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ものがたりを書いてみた(4)     史帆と香苗 第二章~10年ぶりに再会したおさななじみの女の子二人が恋をして、やがて別々の進路を歩みはじめ、もう一度出会うまでの物語。



0 プロローグ 再開し、気持ちを伝え合った二人の女の子が、再び別々の道を歩みはじめるはなし


 わたしは佐野史帆(さのしほ)。今年の四月から国立茗荷谷女子大学附属高校に通っている16歳。うちの高校は、まあ、女子の中では最高峰などと言われている。しかし、世間でイメージされがちな、受験以外目もくれないという校風ではない。先輩たちを見ていると、行事に命をかけているし、先生方はむしろ受験対策など愚の骨頂とばかり自分の専門領域の話をする。それでも進学実績がすごいのは、ぶっちゃけポテンシャルが高いのだと思う。

 わたしは早くに両親が離婚し、ママとわたしの二人家族。ママは大学の先生で、私立の名門、應稲大学の准教授だ。ただ、うちみたいな母子家庭は珍しい。両親揃って医者とか、父親が高級官僚とか、誰でも知ってる大企業の社長とか・・・そんなにカネ持ちなら国立に来るなよって思うけど、居心地はいい。一芸に秀でている子が多くてむっちゃ刺激になるし、話していて退屈しない。何より必死になってマウントを取ろうとしてこない。そう、教育長の娘程度で女王様気取りになって潰れ、廃人同様になった舘崎ゆりかみたいなヤツが存在しない。きっと自己肯定感が高いから、マウントを取る必要がないのだと思う。わたしは、というと、中学時代は普通の公立だったけど、模試で全国一桁とかたたき出していたけど、それ以外に対して自慢できるものもない。正直クラスメートや先輩たちの方が、経験値の厚みが違う。

中学時代はぶっちゃけ周りとはなじめなかった。ただ二人を除いて。一人は、織田みすず。いじめを助けてあげたことがきっかけで仲良くなった。人生最初の親友。こいつは埼玉県の名門、大宮女子に進学した。もう一人は、そう藍田香苗。わたしの王子様。小学校の時、いじめられていたわたしを助けてくれたヒーロ。わたしの引っ越しで離ればなれになったのだけど、中三でもとの小学校の学区に戻り、そこで再び出会った。わたしは香苗をずっとお想い続けていた。まさか香苗もそうだとは思わなかった。わたしたちは、気持ちを確かめ、体を重ねた。

でも、香苗とわたしはこれから全く別々の道を歩む。わたしは横浜の郊外に引っ越して東京の進学校に。香苗は、地元から40分くらいの大宮で、美容師の資格の取れる単位制の学校に通うことになる。学費も何も、全部香苗がバイトや奨学金でなんとかしなくてはならない。そう。私の恋人の家は、家庭というセーフティーネットが完全に崩壊しているのだ。

香苗は、自分がわたしの隣に立てるまで会わないと言った。香苗の決意はわたし思ってくれてのこと、それは嬉しい。でも、怖い。毎日が楽しくて充実していて、わたしの中で、あのときの香苗の体温が薄れていくのがわかる。いくら通話しても、メッセージを交換しても、わたしの中の香苗が、非日常になっていく。それをさせないために、香苗を誘惑した。一線を越えさせた。香苗に刻印を押した。でも、わたしは、彼女を傷つけるだけ傷つけて、いなく、なる?

さびしい。香苗、会いたいよ。これ以上わたしがわたしことを嫌いにさせないでよ・・・

**************


あたしは藍田香苗。母親を名乗る女と二人暮らし。ところがこいつがヤクザ同然の男を取っ替え引っ替え家に上げる。また何かクズみたいなヤツが上がり込んでいる。まあ、前のヤツはあたしを欲望の対象にしやがったが、今度のヤツはひたすらカネにしか興味がなく、あの女の財布からカネを抜いてはケンカしてる。

