物語を書いてみた(1)ライト百合 おひさまたんぽぽーとある声優の百合恋ものがたり
おひさまたんぽぽーとある声優の百合恋ものがたり
~これは 地味で不遇な子役時代を送った一人の女性声優が、きらびやかな後輩に出会い、恋をして、人生を変えていく物語~
1 突然の解散命令
「おひさまたんぽぽは、2ヶ月後に7周年&ラストライブをやって解散。ひまりはソロと平行して飯塚楓香(いいづか・ふうか)・山添茉由(やまぞえ・まゆ)と新ユニットを組むことになったわ」
突然呼び出されたかと思ったら、唐突にマネージャーの斉藤柚子から信じられないことばを浴びせられ、雪村ひまりと和泉美緒は思考停止に陥った。
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和泉美緒は子役出身。しかし中学生になって伸び悩み、高校生の時は一度芸能界から離れた。しかし大学進学後、彼女に転機が二度訪れる。一度目は入学直後。これでダメなら芸能界は諦める、と受けた新人声優オーディションに合格。派手さはないものの、安定した演技力で順調に役を獲得していった。二度目は20歳の時。3歳年下の新人声優雪村ひまりと声優ユニット「おひさまたんぽぽ」を結成。今まで考えもしていなかった踊って歌うアイドルにも挑戦することとなった。美緒は不器用だが努力家、演技に加えて歌やダンスも評価され、声優ファンでは名の通る存在になった。
ところが―雪村ひまりがあまりにも天才すぎた。事業家の父と元女優の母親のから生まれた港区在住のお嬢様。アイドルを遠く置き去りにする容姿、幼少期から習ったダンスはプロ級、独特の甘い声、ゲームが大好きという彼女は、17歳、つまり美緒の1年後に同じ声優オーディションに合格して、所属事務所である横浜グローリーに入所。事務所はひまりを売り出す第一段階として、美緒とユニットを組ませることにした。それが「おひさまたんぽぽ」だ。
事務所の思惑はおそらくこんなところだろう。
すでにそこそこ認知されている美緒と組ませることによつて話題性を作 る。一度「雪村ひまり」を知ってるもらえさえすれば、あとは彼女のポテンシャルが道を切り開く。また、美緒は子役からの叩き上げ。声優として基礎も出来ている。それにしっかりもののお姉さんという雰囲気で、事務所には年上の「妹」が何人もいる。ひまりは可愛い妹キャラだし、ステージを離れても、ひまりの教育係として和泉美緒は最適だ。
「おひさまたんぽぽ」は大当たり。ルックス、ダンス、歌、どれをとっても声優ユニットの中でも頭2つ抜けている。そして何より雪村ひまりのスターのオーラ。本業の声優でも、特徴的な声質に演技力がついてくるようになり、2年あまりで世代のトップランナーの一人に。声優雑誌でも彼女を見ない月はない。
デビューして3年くらい経つと、ひまり、美緒ともソロ名義での活動が増えてきた。そこで否応なく可視化される二人の差。ひまりのライブはおひさまたんぽぽと同規模。東京国際フォーラムを瞬殺ソールド・アウトにする。美緒は天空橋のZeppがホーム。美緒にはなんの不満もない。むしろファンとの近さが好きで、美緒自ら大切にしている。でも世間は悪意に満ちている。「おひたんのお荷物の方」「雪村ひまりの噛ませ犬」。有象無象の声豚はSNSで好き勝手なことを言う。美緒自身「わたしは雪村ひまりという太陽の下でしか輝けないたんぽぽ。本当に自分たちにふさわしい名前だな」と感じていた。
横浜グローリーはむしろよく6年以上おひさまたんぽぽを存続させてきた。もちろん出せば売れるからだが、それはひまり単独でも同じこと。メンバー間の人気格差が大きい時は、1+1が2にならず、むしろ0. 8くらいになることすらあるのがこうしたユニットである。いつの間にか、ひまり単独ライブの定番は横浜アリーナになった。事務所にとっても、おひさまたんぽぽ自体がお荷物になりつつあった。何度もひまりにソロ一本を打診したことがある、しかしひまりはそれをことごとく突っぱねてきた。事務所としてもそれ以上強く言うわけにいかない。こうしておひさまたんぽぽは、6年という、声優ユニットとしては異例の長さになったのであった。
「みぃ姉! 何でもっと強く言ってくれないんだよ!」
横浜グローリーのレッスン室、二人が出会い、同じ夢を追いかけて掴み取った場所。その中でひまりは美緒にしかみせない口調でそう叫んだ。ひまりは人前ではいつもキラキラ笑って女の子ことばで話す。こんな話し方は母親のほかは美緒にしかしない。美緒はそんなひまりが愛おしくて仕方ない。
「ひまり・・・ひまりの気持ちはとっても嬉しい。でも、やっぱ私じゃきみの隣はやっぱ勿体ない、そういう話だよ。」
美緒は子役から芸能界にいて、大人の世界にずっと触れてきた。大人は子どもの思いなんか軽々踏みにじってお金に変える。美緒が芸能界を離れたのは、所属事務所のテレビ枠拡大の人身御供として、上位のプロダクションのプロデューサーに差し出されたからだ。そして今回は、アニメ界きっての大手レーベル、A-Projectの強い意向が働いている。今回名前があがった飯塚楓香と山添茉由は、ひまりと同時期にブレイクした若手の有望株。みんなA-ProjectからCDを出しているが、事務所は異なる。異なる事務所でユニットを組むというのは異例だが、次のアニメでA-Project が3人を起用し、イベントなどマルチメディア展開でヒットを狙う作戦だとすれば、これは1プロダクションでどうこうできる話でもない。ひまりは天真爛漫すぎる。いくら人気声優でも、レーベルの力は絶大だ。
「ふざけんな!みぃ姉が隣にいたから、私、頑張れたんだよ。みぃ姉だって、私がいたから頑張れたんじゃないの?」
「うん。だから、本当にありがとう」
「お礼なんて言ってんじゃないよっ。私なんか、単に恵まれていただけだよ。パパやママがダンスも歌も全部応援してくれて、はっきりいって美人に産んでくれて。でもわかるんだ。みぃ姉とおひたん組んでなかったら、私きっと「器用な子」止まりだった。ダンス初心者のみぃ姉が私に必死についてきてくれて、私、そんなみぃ姉に負けたくなくて。だから・・・」
そこまでいうと、ひまりはその場に泣き崩れた。
「(ごめん、ひまり、隣にいたのが私で・・・)」
2 告白
翌日、美緒は斉藤柚子から呼び出された。
「美緒。美緒はものをわかりすぎるくらいわかっちゃう子だから、きっと何もかもお見通しよね。」
「はい。そろそろお荷物は降ろして、うちだけでなくAプロのエースに育てたい。今回のユニットはそのステップですよね。大丈夫、ひまりは私が説得します。」
「・・・美緒・・・、ごめん。でもあなただって声優一本で十分通用するのよ。私が全力でサポートする。」
「柚子さん。あなたにはどれだけ感謝してもしきれません。なのでここは恩返ししなくちゃ。でも、ひまりはああ見えて頑固なので、かなり奥の手を使います。恐らく彼女を傷つけます。柚子さん、ひまりが私を訴えたら、どうか迷わず解雇処分にしてください。」
「ちょっと美緒、何するつもりなのっ!?」
「秘密 です♪」
そう言い残すと美緒は一礼してその場を立ち去った。斉藤柚子からの山のような着信履歴だけが積み上がっていった。
この日は夜まで別々の仕事が都内であり、珍しく翌日の午前中がオフだったので、都内のホテルに二人で泊まることにした。ルームサービスで飲み物を頼んで乾杯、いつもの他愛もない会話をした後で、美緒が切り出した。
「ひまり、私のこと、好き?」
「大好き。」
食い気味にそう答えた後
「今さら? どうして??」
「私も大好き。でも、ね。ひまりの『好き』と私の『好き』は違うの。」
