奈良の話
つい先日、私は奈良に居た。実に5年振りの奈良。まぁ、奈良に思い入れなど無いのだが。しかし、寺は良い。特段、奈良の寺でなくてはならないという訳でも無いのだが、歴史ある古都という付加価値のある寺はそれなりに見応えがあるものだ。
しかし、今回の奈良訪問で気になった事がある。たまに、寺の坊さんがありがたそうな話をしてくれることがあると思う。その時に何と言うか、俗を感じるのだ。例えば、ありがたそうな話を説教してくれている坊さんの薬指にシルバーの結婚指輪がキラキラ光っていたり、説教の終わりに御守りだの御札だの、仕舞いにはトートバッグを宣伝することまであった。別に今更、寺だからといって、特別な宗教性を徹底しろ、なんて言わないし、それを目的に寺を訪れている訳でもないが、折角ありがたそうな話を聞いているのに、私の頭の中はキラキラ光る坊さんの結婚指輪と線香の匂いの強さの事でいっぱいになり、図らずも煩悩の権化と化してしまう。もしマルティン・ルターがこの現場に居合わせたなら発狂して、宗教改革するだろうな、とか余計なことも考え始めてしまうからいけない。負の連鎖である。
とにかく、私は宗教改革などする力も意思も、権利も無いから、これからも寺に行き、ありがたそうな話は取り敢えず聞く。けれども、奈良にはしばらく行かないだろう。何故なら、鹿のフンを避けて歩くのが面倒だから。坊さんなんてどうでもいい。奈良は鹿が全てなのだから。何の話をしているのか全く分からなくなった。鹿はかわいいですね。もう、おしまいにします。
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