親がこんなだから、あたしは担任から嫌われ、クラスのヤツからは白い目で見られる。毎日生きてるのか死んでるのかわからない日常。でもそんな日常は史帆が戻ってきてくれて一変した。小学校1年の半年だけクラスにいた、ボブのよく似合うあたしのお姫様。史帆をいじめる男子はナイト気取りであたしがいつも蹴散らしていたっけ。史帆はどうしようもないクズに成り果てたあたしをすぐに見つけてくれたのに、あたしは恥ずかしくて知らないふりをした。でも史帆を目で追う毎日、これが恋だと気づくのに時間はかからなかった。舘崎と担任とのクズ不倫の件をきっかけに史帆と親密になり、気持ちを伝え合うこともできた。でも、あたしみたいなどうしようもないヤツが史帆の隣にいていいんだろうか、史帆は気にするなとはいうけど、やっぱ、今のあたしじゃ史帆の人生の邪魔にしかならない。

何の目標もなかったあたしに、ヒントをくれたのは、唯一の友だちの織田みすず。だから、頑張って美容師になるまで、史帆とは会わない、いや会えない。史帆が待ってくれるかどうかはわからないし、縛っちゃいけないけど、あたしなりに、頑張ってみる。


史帆は、あたしのことを待ってくれるといった。それは嬉しい。でも、やっぱ史帆を縛っている。高校の話を楽しそうにしてくれる史帆、でも思い知らされる。はっきりいって、空っぽのあたしには、彼女を受け止められないということを。彼女が離れてしまうまで、あどどのくらいの時間が残されているんだろう・・・



1 憧れの先輩~尊敬する先輩を追いかけて、親しくなって、香苗への気持ちが曖昧になっていくはなし~


入学して1年がすぎた。さすがにぶっちぎりの学年一位なんてわけにはいかなくて、でもそれがとても心地よい。上には上がいる、今まで味わったことのない知的刺激。クラブ活動はのんびり文芸部、適当に集まって本を読んで書評を述べ合う。創作をする子もいる。

香苗は、大変そうだけどちゃんと二年になれたみたいだ。朝は美容師の勉強、夕方からはサポート校の高校の授業。家では全然勉強できないから、図書館に行ってるらしい。土日はバイト。おばあちゃんがこっそり残してくれたお金はあるけど、それはいざというときにこれ以上手をつけなくないとか。

会える時間はないけど、それでもわたしにメッセージくれたり、通話してくれたり。本当に尊敬している、わたしの王子様・・・


2年生になってクラス委員に立候補した。目立つことが大嫌いだったわたしにとって、生まれてはじめてのこと。まあ、手を挙げればみんな喜んでやらせてくれるのだけど。私が委員になりたかったのはただ一つ、生徒会長の祁答院(けどういん)由香里先輩みたいになりたいと思ったから。先輩は鹿児島の大財閥のお嬢様。強力なリーダーシップで学校から様々な権利を勝ち取り、生徒の悩みも気軽に相談にのってくれる。うちの学校は文化祭でミュージカルをやるんだけど、圧倒的支持でトップスターのポジションに。もう、なにもかもカッコイイ。先輩の任期は3年の1学期までだから、4ヶ月くらいしかないけれど、文化祭の運営を通じて、先輩からいろいろなことを教わりたい。

最初の全体会が終わって、早速由香里先輩に話しかけた。

「わたし、全然目立たないし、祁答院先輩みたいな行動力なくて、隅で縮こまっているだけだったんです。でも、助けたい人がいて、そのためには、自分から攻めなきゃだめだと思って・・・先輩を見ていて、どうしたら先輩みたいになれるのかなって」

「ふふ、ありがとう。でも目立たない、って、それは佐野さん自身が、自分へのまなざしに気づいてないだけじゃないかしら?」

わたしは思わず顔を上げた。

「いつも丁寧に掃除してるよね。うちの学校、女子校だからみんな掃除なんか適当だし、ジャージも教室の隅に放り投げられてたりするけど、佐野さんは別に怒るわけでも真面目ぶるわけでもなく、淡々と、自分の役割に忠実で。わたしね、特別教室を一人で掃除している佐野さんをたまに見かけて、この子が生徒会に入ってくれたらな、ってずっと思っていたのよ。だから、とっても嬉しい♪」