言うやいなや、美緒はひまりをベッドに押し倒してキスをした。
「何すんだよ!」
ひまりは美緒を押し戻して立ち上がる。美緒も立ち上がり、ひまりに背を向ける。
「ね、わかったでしょ? 私の『好き』はこういう『好き』なんだよ。ひまりが私を『みぃ姉』って呼んで慕ってくれて、信頼してくれている間、私はひまりをそう言う目で見て。ひまりが親愛のぎゅーをしてくれる間、私はキスしたい、エッチなことしたい」って思っていたんだよ。」
ひまりの方を向き直って
「ねえ、気持ち悪いでしょ?最低でしょ?ひまりの『みぃ姉』って、こんなクズなんだよ・・・今日のこと、柚子さんに話していいよ、どう考えてもセクハラだよね。クビにしたほうが」
「ふざけんな!」
ひまりは前身を震わせて怒りを表す。
「みぃ姉、最っ低!私をそんな風に見てたの?」
予想通りの反応だ。これでいい。もう二度と彼女のそばにいられないけど、雪村ひまりが羽ばたくには、これがベストなんだ。
「雪村さん、今まで本当にありがとうございました。そして、ごめんなさい。心配しないでください。二度とあなたの前には現れません、から」
そう言ってドアに手をかけた時
「どこに行く!話はまだ終わってねえぞ!」
ひまりが乱暴な言葉で叫んだ。美緒は意を決したように向き直り言った。
「ごめんなさい。雪村さん、私、どんな罰でも受けます。何でも言ってください。」
「・・・・・・やり直して」
「え?」
ひまりは顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「・・・こくはくを」
「聞こえません。もう一度言っ・・・」
ひまりは半泣きの顔を上げた
「あー、もうっ! 告白をやり直せって言ってんだよ。なんだよ今の。せっかくこんないいホテルに泊まっているのに、ムードも何もないじゃないっ。」
「え??それって、まさか?」
「あたしからは絶対言わない。みぃ姉言って。ちゃんと私の目を見て言って。」
美緒は錯乱しかけたが、ひまりが言いたいことは理解した。
「雪村さん・・・」
「ひ・ま・り」
「ひまり、好き。私とつきあって・・・」
ひまりは美緒の首に腕を回して抱きついた。
「私、ずっと待ってたんだよ」
「ほんと?」
「みぃ姉が私のことを好きって、バレてないって思ってたの?」
「隠せて、なかった?」
「ないない。バレバレだよ♪」
ひまりはいたずらっぽく笑った後で、首から手を離して続けた。
「いつ告白してくれるんだろうって、なのになに?私の『好き』は単に友だちの『好き』だと思っていたの?私のこと、そんな風に見ていたなんて。」
そこまで言うと、ひまりは美緒をベッドに誘った。自分は仰向けになり、美緒を抱き寄せて耳元で囁いた。
「みぃ姉、最低だよ」
美緒はひまりの胸に顔を埋めた。
「ひまりはいつもそうやってわたしの心をぐるぐるかき回して、自分はいつも余裕って。私のほうがお姉ちゃんなんだぞ。もう振り回されてあげないっ」
「ムリムリ」
可愛いボイスでからかったあとで、ひまりは美緒の肩に手をかけて体を起こし、美緒とベッドに腰掛けた。顔を極限まで近づけて目を閉じ、美緒をキスに誘う。10分前の乱暴なのではなく、壊れものに触れるような優しいキス。呼応するようにひまりの唇が少し開き、美緒の舌を求める。ひとしきり唇の感触を確かめると、ひまりは自分のブラウスのボタンを一つ外し、次のボタンに美緒の手を誘なった。
「みぃ姉。あたしにしたいこと、全部していいんだよ。」
美緒にはもはや抵抗する理性など残っていない。自分の手でひまりの美しい肢体が露わになる。何度も一緒に温泉に入ったりもしたが、それは妹が可愛くじゃれている姿。今日のひまりの体は、美緒の指に舌に激しく応え、さらにそれを求める。蛹が美しく羽化するように、妖艶な女性になっていくひまり。美緒はその表情を愛おしく見つめつつ反応を確かめる。ひまりが達したのを確認して、美緒はひまりの頭を自分の胸に誘った。
「みぃ姉の意地悪、もう無理って言ったのに・・・」
「何でもしていいっていったじゃない。たまにはいいでしょ?いつも引っかき回すの、ひまりなんだもん。」
「ひどい、今度は私が」
そう言いかけたひまりの唇をやさしくふさいで
「さすがにもう遅いから寝よ。私、自分がどうしたいか、いま見えた。明日話すね。」
「今じゃだめなの?」
「ダメじゃないけど・・・大事な話だから。今日はこのまま余韻を抱いて寝たいの。」
3 美緒の決意
翌朝、ルームサービスの朝食をとりながら美緒が切り出した。
「ねえ、ひまり。やっぱおひたんは解散しよ。」
「なんでそういう話になるの?昨日のはなんだったんだよっ」
ひまりは身を乗り出して美緒を凝視した。
「最後まで聞いて。」
美緒はお姉さんモードでひまりのほほを両手で包み、おでこを軽く合わせて続けた。
「私、どれだけひまりが好きなのか、昨日でよくわかった。だから、ひまりと一緒にいることを最優先にしたい。実は、解散の話が出たときに、ちょっと考え始めていたことではあるんだけど。」
美緒は続けて自分のプランを話した。ひまりは驚きのあまり、しばらくことばが出てこない。
「・・・、私は、嬉しいけど、みぃ姉はそれでいいの?私のために無理してない??」
「何言ってんの? ひまりに私の人生半分背負わせようって話だよ、覚悟ある?」
「うわ、重いなあ♪」
ひまりはいたずらっぽく笑って、握りこぶしを美緒の前に突き出す。
「任せろ!」
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収録の仕事が終わり、事務所に戻った美緒は斉藤柚子を呼び出した。
「柚子さん。ひまりを説得できました。」
「そうなの?ありがとう・・・」
「その代わり、条件があります。ひまりがおひたん解散に同意してくれたのは、この前提あってのことです。」
「わかった。話して。」
美緒の話を聞き終わった柚子の反応は、ひまりのそれとほぼ同じ。驚きのあまりしばらく言葉を失っていた。
「・・・美緒はそれでいいの?私に義理立てしてない??」
「柚子さんは私を見つけてくれました。芸能界を諦めるために受けたオーディションだったのに。そして、支えてくれて、ありがとうございます。声優のお仕事、歌、ラジオ・・・柚子さんじゃなかったら、わたし大学卒業できなかったと思います。そして何よりひまりに出会わせてもらえて。幸せすぎて明日死んじゃうんじゃないかって。」
「それは、美緒の頑張りがあったから。」
「でも、世の中って最初のチャンスすらつかめない人の方が多いじゃないですか。私、柚子さんに恩返ししたい、それはずっと思っていました。でも『義理立て』とかじゃないんです。私が幸せにならなきゃ、柚子さんだって嬉しくないはずでしょ?」
柚子は感情が抑えきれずに美緒を抱きしめた。
――柚子にとって美緒は特別な存在であった。入社5年目にして、新人発掘プロジェクトを任された時に採用したのが美緒だった。演技力は頭一つ抜けていた。でも採用会議では異論も出た。顔出し、マルチメディア展開が当たり前となった声優業界にあって、もう一歩の「華」に欠ける、というのだ。それを柚子は必死に説得した。「この子は演技の経験があって地力がある、「華」を補完するものとしては、国立大学教育学部在籍という学歴の方で行きましょう。」強く推した以上は成果を挙げたい。柚子は美緒の営業と育成に力を注いだ。美緒も柚子のアドバイスに素直に従い、主役の友人、頼れるお姉さんの役どころ中心にオーディションに臨み、順調に役を勝ち取ってきた。現場の評価も上々。必要単位の多い教育学部との両立は大変で、睡眠時間の確保もままならない。柚子は極力送迎して、車中で休めるようにした。このクラスのタレントとしては破格の待遇だが、自分を信じてまっすぐすすんでくれる美緒が愛おしかった。そう、彼女が幸せでなければ、柚子にとっても何の価値もない。――
