできなかった。

今からの自分にできることは何か、考える。お兄さんのようにはなれないけれど、今の私ができる精一杯を後進に見せていくことしかできない。強くないからかるたの技術のことはあんまり言えないけど、姿勢や向き合い方は伝えていかなくちゃなぁ。
それから、もう少しだけかるた界全体に貢献できるポジションを目指したい。あのとき出たドラマのように、西日本予選で読めるような人に。すぐ怠けるから、ここでこっそり宣言する。

そんなことが恩返しではないけれど、私も死ぬ最後までかるたに関わりましたよ、私なりに頑張りましたよって、向こうに行ってまた会えたら伝えられるように。

お兄さんへ。
闘病生活、お疲れさまでした。ずっと知らなくてごめんなさい。
そちらに行ったら、順番待ちするから、私と試合してくださいね。それまで、先達たちと気楽にかるたの話をしてくださいね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?