確かに わたしは他の友だちがサボっていることはなんとも思っていない。誰かに評価されたいわけでもない、そこに仕事があるから、やっているだけだ。でも、見ていてくれる人がいるのは、やっぱ嬉しい。しかもそれが憧れの由香里先輩だったなんて・・・


「え?佐野さん??大丈夫??」


わたしは不覚にも床に座り込んでしまった。腰が抜けてしまったのだ。気分でも悪くなったのかと心配して、由香里先輩はわたしの顔に顔を近づけた。


どきどき わっ なにこれ・・・ 


「は、はい、大丈夫、です。憧れの祁答院先輩に、見つけてもら!“#$%&‘(’)」


「もう、なんで緊張してるの? ねえ、じゃあ、まずその「祁答院先輩」っていうの、やめようか。由香里さん、くらいでいいわよ。みんな下の名前で呼んでるし。えっと、私も・・・


「しほ、佐野史帆です!」


「じゃあ、史帆ちゃん、でいいかな?」


「はい!」


それから、わたしはほとんど由香里先輩のストーカーと化した。短期間に先輩から吸収できるものを全て吸収したかった。企画の立て方、上との交渉、タスク管理・・・わたしがなんとなくやってきたことを、先輩はきれいに言語化してくれる。むっちゃ嫌なヤツって思われそうだけど、わたしはここに来るまで、自分に知的刺激を与えてくれる生徒に会ったことがなかった。この学校に入って、仲間たちと出会って世界が広がった。そして、その頂点が由香里先輩。

5月、中間テストが終わった週末、先輩に、地域コミュニティへの挨拶回りに誘われた。わたしは二つ返事でOKし、町内会や子ども会、福祉施設などに行って7月下旬の文化祭の説明を行った。大人たちに対して臆することなく、でも変に気負うこともなく、しなやかに協力を要請していく。お年寄りに対する気配りも忘れない。先輩のすごいのは、「気を配る」ことはしても「気を遣う」ことはしないことだ。だから自分も相手も自然に笑顔になる。


―わたしもこんなふうになれたら、香苗みたいな境遇の子にもっと手を差し伸べられるのにー


その後で先輩に誘われてカフェに。ちょっと贅沢してアフタヌーンティーの、あの3段に積み上がっているやつを注文。先輩は慣れた手つきで紅茶をわたしに注いでくれる。2時間近く、途切れることなく会話が弾んだ。


「史帆ちゃ~ん!」


店を出て、地下鉄の入り口に向かって並んで歩いていたとき、後ろから声が聞こえた。


「みすずじゃん、よくわかったな。 あ、先輩、こいつ、わたしの中学校の友だちで織田みすずっていいます。」


「こんにちは。祁答院由香里といいます。佐野さんとは生徒会の仕事を一緒にさせてもらってるの。 織田さん、その制服は大宮女子ね。あそこの文化祭もおもしろいのよね。将来は交流会もできたらいいな。」

「わたし、一応生徒会副会長なんです! 嬉しいな。史帆ちゃん、こんなところで超絶美人とデートとか、隅に置けないな。あはは。じゃあね、わたしこっちだから。またメッセージ送るね!」


「楽しい子ね。うふふ。デートか。そんな風にみえたのかしら」


「あいつほんと空気読むってこと知らないんで、いや、昔は違ったのですけど、 ホント失礼なこと言って・・・」


「なんで?全然。むしろ嬉しいわ。そうよね、うん。デート、悪くないわ」


「デート」。みすずが投げた何気ない一言。そのときは特に何も気にしなかった。みすずも私も女子高、よくある女子高のノリだ。でも、わたしには、香苗というカノジョがいる。香苗はわたしにとって唯一の恋人。それは間違いない。仮にわたしがヘテロで、香苗と由香里先輩が男の子で、香苗というカレシがいながら、由香里先輩とここまで距離を詰めて、二人っきりで出かけてお茶して、普通に手もつないで、時にほほを寄せたり、見つめたり・・・、。わたしも香苗もヘテロではない。少なくともLGBTのB,いや、わたしは完全にLだと思う。じゃあ、これはなんなんだ。確かに香苗とはキスをし、その先もした。先輩とはもちろんそんなことはしていない、でも、香苗はなんて思うのだろうか・・・