「当たり前じゃない。マネージャーが言っちゃいけないけど、やっぱ美緒は特別なんだよ。」
おひさまたんぽぽプロジェクトは上からの決定で、正直言って、美緒にアイドル要素を出させることには柚子は反対だった。
―雪村ひまりの噛ませ犬―
思いっきり悪意があることばだが、社長以下経営陣の本音とそれほど大きなズレはない。雪村ひまりは、新人声優オーディションで他を圧倒していた。1次面接で候補が彼女1人に絞られ、その時点で審査が打ち切られた。若手No1の飯塚楓香に対抗できる、事務所の最終兵器だ。それだけに、最初の一手が重要になる。誰ならひまりにマイナスイメージをつけないか。誰ならひまりを引き立てられるか、誰ならひまりを育てられるか。「声優」を名乗れる地力、けっしてひまりより目立つことない地味さ、しかも先輩からかわいがられ、後輩から慕われている人望・・・和泉美緒以外に考えられない。
様々な思いが一弾指の間に去来した。しばらくして次の言葉をつないだ。
「美緒、あなたが決めたこと、全力で応援する。上の説得は任せて。でも、一つだけ、私からも条件いい?」
「はい、なんでしょうか。」
美緒が柚子の胸の中で尋ねる。柚子は抱きしめていた手を緩めて美緒の瞳に視線をまっすぐ向けて、その「条件」を伝えた。
「・・・柚子さん? 逆に、いいんですか?」
「うん。だって、私は和泉美緒のファンだから。」
そういうと、美緒の頬にキスをした。
「あ、ありがとうございます。」
美緒もキスを返した。
4 柚子の思い
柚子はその晩、おひさまたんぽぽのライブ映像を見返した。好きか嫌いかと聞かれたら、正直雪村ひまりは好きではない。別に彼女に非があるわけでもない。恵まれた才能と育ちの良さからくる自己肯定感の高さは、むしろ謙虚さを生み出す。誰とでも仲良くなれ、素直で、才能を鼻にかけない。それはもともとの資本に恵まれているため、「マウントを取る」必要が微塵もないからだ。そして、美緒が苦労して手に入れたものを、ひまりは軽々越えていく。・・・だから、柚子はひまりが嫌いだ。
―いや、それは表向きの話。本当のところは、ひまりが美緒に特別な感情を持っていて、美緒もだんだんひまりに惹かれていったのが、マネージャー視点で見えているから。
恐らく最初に好きになったのはひまりの方。何がきっかけなのかはわからない。でも、他の人の前では絶対に言わない「みぃ姉」という呼び方、膝の上で甘える仕草・・・、男の子ことば。二人は気づいていないようだが、何度か柚子は目撃している。雪村ひまり<本名 杉村ひまり>は妹キャラで売っているが、杉村ひまりはしっかり者できちんと自分を抑制できる子だ。雪村ひまりとしてファンの前にいる時は「美緒ちゃん」と呼び、スタッフだけの時は半分杉村ひまりに戻って「美緒さん」。でも、どうやら和泉美緒だけしかいない時だけ完全に杉村ひまりに戻り、美緒に甘えている。そもそも何度もあったおひたん解散の打診に、強行に反対したのはいつもひまりの方だ。ひまりは普段はわがままをいう子ではない。彼女がどれだけ美緒に執着しているか想像に難くない。
美緒の方は、この年下の天才を心から尊敬していた。レッスンではひまりの動きに注目し、メモを取って見返す、そんな姿をずっと柚子は見てきた。ただ、いつからだろうか、ひまりを目で追い、目が合いそうになったらぱっと視線をそらす。ひまりもそれに気づくと「なに?私に見とれてた?」などとからかうのだが、美緒はそれに対してうまく切り返せない。
――二人はお互いに恋しているんだ。気持ちに気づいていないだけで――
柚子は学生時代、男性、女性の両方と付き合ったことがある。異性から向けられる好意には敏感でも、女性同士の親密な関係はわかりにくい。女性同士の場合、総じて男性同士に比べて心的・物理的距離は近く、手をつないだりハグしたりということもある。親友だと思っていた女子への思いが、実は恋だったと気づいたときは戸惑った。が、だからこそ、二人の相手への思いが友情ポジではないことも経験的にわかる。
今日は柚子にとっての何回目かの失恋記念日。
――美緒。キスありがと。明日になったら、きみを諦める。――
「さ、マッチングアプリでも登録するかな。」
翌日、社長の松村に報告。松村は話を聞くと、しばらく目を閉じて感慨にふけった。申し訳ないという気持ちと、会社、ひいてはレーベル全体の意向を飲み込んでくれた大人の対応への感謝―。美緒の意思は全社挙げて応援する、そう伝えてほしい、と柚子に伝え、頭を下げた。
5 ファイナルライブ
ファイナルライブ。セットリストの全てを終え、一度幕が下りる。ツアーTシャツに着替えて最後の挨拶に向かう二人。今後の二人の活動もここではじめて発表する段取りだ。
「ここで、みんなにお知らせ。お姉さんの話、聞いてくれるかな。」
「なに~??」
ここまではライブで告知を行う際の定番のやりとり。だが、その後が違う。
「私、和泉美緒は基本的に引退します。」
会場騒然。女子に人気のある美緒、最前の女性ファンが「やだー」と叫ぶ。
「ありがとう。でも、みんなにはこれからも会えるよ。和泉美緒は、雪村ひまりの専属マネージャーとして、ひまりをもっと、もっと輝かせたいと思うようになりました。だから、こうして舞台に立つのはこれが最後。」
会場の沈黙の中、美緒の落ち着いた地声だけが響く。
「ツアーには同行するし、会場でみんなをお迎えするよ。だから見かけたら『美緒』って気軽に声かけてね。あとね、声優のお仕事だけは、マネージャーの合間に続けます。これからも応援してくれると嬉しいです。」
柚子が提示した「条件」はこれだった。「声優 和泉美緒」でありつづけること。
「美緒~ 大好きい」
さっきの女性ファンがそう言うと、会場全体から『みーおっ!みーおっ!』の大合奏。彼女のイメージカラーのグリーンのペンライトが振られた。それを見て大泣きする美緒。ひまりが駆け寄り、ぎゅっと抱きしめる。やがて顔を上げてひまりの左手を取り、それを高く上げた。
「みんな~、ひまりのこと、好きだよねーーー!!」
「だーいすきー」
「わたしも、だーいすきー。 ひまりがいなかったら、私、こんな舞台に立ててない。みんなが応援してくれなかったら、きっとひまりもここにいない。だから、これからも、ずっとひまりのこと、好きでいてねーーー」
今度はひまりコールとともに、オレンジのペンライトが会場全体を揺らした。
「さて、マネージャー 和泉美緒の初仕事。雪村ひまりのお仕事情報だよ! スクリーンに注目!」
10月放送スタートのアニメ「なんで猫の私がわざわざ異世界でアイドルやらなきゃいけないの?」で、3人組アイドルユニット〈Mao-Mi〉のリーダー、御食浦ひなたを担当することになりましたー。」
会場から割れんばかりの拍手。
「これで「み け う ら」って読むんです。でも、すごいのはここから。」
「なにー??」
「〈Mao-Mi〉の他の二人は、なんと飯塚楓香ちゃんと山添茉由ちゃんだ!」
ビッグネーム二人の名前に会場が沸く。
「まだまだ!ひまりと楓香ちゃん、茉由ちゃんの〈Mao-Mi〉は、リアルでもそのままユニットとして活動することになりました。だから、おひたんの次は〈Mao-Mi〉を応援してね!あ、でもチケット争奪戦不可避だぞ~。私はマネージャー特権で全公演観られるけどね。へへ、うらやましいだろ。」
爆笑で緊張の少しほぐれた会場に向けて、ひまりがマイクを取った。
「ねえみんな、私からも、大事なお話があります」
