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贅沢しないという贅沢
先日、"行きたいところリスト"というとのを書き出してみました。ただひたすらに、行ってみたいところを書き出していくのです。行けるか行けないか、現実的な問題はさておき、興味のある場所をピックアップしました。
やってみて思ったのですが、予想以上に興味のある場所が多すぎるということです。これじゃ一生かかっても行ききれないな、と思いました。
そして行きたい場所というのはとても広義で、旅行先には限られないということを感じました。例えば、新しくできたショッピングモール。もしくは、気になっていたレジャー施設。今年できるあの映画の模擬スタジオ……など。
世の中には、たくさんの魅力的なスポットが溢れているようです。
最近、小川糸さんの「針と糸」というエッセイを読みました。
小川糸さんはベルリンを心のふるさととしていて、ベルリンに長期滞在しているようです。そして「針と糸」に書かれていたのは、ものを大切にして、贅沢をしすぎないというベルリナーたちの生活。
私の夫もヨーロッパ出身ですが、これは欧州の文化なのか、やはりものを長くつかう習慣があるように思います。
そして、週末は自宅で家族で過ごす時間を大切にしているように感じます。旅行やレジャー施設に限らず、例え、近隣のショッピングモールに出向くことさえも、特別なイベントで、頻繁にあることではないのです。
じゃあ家で何をするのかというかと、特に何もしません。映画を観たり、どちらかというと手を抜いたお昼ご飯を食べたり、あとはお互いの勉強や趣味の時間に当てたりしています。
この贅沢をしないという時間が、最近は私にとって贅沢な時間となりました。
家で自分の趣味や自己研鑽の時間を作ったり、ずっと観たかった映画を自宅にいながら、好きなお茶やスナックを食べながら観たり、この上ない贅沢な時間となりました。
家で何もせずゆっくりするのは、移動する手間もなく、人混みに行くこともないので、疲れる必要もなければ、気を使う必要もないのです。
もちろん行きたいところに出向いて、感動を覚えることも素晴らしいと思います。ただ、いつのまにかそれが日常になってしまうのは、なんだかもったいないかなぁ、なんて思いました。
人によって贅沢の定義は異なります。夫や好きな作家さんから多大な影響を受けているのは否めません。ですが、そんな贅沢しない贅沢に気づいてしまった私は、次のお休みも家でどんな風に過ごそうか、わくわくして考える毎日です。