その不安を一掃したかったので、久し振りに香苗と通話した。朝早くからバイトだから、10分だけ。いつもの安心感のある、落ち着いた声。


その声の響きをアーカイブして、香苗の写真を見つめて、わたしは妄想に耽る。本当に下品な女だと思う。要するに、男がいう「オカズにする」と大して変わりがない。たぶん普通の女子高生はこんなことしない。中学校の頃から、ときどき衝動が走る、そうなるとコントロールできない・・・

 しばらくして、疲れからか意識が朦朧としてきた。再び妄想する、キスされて、愛撫されて・・・ 由香里先輩・・・

え??? 

今、わたし、なんで由香里先輩のこと!? 

違う違う、香苗、香苗だろ??? 

それから、わたしは一睡も出来なかった。


放課後、正直生徒会室への足取りが重かった。

活動終了後、いつものように由香里先輩に呼び止められた。

「史帆ちゃん、最初のときに、「、助けたい人がいて」って言ってたわよね。その話、ききたいなって。」

わたしは香苗のことを一気に話した。昨日のことを払拭したかったのもあった。弱い立場の人に優しい先輩に、「史帆ちゃんならきっとその子を幸せにできるわ」と言ってほしかったのかもしれない」


「ねえ、史帆ちゃん。幼なじみと恋人同士って、とてもすてきなことね」


よかった。由香里先輩に話してよかった。


「ねえ、これからわたし、過去一厳しいこと言うよ。


本当にその子、香苗ちゃん、だっけ?を一生のパートナーにできるのかしら?香苗ちゃんは史帆ちゃんを成長させてくれる子なのかな? 一生の友だちとして、サポートしてあげるのと、人生のパートナーとして、お互いを成長させつつ歩んでいくのとでは、意味あいが違うような気がする」


先輩は本当にものごとを言語化するのが得意だ。わたしをいつも不安にさせ、蓋をしてきたその思い。こんなに的確に言語化されたら、もう太刀打ちできない。わたしはその場で泣き崩れてしまった。


「史帆ちゃん?」


先輩はそういうと、人差し指をそっと私の唇につけ、その指を自分の唇につけた。



2 希望と絶望―夢を家族に絶ちきられ、香苗が自暴自棄になるはなし


 早朝はバイト、それから専門学校とサポート校。こんな生活をはじめて1年が経った。めちゃくちゃ大変だけど楽しい。あたしは何かに本気になるなんてことは今まで一度もなかったから。それが史帆に出会って、みすずとまた友だちになれて、あたしは変われたんだと思う。史帆もとっても楽しそうだ。ぶっちゃけあたしみたいなバカと一緒にいるより楽しいだろうな。でも、素直に嬉しい。史帆が幸せであることが、あたしにとって一番だから。

今は史帆には頼りたくない。あたしが史帆の隣にいていいように、成長したあたしを見せたい。家は相変わらずクソ。母親を名乗る女が今度連れてきた男は、あたしには全然興味がないのは助かるが、完全にヒモだ。あの女の財布からカネを抜いて、どっかいって、あとは知らん。

バイト先は学校の紹介で美容院。学校が始まる前の清掃とサポート校が終わってからの閉店準備。土日は一日入れてもらっている。これと奨学金があれば、ばあちゃんのこっそり残してくれた貯金に頼らなくてすむ。店長もスタッフもみんな優しい。今まで信頼できる大人なんて、ばあちゃんと、教頭先生、それと、例の舘崎の事件で助けてくれた、文部科学副大臣のおばさんだけだったから、世の中も捨てたもんじゃないのかな、と思えるようになってきた。