予定になかったひまりの一言に、美緒ははじかれたようなった。
「わたし、こういうお仕事をさせてもらっているのに、こういうこと言うの、だめかも、しれないけど。みんなを信じて言いたいの。」
いつも舞台で堂々としているひまりが震えている。美緒は全く受け身がとれず、ただただ彼女を見つめるしかなかった。
「わたし、ずっといやだった。美緒ちゃんのことを「雪村ひまりの噛ませ犬」「お荷物」っていう人。たぶん、〈Mao-Mi〉プロジェクトの話が発表されたら、『お荷物やっと下ろした』っていう人もいると思うんだ」
「ちょっとひまり、何言い出すの??」
美緒が慌てて遮ろうとする。
「みぃ姉っ、私の話が終わるまで、一歩もそこから動くな!」
普段全く見せないひまりの表情と口調に会場は静まりかえった。
「ね、私、本当はこんなに嫌な子なんです。年上の美緒ちゃんにこんな言葉遣いするの。でも美緒ちゃん、ううん、本当はいつもみぃ姉、って呼ぶの。みぃ姉はいつも優しくて、一生懸命で私の目標で憧れで。そんなみぃ姉が「噛ませ犬」とか、私のお荷物って何?意味わかんない。私は一生かかったって追いつかないよ。それくらい、みぃ姉は、すごいんだよ・・・」
しばらく涙で声がでなくなり、ほほを両手でぺしぺし叩くひまり。
「だから、今までネットでそう言っちゃった人、二度と言わないでください。お願いします。」
深々と頭を下げるひまり。静まりかえっていた会場が、さらに静まりかえる。美緒はその場で泣き崩れた。こんなにもひまりが傷ついていたことに気づかなかった自分が情けない。
「いうわけないよー」
凍り付いた会場の空気を破ったのは、くだんの最前の女性だった。「堰を切ったように」とはまさにこのことだろうか、会場は同意の歓声一色となった。
「みんな、本当にありがとう! そしてもう一つ、実はこっちの方が大事で、みんなに認めてもらいたいことがあります。」
いつもの「なにー??」は一切ない。会場は再び静寂につつまれ、ひまりの発表を待った。
「私、雪村ひまりは、和泉美緒さんと、お付き合いをはじめました。」
さすがに慌てて駆け寄る美緒。
「あ、みんな、ごめんね、これは・・・」
「みぃ姉、ごまかすな!ファンを信じようよ!」
「アイドル声優として、恋人の存在がファンを裏切ることになりかねないのはわかっています。でも、好きの気持ちは抑えられませんでした。だから、誰か一人のひまりにはなれません。ごめんなさい。それでも、応援し続けて、くれますか?」
会場はまたも静まりかえる。美緒ももはや何も出来ない。
この空気を破ったのは、今度は2階席の男性ファンだった。
「♪大好きなきみのためにGo Fight!エール送るよ~」
それはおひさまたんぽぽのデビュー曲「スコアブック」の冒頭だった。二人が出演した同名のアニメは、存続の危機にあった女子ソフト部を女子マネージャーが中心となって立て直す物語。彼が歌ったのはいわゆる「頭サビ」。そしてその声に反応したドラムが、オンビートのバスドラを鳴らせば、バンド全体が演奏をはじめる。客席は歓声ととともに総立ちとなって、「×Hi!×Hi!×Hi Hi Hi Foo!」とお決まりのコールをはじめた。驚きでへたり込んでしまったひまりに美緒が駆け寄り、背中を叩くと、ひまりは我に返って、美緒とともにこぶしを高くかかげてコールに合わせた。袖に戻っていたダンサーも舞台に戻ってきた。
笑顔と強さをわたしに いつも分けてくれて ありがと
でもほんとに分けてほしいのはつらい涙の方だよ
完封も KOも すべて刻まれたスコアブックは
きみの宝物 わたしのプライド
明日のページはきっと並ぶよK!K!K!K!
きみがつむいでく物語 私もいるよ 一緒に行こう
加速する夢に振り落とされないように
私を信じて 前だけ向け!Go Fight!
誰がはかったわけでもない。デビュー曲が、ラストにはファンからのアンサーソングとなったのである。最後は二人とも声にならなかったが、ファンが後押しの中で、ファイナルのファイナルは幕を閉じた。
終演後 撤収が終わってスタッフ一同が舞台に集まり、改めて二人から今までのお礼を述べた。その後、美緒からは、サポートメンバーに、新ユニットでも引き続き頼みたいと頭を下げるとみんな笑顔で頷いた。
「いや、交際発言びっくりしたけど、応援するよっ!」
ダンスチームリーダーの由奈がそういうと、みんなが二人に駆け寄って肩を抱いた。
ひとしきり続いた後で、美緒が厳しい口調で言った。
「ひまり、個人的には嬉しいけど、交際発言までは、やっぱ事務所にだまってやることじゃない。後始末は私がやるけど、柚子さんと社長に謝りなさいっ!」
「わたし、悪くないもん」
ひまりがべえーと舌を出す。美緒は珍しく怒りをあらわにした。
「ひまりっ! 少しは大人になりなさい!!」
そしてその場にいた柚子と社長に頭を下げた。
「申し訳ございません。私がしっかり言って聞かせますので、後で善後策を・・・」
ところが、社長が思いもかけない言葉を返した。
「いや、ひまりくんからはちゃんと事前に相談があったよ。」
柚子も笑いながらうなずいた。美緒は混乱して状況が飲み込めなかった。
「ただし、こうも言われたわ。「美緒さんには言わないでください」って。美緒、ひまりはあなたが考えているほど子どもじゃないって。もっと信じてあげたら?」
ひまりは美緒に近づいて、フリーズしている美緒の顔をのぞき込む。
「ほーら、みぃ姉、もっと信じてあ・げ・た・ら♪」
その声でようやく美緒は再起動した。
「ひ・ま・り、やりやがったなっ」
逃げるひまり、追いかける美緒。ほどなく美緒はひまりの背中を捕まえて、ぎゅっと抱きしめた。
「・・・もう・・・、ひまりのばか・・・」
ひまりは美緒の腕をするりと抜けてほほにキスをした。美緒が少し落ち着いたのを認めると柚子が
「はいはい、お二人さん。いちゃつくのは後でね。さ、みなさん、ここからは有料配信ですよ~。」
とからかう。由奈がそれに呼応して
「え?まじ? 配信買う買う!」
「しませんよっ」
顔を真っ赤にして美緒が否定する。
「由奈さんになら見せてあげていいよ、みぃ姉の恥ずかしいところ」
「ひまりっ」
ひとしきり笑ったところで、由奈が切り出す。
「でも、あたしたち、6年以上も一緒にやってきて、ひまりちゃんのいたずらっ子なところとか、美緒のあたふたするところとか、全然見たことなかったな。でもなんかますます二人のことが好きになった。嬉しいな、これからもサポートやらせてもらえるなんて」
サポートメンバー一同深く頷く。美緒が応答する。
「Mao-Miではどうしてもダンスの負担はひまりにかかってくるし、振り付けの一部はひまりが担当するの。だから、舞台裏でも助けてください。」
ダンスメンバーがひまりに駆け寄りハイタッチを交わす。その光景を見ながら、自分の人生を振り返った。両親の離婚、子役時代の苦悩、プロデューサーとの悪夢の一夜、フェードアウト、大学受験、諦めるための最後のオーディション、柚子との出会い、声優と学生の両立、そして、ひまりとの出会いと成長・・・ 中高時代の自分に伝えたい。きみの涙は、報われたよって。感極まって美緒はその場に泣き崩れてしまった。突然のことにメンバーが「大丈夫?どうしたの?」と駆け寄った。
「こんな温かいスタッフさんに囲まれて、すべてを応援してくれるファンの人がいて。子どもの時はつらかったけど、私のやってきたことは、まちがってなかったんだなって・・・」
「美緒、それは、あなた自身が引き寄せたものよ。その努力する姿勢、周囲を気遣う優しさ、みんなあなたを応援したくてするんだよ。」
柚子がそう言うと、由奈も
