愛って、なにかしてあげることじゃないんだな

先日、友人から電話がかかってきまして。
男の子で、高校時代からの友人なんですけど。

電話って、一対一でつながるし、耳元で相手の声が聞こえるっていう、すごいツールだと思うんですよね。しかも夜、ベッドの中とかで電話してると。

最近二人で会ったりしゃべったりする機会がなかったので忘れていたけど、すごく不安定でいびつな時期をともに過ごしてきたことを、なんだか思い出しました。

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むかし、「愛」っていうのは、何かをしてあげることだと思っていました。
できることをやってあげる、手を差し伸べてあげる、助けてあげる、そういうことだと思っていました。

いつも、自分には何ができるかなって考えていた。

そして、相手の期待に応えようとしていました。期待に応えるというか、相手のしてほしいこと、かけてほしい言葉、そういうのを察して、その通りに動こうと必死になっていました。

なつかしき日々のことですが。

彼とは、恋人っていう関係になったことはないんですけどね。だいたいお互いに彼氏彼女がいたし。
でも、高校生と大学生っていう青春時代の大部分、だいたい一緒のコミュニティにいて、お互いにぐらぐら揺れる時期を共にすごして。わたしはすぐ「あなたとわたしの世界」に持ち込みたがる人だったので、その、「あなたとわたしの世界」の中で、脆くてすぐ切れそうな細い一本の糸でつながっていて、お互いに少しずつ引っ張り合って、つねにぴんと張りつめて、みたいな関係でした。
文字にしてみると、どんな関係やねんそれ、って思うんですが。笑

切れちゃったかな、って思った時期がありました。糸が。
わたしが、引っ張りすぎちゃったんですね。

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相手に何かしてあげよう、相手の期待に応えよう、っていう気持ちは、どれだけ気を付けてもどこかしらに「相手が何か変化する」ことを期待する気持ちが残ってしまうんじゃないかと思います。

はじめはまったくそんな気持ちもないんですよね。気持ちがないのか、自覚がないのか。
でも、やっぱりだんだん、「わたしのおかげで感」がほしくなったり、ちょっとくらい感謝してくれてもいいんじゃないのって思ったり、わたしのこともっと好きになってくれていいんじゃないのって思ったり、そんなふうになってくるんですよね。笑

それで、相手の状況が思ったほど変わらなかったり、相手の視線が思ったほど自分に向かなかったりすると、もっと相手に手を尽くそうとしてしまう。

相手にしてあげる、相手に尽くす、察してやってあげる、っていうと、いかにもさもさも「相手のため」みたいに聞こえるんですけど、そのほとんどって「相手のため」なんじゃなくて、結局「自分のため」なんです。
相手の状況を変えてあげたいと思っているのは「自分」だし、相手に何かしてあげたいと思っているのも「自分」。

それで自分の思った通りの反応が出ないから、もっと何かしちゃう。自分にもフラストレーションがたまっちゃう。

それって、愛じゃない。
愛って、糸を引っ張ることじゃなくて、むしろ緩めてあげることなんだと思う。

愛って、彼が苦しんでいるときにわたしが解決してあげようってするんじゃなくて。彼自身が解決したくなるまで、自分で動こうとするまで、ずっと見放さないことなんだと思う。
転ばないように先にすべての障害物をどけることじゃなくって、転んで帰ってきたときにただ「おかえり。あらあらどうしたの」って迎えることなんだと思う。
泣いてすがってきたら、泣かせてるやつをぶん殴りに行くんじゃなくて、ただ胸を貸してあげることなんだと思う。

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相手に何かしてあげるってことは、たぶん相手か環境のどちらかに、変化を求めることだと思うんです。

でも、愛って真逆というか。
変わらずそこにいることというか。相手が変わっても変わらなくても、どこを向いていても、見放さずにそこにいること、というか。

恋人でも、友達でも、家族でもそう。
もしかすると、それって見方によっては冷たく見えるのかもしれない。冷淡で非情に見えるかもしれない。でもね、やっぱり相手の人生を生きるのは相手だし、自分の人生を生きるのは自分だから。お互いにお互いの人生を自力で歩みつつ、手をつなぐんですよ。
どちらかがどちらかを導いてあげるような関係性ではなくて。コントロールする側とされる側ではなくて。

ついついね、なんかしたくなっちゃうんですよ。手を出したくなっちゃうし、やってあげたくなっちゃう。
でも、本当の幸せって、本人が自分の人生を自分の力で生きることなんだと思うんですよね。わたしがやってあげなきゃできないようなことは、相手の人生にはきっと必要ないんだし、相手が自分でできることをわたしがやってあげるのは、相手の可能性を奪ってしまうことで、下手したら相手を依存的にさせることだと思うんです。

それって、愛じゃないよね。
わかりませんけど。

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自分の歩調を見ながら、待っててくれる。
どんな自分でも、迎えてくれる。
そういう存在の、なんと貴重でありがたいことか。

「愛が重い」ってたまに聞くけど、たぶんそれ、愛じゃないのかもよって思います。相手への執着か、自分への執着なんじゃないかな。
愛ってもっともっと軽やかで、あたたかいものだと思うんです。

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友人と久々に電話で話して、ああ、あのとき二人とも、人を愛する余裕がなかったんだなぁと思いました。とくにわたしが、ですけども。笑
恋愛とか、恋人とか、そういう文脈ではなくて。友人として、人間として。

不安定でいびつだった関係が嘘みたいに、なんだか気持ちが凪いでいました。

あー。ちょっと大人になったんだな。笑

最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました! 意識低めなので、いただいたサポートは書籍代などにはならず、おいしいケーキや紅茶に消えると思います……(*´ω`*)♡