一学期も後半に入ったある日、学校の事務から呼び出された。

「ごめんね、まだ学費が納められてないんだけど、おうちの人に聞いてもらえる?」

あれ?あの女が払っておくと言ってたから、あたしは振込用紙とお金を渡して置いた。忘れてたのか。

 母親を名乗る女は、いわゆる「夜職」だ。大宮のスナックや風俗店を適当に転々としている。ばあちゃんはスナックのママだった。ばあちゃんはあたしには優しかった。

「香苗、ごめんよ、あんたのかあちゃん、あんなふうにしちまったのは、ばあちゃんだよ。いいかい、困ったときはこれをお使い。絶対かあちゃんに見つかるんじゃないよ。通帳もハンコも、いつも持ち歩くんだよ」

どんな仕事だって、立派な人もいれば、どうしようもないクズもいる。それは夜の仕事でも変わらない。ばあちゃんは多くの人を笑顔にする立派な人で、その娘は男に貢いで依存するだけのクズだ。ばあちゃんのスナックにはたまに遊びに行ってた。あの女の店は行ったことがない。でも、学費の件は緊急だ。あたしはあの女の店に乗り込も、無理やりあいつの手を引っ張って店の外に連れ出した。


「学費が払われてないって、どういうことだよ。もういいや、今すぐ返せ。あたしが払う」

 「うるさい!そんな話今するな」

「お前ほとんど家にいないだろ、いいから40万すぐ返せよ。バッグに入ってるんだろ」


「おい、なにやってんだよ!」


店から男が出てきた、あたしの家に転がり込んできてるヤツで、この女はヤツのことをジュンと呼んでいる、愛人という依存相手だ。ヤツの顔を見るまで、あたしはもう一つの可能性を考えなかった。


「あんた、まさかあたしの学費の40万、持ってってないよな?」


「あ?知らねえよ。美歌子のバッグにあったカネならもらったがな」


「それ、あたしんだぞ、返せ!」


あたしがつかみかかろうとすると、あの女の拳が飛んできた。

「何生意気いってんだ!ジュンちゃんは今カネが必要なんだよ。親が子どものカネを使って何が悪いんだい! そうだ、あんた、美容師なんてできっこない夢みてないで、デリヘルやってカネ稼げ。今月中に500万だ。わかったな」


捕まりかかったところを猛ダッシュで逃げた。大宮の駅で、帰る方向とは逆の電車に乗った。なんの目的もなく。


あたしは思い知った。どんなにあがこうが、どんなに好きな人が手を差し伸べてくれようが、これが現実だ。史帆の隣に立とうなんて、どうかしてた。


もう、いいよ 全部わかったよ・・・


なんとなく新宿で降りた。なんとなく、盛り場の外れにある公園でぼうっとしてたら、50歳くらいの男が近寄ってきて、万札を2枚出してきた。めんどくさいので

「5枚じゃなきゃやだ」

と適当にふっかけて追い払った。


はずだった。でもその男、本当に5枚出してきて、あたしの手を引っ張った。


もう、どうでもいいや どうせあたしの人生、こんなもんだったんだ


ホテルに連れ込まれて、そいつがやりたいようにさせてやった。この時のあたしは動物ですらない。単なるモノだ。あたしが悦んでいると勘違いして満足している。こんなヤツの欲望を満たすだけの人形


幸い、そいつは終わった後でさっさと帰って行った。吐きそうになりながらシャワーを浴び、ベッドに寝転がって天井を眺めた。

これが、本当のあたし。なんでわすれちゃってたんだろう。史帆が好きって言ってくれて、運命変わるんじゃないかなって、バカじゃないのか


生まれてはじめてリスカした。ちゃんと死ねよ。どこまでクズなんだ、あたしは・・・


まだ薄暗い中、ホテルを出た。路地裏で女の子が叫んでる。みるとあたしと同い年くらい、男がその子に暴力を振るっている。


こんな所にいるからだよ

あたしは知らんぷりして通り過ぎた、その時


「かなえ〜 朝だよ!今日も頑張ってバイトいくよ~」


朝5時のアラームがなった。史帆に声を吹き込んでもらったやつだ。


「てめぇ女の子殴ってんじゃねえぞ!」


なぜかあたしは引き返していた。相手は男、油断したらボコられる。正確にみぞおちに膝蹴り食らわせて、かがんだら顎にも膝蹴り。倒れたらヒールで股間を潰してあとはひたすら腹を顔を踏みつける。コイツが弱いやつで助かった。