「あたしたちさ、一応ダンスのプロだからよくわかるんだよ。ひまりちゃんがあまりにすごくて、どうしても並んじゃうと厳しいな、って。でもあたしたちにもたくさん相談してくれて、頑張って、きっちり仕上げてくる。みんなで言ってたんだよ、美緒マジ神って。」
「そ、そんな、なんか恥ずかしいです」
「美緒、大好きだよ」
「あー、それ以上は由奈ちゃんでもダメだぞ」
「あはは、ひまりのことも大好きだよ。二人への『好き』はおんなじ『好き』だよ。」
「えへへ、じゃあいいや。私も由奈ちゃんのこと大好き♪」
美緒のはじける笑顔を見ながら柚子も救われる思いだった。
(美緒、本当によかったね。私の「好き」は違う「好き」だったけど、うん。それはもういい。ひまりとのこと、応援してる)
6 カミングアウト
人気美人声優、雪村ひまりの交際宣言、しかもそれが同性の和泉美緒というニュースは、アニメ業界だけでなく、メディア耳目を集めるには十分な話題だった。「ガチ百合尊すぎて死ねる」「相手が美緒じゃ俺たちの負け」。アニメファンの受け止め方は概ね好意的であった。事務所もある程度そこも想定した上でのGOだったのかもしれない。いわゆる保守派の論客と言われる人からは、有名人のカミングアウトは同性婚容認につながると警戒されたが、ひまりの人気の前では無力だった。逆に、二人をLGBTQ運動の旗印にしようとする人たちもあり、一部メディアその方向で二人を取り上げようとしたが、これに対しては、特別視しないでほしいというメッセージを美緒が注意深くコメントした。
「雪村ひまりは、ただ、特別なパートナーがいるということを宣言し、それがたまたま同性で相方の私、和泉美緒だったというだけの話です。なので、彼女が社会問題の意識を持っていたかというとそうではありません。でも、どんな属性の恋人でも「私の恋人です!」って胸張って言える社会はステキですし、社会もそういうベクトルになってきている、だからこそ私たちも何の迷いもなく言っちゃったんだと思います。大学でクイアの歴史に関する授業も受けましたが、先人たちのたゆまぬ運動がそのベクトルを作り上げてきたのですよね。今思えばありがたいな、と。
私たちがお仕事させていただいているアニメでは、同性同士の恋愛の話って、結構多いんです。好きになった人が同性であることで葛藤する話もあれば、その部分は本人も周囲も違和感なく受け止めているものもあったり、同性特有の、親友と恋人の中間のポジションを掘り下げる話もあります。私たちがまずすべきことは、そういう作品に命を吹き込んで、恋愛の様々な形をお見せすることによって、今のベクトルを逆方向にしないことかなって、そう考えています。実は今回の発表も、同性カップルっていう部分は全然気にもとめてなくって、『雪村ひまりに恋人が』をいつ切り出すか、ばかりに注意が向いていたんですが、それも業界全体がそういった作品を多くリリースしていて、同性の恋人も普通って思っているからかもしれません。ですので、これからも、このごく普通の一組のカップルを見守っていただければとても嬉しいです。」
ファイナルライブの後、つまり、交際のニュースが全国を駆け巡りはじめた頃、ひまりを先にホテルの部屋に帰して、美緒と柚子でメディア対応を打ち合わせていた。ひまりが事前に知らせていただけに、事務所も明日以降に備えて必要な手は打っていた。対応は基本マネージャーである美緒が担当、美緒自身に取材が向けられたら美緒の判断に任せる旨が確認された。
「芸能メディアはきっとあのことにたどり着くから」。
柚子が言っていた「あのこと」とは、事務所の陰謀でプロデューサーに体を提供させられた過去のことだ。社長が専門の弁護士を用意して対応に当たるとのことだったが、こういうものは被害者の方に心ない言葉がぶつけられるのが常だ。美緒は大丈夫と言ったあとで
「ひまりにも、知られちゃいますよね・・・」
「ひまりには先に伝えておいた方がいいよ。今のあの子なら大丈夫。」
美緒がホテルの部屋に戻ったとき、ひまりはベッドに力尽きて倒れていた。
(何が、今夜は寝かさない、よ)
と笑いながら
「ほら、メイクだけでも落としちゃいなさい。」
と声をかけた。
「みぃ姉、遅いよ。じゃあ一緒にシャワー浴びよう?」
「なに甘えてんのよ。先に行ってらっしゃい」
「やだ、行こうよ」
「やらしいことしないでよ」
「えへへ」
ひまりのセクハラを巧みにかわしながらシャワー室から出てきた二人。美緒をベッドに押し倒そうとするひまりを制して
「ねえ、ひまり、今までどうしてもいえなかったことがあるの。言ったら軽蔑されるんじゃないかって怖くて」
と切り出した。有名プロデューサーが直々に演技指導してくれるからと当時の事務所の社長に連れて行かれたのがプロデューサーの待つホテルの一室。何か飲み物を飲まされて、朦朧とする中で奪われた。はっきりとは覚えていない。でもおぞましい感覚だけはずっと残っている。ひまりは話の途中で何が起きたか気づき、怒りで体を震わせながら
「誰だそいつ、私がぶち殺す」
と叫んだ。
「みぃ姉、私、みぃ姉にも怒ってるんだよ。」
「うん」
「なんで私がみぃ姉を軽蔑するなんて思ったの?」
「・・・だって、やっぱホテルの部屋に入ったのは軽率だったかと・・・」
「なんでだよ!私、みぃ姉だから言ってるんじゃないんだよ。そういう時に女の子の方も悪い、なんて言い方するヤツ、頭おかしいって思ってるんだよ。私はね、パパやママに守られて、グローリーの社長さんも先輩もみんないい人で、嫌なことされたことなくて・・・」
感情がこみ上げてきてだんだんうまく話せなくなる。
「だから、そういう話 聞くと 余計痛くって 怒りがこみ上げてきて、許せなくって、ましてみぃ姉もそうだったなんて。わたし、気づけなくて、いつも脳天気にシアワセって顔して ごめん・・・ 」
そこまで言うと、もうことばをつむぐことができなかった。
「なんで? ひまりは本当に優しい子。人の痛みを感じられる子。大好きだよ」
「ううん?みぃ姉、すごすぎるよ。自分の痛みや苦しみを、全部優しさに変換しちゃうんだもん。誰にでも優しくって、たまにはちょっとヤキモチだけど、でもやっぱ、みんなに優しいみぃ姉が好き。」
そう言って美緒をベッドに誘った。
「ひょっとして、こういうの怖かった?」
「何言ってるの。先に襲ったのは私だよ。まあ、あのときはひまりに嫌われるためにやったんだけど。」
「へへ、作戦失敗、残念でした♪ みぃ姉、大丈夫?無理してない?」
「こういうのって、ホント不思議で。嫌な人だと、本当に最悪で、全身から反吐が出る感じなのに、好きな人とだと、これほど満たされて幸せなことがないくらい。だから、ひまり」
「うん、私が全部上書きしてあげる」
手を恋人つなぎにし、美緒の首すじに優しく唇をあてる。それだけで美緒の息づかいが乱れる。あの夜のおぞましさとは対極にある幸福感を全身で感じた。
雪村ひまりは今までも一般メディアに取り上げられたことがあった。でも和泉美緒はアニメ界から一歩離れれば全く無名の存在。それが今回のことでにわかに注目を集めた。メディアに対する落ち着いた知的な対応は、マスコミの興味を引き、テレビのワイドショーでは、こんな些か意地悪なフリップが作られて2人を比較した。
7 雑誌社との戦い
徐々に美緒の過去が掘り下げられていく中、柚子の懸念通り、美緒の過去にたどり着いた雑誌社があった。芸能人のゴシップをすっぱ抜くことで有名な『週刊文砲』だ。
雑誌社は直接美緒に取材を申し込んできた。柚子は弁護士に対応を任せるように言ったが、美緒は、二つの条件を承知してくれたら全部話す、と記者に答えた。一つめの条件は、女性の記者を必ず含めること、もう一つは事務所で話すということである。驚いたのは記者の方だった。いくらセミリタイアしたとはいえ、そのような過去を事務所である横浜グローリーに知られればダメージは必至だからだ。