 女の子はいつの間にかいなくなり、コイツはぐったりして動かなくなった

殺っちまったか?まあいいや、死刑にでもしてもらお

「今、男をボコってきた、死んじゃったもしれねえから、死刑にしてくれ」

お巡りさんは、わけわからんって顔してたけど、あたしと一緒に現場に行ったら、男がまだうんうん呻ってたんで、ようやく事情を理解した。

「なんだ、まだ生きてんのか、これじゃ死刑にならないな。お巡りさん、拳銃貸して」

お巡りさんはあたしの頭に軽くげんこつを落とした。優しいな。実は世の中の大人って、優しい人の方が多いのかな、あたしの周りがクズだっただけで


女のお巡りさんがあたしを迎えに来て、警察署で取り調べをした。あたしはなるべく罪が重くなるように、少しウソをついた

「カネをふんだくろうと、テキトウに弱そうなやつを狙ってボコっただけだよ。」

あたしはそれきり何も話さなかった。お巡りのお姉さんには悪いが、何も考えたくなかった。でも、次の一言で早くも破られた。


「じゃあ、とりあえずお父さんかお母さんかに連絡していいかな?」


「ちょっとそれだけは止めてくれ」

「うん、そっか、心配かけたくないもんね」

あたしはその一言にキレた。いや、たぶんこのお姉さんは、あたしがこの一言にキレるってわかっていたんだと思う。

「ふざけんなよ!あんな親だからあたしはこうなったんだ!! 昨日なんて言われたと思う? 体売ってカネ稼げ!だぞ!」

「やっと本気になってくれたね。よかった。香苗ちゃん、絶対悪い子に見えなかったから」


「あんたに何がわかるんだ!!」



史帆を受け止める資格もないのに、キスして、それ以上して。なのに意味不明に体売って、これが悪い子じゃなくて、なんなんだ・・・


警察署に一日拘留されて、鑑別所に送られた。


弁護士を名乗るおばさんがあたしに会いにきた。詳しいことは教えてもらえなかったが、あたしの罪はたいしたものにはならないだろうと言っていた。どうもあのときの女の子が警察に行って全部話したらしい。余計なことしやがって。想像だけど、ボコったヤツも逆に逮捕されたんじゃないかな。

このおばさん、毎日あたしに会いに来る。最初は鬱陶しいと思ったけど、なんか優しい。そう、史帆のお母さんの友だちの、文部科学副大臣の人みたいだ。史帆もこういう人になるのだろうな。史帆のそんな未来、見たかった


「ねえ、香苗ちゃん。今日は会ってほしい人がいるの。」


「母親を名乗る女なら、嫌ですよ!」


「違うわよ。逆に来ても会わせません。」


あたしはその言葉に安心した。誰だろう?


「香苗ちゃん?やっほー」


みすず??




3 親密と恋愛の境界線(1)由香里先輩に誘われて ~史帆があこがれの由香里先輩の家にお泊まりするはなし~


 家に帰っても、由香里先輩の指の感触が唇にずっと残っている。わたしの手に指をあててから、その指を自分の唇に当てているから、厳密にはわたしは間接キスをしていない。でもさすがのわたしにもわかった。由香里先輩がわたしをただの「かわいい後輩」以上の気持ちを持っていたことを。


「明日、うちに泊まりに来ない?」


仲良しの女子同士でお泊まり。何の不自然もない。お菓子食べて、おしゃべりして、疲れたら一緒に寝て。わたしには香苗というカノジョがいるけど、クラスの友だちたみすずの家に泊まりに行ったこともある。今回が決定的に違うのは、由香里先輩のあの仕草が、ほとんど告白に近いものだということだ。これ、断れなければいけないやつだ、直感的にそう思った


「はい。お邪魔します」


何でOKしたのか、わたしのどの部分がそう言わせたのか。心?脊髄??