「本当にここでお話を伺って大丈夫なんですか?」
大竹と名乗る、60前の男性記者は訊ねた。美緒は落ち着き払って
「大丈夫、とおっしゃいますと?」
「い、いや、事務所に過去のことを知られたら、まずいんじゃないですか?」
大竹は美緒を動揺させ、主導権を握る算段だったが目論見が外れてしまった。
「あ、全部社長に話してあります。社長ったら、激怒して、前の事務所と件の人物に訴訟を起こせ、費用は全部会社が持つ、なんて。まあ、私とマネージャーでなんとか取りなしましたが。あはは。」
大竹は、なかなか芽が出なかった美緒が過去に枕営業をした、という前提で取材を申し込んでいた。それは前の事務所、ユーリプランニングの社長に取材した時に聞いた話だった。とある有力者を誘惑して「既成事実」を作ったために解雇した、と。
「和泉さん、何か重大なことを隠していませんか?ユーリプランニングの社長さんに聞いた話とはだいぶ食い違っていますよ。」
大竹は反応を探った。美緒は特に動揺する様子もなく
「まあ、あの人だったら、多分、私が誘惑したから解雇した、とでも言いそうですよね。」
(とうとう墓穴を掘った。)大竹は内心ほくそ笑みながら続けた。
「多分和泉さんは、性暴力を受けて辞めた、と話しているんでしょうけど、その割には辞める時に告発もしていないし、こうやって芸能界にも復帰している。とても無理やり犯された10代の女の子のメンタルじゃない。全部話したっていっていましたけど、被害者だったのか加害者だったのか、その事実を隠せばそりゃ話せますよね。どうなんですか?」
―別室。実はこの取材の一部始終は全部カメラで筒抜けになっている―
「あいつぶち殺す!」
ひまりが出て行きそうになるところを柚子と弁護士が必死で押さえつけていた。
―応接室。主導権を取ったと思った大竹がさらにたたみかける。―
「あなた一体誰と寝たんですか?社長さんどうしてもそこだけは話してくれなかった。それさえ話してくれれば、記事にする時に枕営業のことはぼやかしますよ。いずれにせよ、大人が18歳未満と性交すれば条例違反だ。もし教えてくれなければ今のこと、全部ここの社長さんに話したっていいんですよ。いくらなんでもそれは困りますよね?」
「大竹さん、私を脅している、ということ、でしょうか。」
美緒はわざと途切れ途切れに返した。
「人聞き悪いなあ。脅すなんて。実際、あんたが枕やっていたかどうかなんかどうでもいいんだよ。僕がこのことを事務所にぶちまけて、あんたが解雇でもされれば、それはそれで売上げも伸びる。」
大竹の粗雑な態度に女性記者の寺門がことばを挟んだ。
「大竹さん、いくらなんでも、それやっちゃいけないことですよ。ごめんなさい、和泉さん・・・」
美緒はそのやりとりについに笑いをこらえきれなくなった。
「何がおかしいんだ。本気にしてないだろ!この変態レズ女。男でも女でもどっちでもいいのかよ!!」
その「大竹」という記者は小娘に舐められたことに激怒して机をたたいた。美緒は大竹には目もくれず、寺門にぺこりと頭を下げた。
「寺門さん、ありがとうございます。でも、私もまあ、おあいこですから。ふふ。」
そう言うと、何もないはずの斜め後ろを振り向いて
「遠山先生、斉藤さん。お聞きの通りです。ちょっと来ていただいていいですか?」
一分も経たないうちに、男性と女性が入ってきた。女性は美緒のマネージャーの斉藤柚子。男性は、胸に天秤のデザインの徽章をつけている。
「横浜グローリーの顧問弁護士の遠山と申します。今までのやりとりは別室で全てモニタさせていただいておりました。松村社長と和泉のパートナーの雪村ひまりさんも同室しておりましたので。大竹さん、あなたが松村社長に何をおっしゃろうが和泉はノーダメージです。」
「はあ?あんたら頭おかしいんじゃねえか?スキャンダルだぞ、スキャンダル!」
「大竹さん、モニタされているってことは、当然録画されてるってことですよ。性的指向を馬鹿にする発言はセクハラ、机を叩いて激昂するのはパワハラに、社内的にはなると思うのですが、御社はそうした取材を推奨されておられるのでしょうか?」
「録画」の二文字に大竹は血の気が引いた。ギリギリの取材でスクープを数多く取ってきた辣腕の記者だが、メディアのコンプライアンスが厳しく問われる令和の時代に、証拠を抑えられた記者を守ってくれるほど会社は優しくない。大竹はやっと言葉を絞り出した。
「社を挙げての口封じって、わけですか。あーあ、しくじったな。」
「大竹さん。これも、あのときの悪夢から学んだことなんです。」
帰ろうとする大竹を美緒が呼び止めた。
「あの夜の後、社長に呼び出されて、証拠がないんだから、告発なんかしたら逆に名誉毀損で訴えてやるって脅されて・・・。だから何かあったときのために証拠だけは残しておきたかったんです。 私、あのとき、売れなかったけど、お芝居、好きだったんです。なのに、男の人見るのも怖くなって・・・」
「じゃあ、あんた、本当に無理やりされたのか。憎くないのか?」
気丈に振る舞っていた美緒も、その時のことを思い出して涙を浮かべた。
「悔しくないわけ、ないじゃないですか・・・・・・ でも、今の事務所でようやく自分の居場所や大切な仲間を見つけられて、雪村ひまりにも出会えて、ようやく、あの夜を封印することができたんです。」
寺門と名乗る30代半ばくらいの女性記者は、美緒の表情を凝視していた。そして
「和泉さん。もしあなたがこの話を封印し続けたいなら、もう私たちは手を引きます。不愉快な思いをさせてしまってごめんなさい。でも、もし許せない気持ちの方が強いのなら、私たちがそいつを追い詰めます。ただ、そのためには、ターゲットがわからなくては。」
「ええ、わかっています。相手は魔野翔一郎。相当な大物ですから周辺も含めて固めないと、逆に訴えられかねません。」
魔野翔一郎 と聞いて大竹の視線が上がった。一時期ほどの勢いはなくなってきたものの、アイドルからテレビドラマまで幅広く手がける大物プロデューサーだ。
「そっちの方が、おもしれえじゃねえか。」
大竹はぼそっとつぶやいた。過去に魔野のスキャンダルを暴こうとして証拠不十分で訴えられた過去がある。
「和泉さん、無礼を働いて申し訳ありません。寺門、和泉さんの話はお前が聞け。俺は魔野を徹底的に調べる。弁護士さん、社長さん、それでいいですか?」
松村も入室して記者二人に応諾を伝える。ひまりはというと、女子職員に取り押さえられている。大竹は女性記者の寺門を残して先に事務所を出た。寺門は、美緒以上に涙を流しながら美緒の話に聞き入った。その様子を見て美緒は
「寺門さん、なんか、かえって、すみません。でも、身内以外に話すの初めてなのに、共感してもらえて、ありがたいです。それだけで、取材していただいてよかったです。」
と頭を下げた。寺門は
「私より十歳も年下なのに、なんというか、ただただ尊敬。自分が辛いのにその優しさ、気遣い、どうしたらこんないい子が出来るのかってくらい。私、実はアニメ好きで、和泉さんの出ている作品も観てますけど、リアルで『地学部で悪いかっ!』のさっちゃん先生だな、って」
「地学部で悪いかっ!」は前のクールで放送された学園もので、美緒は暴走気味な部員たちをやんわりとサポートする優しい先生の役で出演した。美緒は、アニメファンしか知らないような作品の名が不意にこの女性記者から出てきて、驚きとうれしさを隠さなかった。
(美緒ちゃん、あなたの過去を救ってみせる、絶対に!)
寺門は、美緒の柔らかな笑顔にそう誓った。
8 新プロジェクト始動
取材から2週間後、『週刊文砲』の見出しに「大物芸能プロデューサー、新人女優を次々「供物」に要求!」の文字が躍った。二人の渾身の取材よって明らかになったことはこうだ。
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魔野翔一郎は中小規模のプロダクションに対して、テレビの出演枠と引 き換えに、所属タレントを差し出させていた。「供物」に選ばれるのは、プロダクションからは「戦力外」と見なされていたタレントで、パワハラその他の手段で引退させられていたために、今まで明るみにならなかった。しかし今回、図らずも和泉美緒がクローズアップされ、彼女もそうやってプロダクションに「供物」として捧げられた30人近くの被害者の一人だということがわかった。美緒はそのときのSNSでのやりとりを消さずに残しており、それが蟻の一穴となった。
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『週刊文砲』の二人は美緒にフォーカスせず、「多くの女性を食い物にした悪徳プロデューサー」という軸で記事にした。美緒の方も、魔野や旧事務所に対して慰謝料も何も求めず、「被害者の会」にも加わらないとした上で、民事裁判になった時は証言などの協力は惜しまないと記者会見で述べた。被害者に配慮する姿勢と、案件の長期化の回避の両立を選んだのだった。美緒への取材はまもなく止んだ。テレビ局からもなんとなく疎まれていた魔野は、これによってメディアの一斉砲撃を受けて力を失った。ちなみに、この縁がきっかけで美緒は寺門と親しくなり、後に『週刊文砲』で声優関連のコラムを連載することになる。
一連のメディア対応が落ち着いてほどなく、二人は改めてお互いの親に挨拶し、同じマンションで暮らし始めた。そして10月からの秋アニメ、「なんで猫の私がわざわざ異世界でアイドルやらなきゃいけないの?」→「ねこドル」に合わせて、新ユニット〈Mao-Mi〉のイベントの準備もはじまった。メンバーの飯塚楓香も山添茉由もかなりの売れっ子なので、スケジュール調整が難しかったが、とにかく3曲仕上げなくてはならない。美緒自身も振り付けを覚えて、少しダンスに不安のある楓香の個人練習に出向くこともあった。
ある日の全体練習
「楓ちゃん、ちょっとうちの美緒ちゃんとデートしすぎだぞっ!」
ひまりが冗談めかして言うと
「ひまりはできるからいいじゃない。私ダンス苦手だよぉ。」
「あたしが教えてあげるよ」
「やだ、ひまり、うまいけど教えるの下手だもん。美緒さんって、やっぱ頭いいよね。むっちゃわかりやすい」
「ひどい、それって私がバカだってことじゃん!」
「うん、あえて否定しない」
ひとしきり3人で笑った後で、ふと山添茉由が二人に顔を近づけて
「ねえねえ、こんなの思いついたんだけど、どう思う?」
「いい!絶対いいよ!美緒ちゃんと事務所には私が言うから。」
その日の夜。
「みぃ姉。メンバー3人から、イベントのコーナーの提案なんだけど。」
「時間的には余裕があるから、自由にやっていいよ。」
「やった♪ あのね」
ひまりは茉由の提案を話した。美緒は戸惑って
「え、ちょっと待ってよ。それやれっていうの? ほら、きっと柚子さんもだめって・・・」
「あ、OKだって。」
「ひまり!また私にだまってやったわね。こうしてやる」
美緒はひまりにタオルケットを被せてベッドに押し倒してくすぐった。
「あははは、やめて、おなか、ちぎれちゃう~」
ひまりは笑い転げながら許しを請うた。美緒は手を緩めてタオルケットを外し、軽くキスをした。
「茉由ちゃん、なんでそんなこと思いついたんだろうね。」
「みんなね。みぃ姉が好きなんだよ。そりゃ私はちょっと焼きもちだけど、私の大好きなみぃ姉をみんなも好きってのは、それはやっぱ嬉しいな。ね、やろうよ。」
「わかったわよ。ふぅ。大丈夫かな・・・」
「とりあえず、しよ♪」
「なにどさくさに紛れて、あ、こら・・・」
9 Mao-Mi起動!
―そしてイベント本番。美緒はマネージャーとして物販のフォローをする。
「いらっしゃいませ、〈Mao-Mi〉のお披露目イベントにようこそ!」
「あ、美緒ちゃんだ♡。おひたんのラストライブも観に行きました!」
「ありがとうございます♪。今日も楽しんでいってくださいね。」
「ひまりちゃんを思い切り応援します!」
さすがに人気声優3人のユニット。横浜アリーナを瞬時にソールド・アウトにして1万3千人のファンを迎えた。美緒はひまりを袖で見守る。
「ひまり。ここからきみの第二章だよ。」
幕が開き、1曲目のイントロが流れるとセンターに立つひまりにみんなの注目が集まる。「ステージでは、やはりあの子の隣は私じゃもったいない。でも、一番近くにいるのは紛れもない私・・・」
美緒にとっても第二章のはじまりだ。様々な思いが去来する中で1曲目の番組EDが無事終了。
「みなさーん、こんにちにゃ~、御食浦(みけうら)ひなた役の雪村ひまりです!」
「にゃ、なんて言いませんことよ。雉子之泉(きじのいずみ)まりえ役の飯塚楓香です!」
「相変わらずまりえは頑固だにゃ。玄賀根(くろがね)こばこ役の山添茉由です!」
「わたしたち、Mao-Miですっ!」
「いよいよはじまったね。「なんで私が異世界に行かなきゃいけないの?」。一話はもう見てもらえたかにゃ~?」
「こらあ、ひなた!タイトル雑に省略するにゃ!「にゃんで猫の私#$%&&‘’あわわわ、噛んじゃったにゃあ。」
「まったくもう・・・、ひなたさん、あなた、それでは略して「ねこドル」にならないでしょう?こばこさんは相変わらずヘタレ、ですわね。タイトルは「なんで猫の私がわざわざ異世界でアイドルやらなきゃいけないの?」。会場の下僕ども、おわかりになって?」
「いずみ!にゃんてこと言うにゃ?お客様に失礼だにゃ!」
「あら、人間が猫の下僕なんて、常識中の常識ですわよ。ねえ?下僕ども」
(さすが楓香ちゃんと茉由ちゃん、お見事だわ・・・)
「会場の下僕ども」以下はアドリブだ。飯塚楓香のアドリブを山添茉由がぱっと拾って楓香に投げ返す。さすがに女性声優人気ランキングの2トップ、イベントにも慣れている。この二人に肩を並べること、これが雪村ひまりの次の目標だ。
「このアニメは猫がアイドルになる話だよ。OKですか?以上、アニメの紹介でした~」
「ちょっとひまり?何?その雑な紹介。完全に御食浦ひなたが乗り移ったでしょう。」
「まさか、自分が主役なのに、ろくに設定把握していないとか?」
「ひどいなあ、そんなことあるわけないでしょ?」
「じゃあ、スクリーン見て。私の演じるこのキャラクター苗字のこの字(雉子之泉)はなんて読む?」
「楓香ちゃん、私のこと馬鹿にしてるでしょ!それは、え?え??いつも『まりえちゃん』としか出てきてないから、え、あれ?? じゃあ逆に聞くけど」
「おいおい、逆質問か?」
「スクリーン見なさいよ。私の苗字(御食浦)は読めるの?」
「みけうら でしょ?」
「く、くやしいっ」
「ああ、あんな字書くのか。初めて見た」
「え?茉由ちゃんまで何言い出すの? これはちょっと「ねこドル」の勉強をしなくちゃだめね。」
「うーん。勉強はいやだなあ。」
「ひまりがそう言うと思って、今日は絶対拒否できない先生をお呼びしたよ。」
「え?誰?」
「みおせんせい~」
まさかの美緒登場というサプライズに観客はどよめいた。
「みなさん、ご来場ありがとうございます。雪村ひまりのマネージャーの和泉美緒と申します。」
「「申します」って、さすがに美緒さんのことみんな知ってますって。ねえ、みんな?」
会場から大きな拍手が美緒に向けられる。「先生役でイベントに出てよ」と言われた時は、引退宣言したのにいいのかな、と戸惑ったが、ファンの声援は素直に嬉しかった。
「実はこれ、茉由ちんの発案なんだよね」
「うん、だって先生の資格持っているし、私たちのダンスの先生もしてくれたし。ぶっちゃけみんな大好きな美緒さんをひまりちゃんに独占させるの許せないし。」
「こら、みぃ姉に手を出すな!」
「へえ、ひまり、普段はみぃ姉、って呼んでいるんだ♪」
「あ、いや、美緒ちゃん・・・」
(さすが飯塚楓香。すかさずその一言を拾うか・・・この競争の激しい声優界で上がってきただけのことあるな)
「はーい、もうチャイム鳴ってるよ。その話はあとで。授業始めます。」
「あ、美緒先生、ごまかした。」
「おしゃべりしていると廊下に立たせるわよ。さて、みなさんのユニット名は」
「はいはいは~い、Mao-Miです!」
「ひまり、あなた本当に話を聞かない子ねえ・・・Mao-Miですが、その名前の由来って知ってますか?」
「え? それガチで聞いたことないよね。茉由、ひまり、聞いたことある?」
「ねこの、鳴き声?」
「うーん、もとをただすとそうなのかもしれないけど。これは中国語ね。」
「へえ~」
「猫は中国語でも「猫」って書いて「マオ」って発音なの。「ミー」は猫の鳴き声で「咪」って書くの。二つ合わせて「猫咪」は「にゃんこ」くらいの意味かな。
「すごい。ガチの授業だ。さすがリアル先生。」
・・・・・・
出番も無事終わり、再びマネージャーとして袖に控える美緒。全て順調に進み、OPを歌って終了だ。出だしはひまりのソロで入るが、数多くのライブをこなしたひまりに不安はない。
「♫ 歌は きみの翼 翔べ~」
当面の目標である飯塚楓香、山添茉由を逆に従えて、センターで躍動するひまり。トータルではまだ一歩届いていない。ひまりに翼を与えるのは、自分だ。
―私、ひまりのおひさまになれるんだ。目立たないけど、日本一のたんぽぽを輝かせるおひさまに―
ビッグネームのユニット結成で、連日取材の嵐となった。アニメも好調でレーベルA-Projectの上層部も期待通りの成果に満足だった。思わぬ副産物もあった。例の「美緒先生」がことのほか好評で、「教えて!美緒先生」と題して、公式サイトでショートムービーが毎週公開されることとなった。
(すぱっと引退、とはいかなかったか。でも、ありがたいな。ファンって。)
アニメの1クールが終わり、ユニット活動も少し落ち着いてきた頃、美緒はかねてからの計画を実行しようと決心した。
「ねえ、ひまり。大事な話があるの」
「なーに、改まっちゃって。まさか別れようとか言わないよね。」
「それ。別れよう。」
絶対にあり得ないと思っていた一言がいきなり飛んできてひまりに突き刺さる。
「う、うそ?? 」
「ごめん。前々から決めていたことなんだ・・・」
「なんで!!私が悪い子だから??ずっとがまんしてたの?何が悪いの、ねえ、一生懸命直すから、ねえ、言ってよ。やだやだ、だったら殺してよ」
ひまりは取り乱して美緒の胸に頭を何度も打ち付ける。
「いい子だから、聞き分けて。あなたのためなの。だから、別れて。半年間。」
「私のために別れるとか、なんだよ・・・ え、はんとし・かん??」
「もう、最後まで話を聞かないんだから・・・」
美緒はひまりの体を起こして続けた。
「私ね ロンドンで演劇の勉強をしたいと思っていて、このプロジェクトが軌道に乗ったら半年間休職して留学しようと決めてたの。そこで演劇指導の基本を教わって、私やひまりのレベルアップが出来たらなって・・・ごめんね。ちょっと寂しい思いさせちゃうけど。しばらく別れよう。」
それを聞いてひまりは力が抜けそうになったが、怒りがそれを持ちこたえた。
「ふざけんな! そういうの「別れよう」って言わないんだよ!絶対わざとだろう!なんだよ、あたし・・・死ぬほどびっくりしたんだぞ」
「あはは、ごめんごめん。まさかあそこまで」
「じゃあ、私が別れようって言っても『あ、そう』で流せるのかよ。もう知らない。みぃ姉の顔なんか見たくないっ!!出てけ!」
あまりの怒りように今度は美緒が動揺して思わず背中に抱きついた。
「ごめん、ひまり・・・ 「別れる」なんて死ぬより怖いよね。私も、ひまりと別れるとか、これっぽっちも考えなくて、だから100%冗談にしか思えなくて・・・」
「えへへ、ウソだよ。引っかかってやんの」
そういうひまりの顔は、涙でぐちゃぐちゃである。
「ひまりはウソつきだ」
美緒はそう言うと、ひまりに口づけ、唇で涙をぬぐった。
「二度とやるなよ」
ぼそっとつぶやいたひまりの耳元で美緒がささやく
「しないって。大好き」
美緒は、自分より5センチ背の高いひまりをお姫様だっこでベッドに運んだ。
「みぃ姉、力、強いよね。あたし、それ無理だ。重いし」
「顔引っ張るぞ」
そう言うと美緒は唇をひまりの耳元に近づけて、ゆっくり首筋へと動かした。
10 未来のわたしは
翌日、美緒はひまりとともに出社し、休職願を持って柚子と社長に相談した。柚子は前にも相談を受けていたので援護射撃に回る。
「社長、美緒の留守中の業務は私が引き受けますので、美緒の夢を叶えてあげてください。」
社長の松村は、しばらく考えて
「この休職願は受け付けられない。」
と突き返した。ひまりが口を開く。
「何でですか?私も寂しいです。でも、美緒さんが、私の成長のためと言ってくれて納得したんです。どうかお願いします。そうしないと、私、Mao-Miを・・・」
「まあ、最後まで話を聞いてくれよ」
松村はひまりを制して続けた。
「休職は受け付けられない。和泉さん、きみに半年間のロンドン駐在を命ずる。」
「え? それって??」
「実はきみの希望は斉藤さんから聞いていた。きみには業務として、ロンドンのしかるべき教育機関で学んでもらう。そしてロンドンやパリのマンガ・アニメイベントの調査もあわせて行ってもらいたい。業務なので定期報告と、Mao-Miのオンラインミーティングにはできる限り参加してほしい。給料は当然満額出すし、住居費と学費は会社が負担する。どうかな?行ってくれるか?」
思わぬことばに美緒はその場に泣き崩れてしまった。
「・・・そんな、私にそこまでしてくださるのですか?私なんて、何の力もないのに・・・」
「何を言ってるの?美緒、あなたが周りにどれだけのことをしてくれたか、どれだけの人を救ってくれたか。 世の中は残酷で、いい行いをした人が必ずしも報われるわけじゃない。あなたは今までさんざん辛い思いをしてきた。私だって、おひさまたんぽぽの時は辛い思いをさせた・・・せめて、私の手の届くことは、してあげたかった。」
「和泉さん、勘違いしちゃ困るんだが、会社は慈善事業じゃなんだから、きみへの贖罪めいたことで今回のことを決めたんじゃないんだよ。きみはいつも努力し、そして成果を挙げてきた。役者とマネージャーの二刀流も立派に果たしている。しかも語学も堪能だ。会社はきみに期待している。そのための投資は惜しまない。胸を張って、行っておいで。」
出発当日。ひまりだけでなく、スケジュールを調整して飯塚楓香と山添茉由も見送りに来た。
「ひまりちゃん、ごめん、お邪魔だった??」
「茉由ちん、実は本当にみぃ姉狙ってるだろう。」
「あはは、金髪美女に取られないように、毎日通話するんだぞ。」
「美緒さん、ひまりは私たちががっちりガードするんで、どうか安心して行ってきてください。ミーティングはできるんですよね?」
「ありがとう。本当にいいチームになったね。うん、リアルで会うのは半年後だけど、定期ミーティングはやりますよ。」
「じゃあ、最後の1時間はひまりにあげるんで、私たちは先に帰りますね♪」
ーーーーーー
「やっぱさびしいな。みぃ姉に触れられないって」
「私もよ。ひまり。でも、その分、ちゃんと進化して帰るから。」
「・・・うん。私も、あの二人に負けないから。」
柱の陰で最後のキスをして出発ゲートに移動。制限エリアに向かう美緒の背中をに向かってひまりが叫んだ。
♫大好きなきみのためにGo Fight!エール送るよ~
その特徴ある歌声に周囲がひまりに気づき、少し騒然となった。
「あれ? 雪村ひまり??」
(あのバカ、少しは自覚を持ってよ・・・)美緒はマスクの中の顔を真っ赤にする。
「あ、美緒ちゃんだ。」
ファンと思われる女子が手を振る。美緒がしばらくロンドンに行くことは、ファンには知られていることだった。
「がんばれ~」
その子が叫ぶ。もう一度頭を下げたときに
「すみません、前に進んでいただけますか」
「はい、すみません。」
係員に促されて保安検査場に向かう美緒の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。ひまりと別れるのがつらいのもあるが、それ以上に嬉しかった。自分を応援してくれる人がこんなにもいるんだ。辛かったあの頃の自分に何度でも伝えたい。
未来の私は しあわせだよ
<了>