だって、先輩はわたしの憧れで、ずっと追いかけていて、尊敬していて・・・ 大好きな人だし、別に男の子じゃないんだから、別に浮気じゃないよね?


わたしはずっと言い訳を探していた。だんだん詰まってきて


だって、香苗が全然会ってくれないんだもん・・・


夜に香苗にメッセージを送った


「ねえ、由香里先輩に 告られた っぽい」

「どんなに遅くてもいいから、通話して」

「ねえ、先輩の家に来ないかって、誘われているんだけど」


既読すらつかない


「なにも言ってくれないと、先輩の家に行っちゃうよ?」

「ねえ、香苗は別にいいの?」


お願いだから、行くなって言ってよ、そうでなきゃ、わたしは 自分にあらがえない・・・


結局 既読がつくことはなかった


由香里先輩の家は、なんか目のくらむようなタワーマンションの最上階。ホテルの受付みたいな人に深々と頭をさげられた。最上階とその一つ下の階の全フロアが祁答院家の所有というから、もう別世界である。

 

「別に二人っきりってわけじゃないから、安心して」


確かにメイドさんが何人かと、統括する年配の女性がいる。しかし、いかんせん家が広すぎて、先輩の部屋に入ったら大きな声を出しても声が届きそうもない。なんか変な意識をしながら、見たこともない豪華な夕食と眺望にふわふわしてしまった。

 先輩の部屋は上階フロアにあり、うちのリビングダイニングの3~4倍くらいの広さはある。大きな本棚とグランドピアノ、そしてキングサイズのベッド。そこには大きな熊のぬいぐるみが鎮座している。わたしはどれも珍しくて完全に挙動不審になっている。先輩はそんなわたしの様子を見ておもしろがっている。


「由香里お嬢様、お風呂ご用意できています。いかがなされますか?」

スマートスピーカーから年配の女性の声。


「ばあや、ありがとう。すぐにいただきますね。史帆ちゃん、一緒にどう?」

「え?え?」

「そんな、別に恥ずかしがらなくてもいいじゃない。温泉とか、いかないの?」


いや、そういう問題じゃないって。わたしの理性が・・・


「いや、先輩、窮屈じゃないですか?二人一緒なんて」

「うちのお風呂、そんなに狭くないわよ。お給仕さんもよく何人かで一緒に入っているわ」


唯一絞り出した言い訳があっさり摘み取られてお風呂に。わたしが小さい頃住んでいたアパート全室より広いんじゃないか?これ。


メイドさんの更衣室を兼ねているという脱衣所、先輩の均整の取れた美しい肢体が露わになる。思わず「きれい」の一言が漏れ出てしまった。


「ふふ、やっぱ ちょっと恥ずかしいわね。でも史帆ちゃんも、脱がないと入れないわよ」


こんなきれいな人と並ぶってほとんど拷問


「へえ、やっぱ着痩せするタイプなのかしら、まあ、柔らかい♪」

みすずの所謂「無駄についてる胸の脂肪」に先輩の手のひらが当たる。みすずにはなんどもいじくり回されたが、先輩に触れられると緊張する。この先は


でも結局わたしが妄想するようなことは起きず、おしゃべりしたり、極上の夜景を眺めたりしてゆっくり過ごした。わたしは緊張していた分、段々無防備になり、湯船の中で先輩の肩にもたれかかってうつらうつらしてしまった。


「大丈夫?のぼせちゃった?? そろそろ出ようか」


ふわふわした気分のまま先輩の部屋に戻り、髪を乾かしてもらった。それから小さい頃のアルバムを見せてもらいながら、先輩の話を聞いた。鹿児島のお屋敷、祁答院家のこと、お母様を早くに亡くして、「ばあや」と呼んでいた女性に育てられたこと、一人娘として後を継ぐことを宿命づけられているので、今は好きなことをさせてもらっていること、などなど。わたしのような庶民にはわからない悩みもあるんだな。


深夜になり、縦でも横でも寝られるような大きなベッドにいざなわれ、ベッドサイドに腰掛けた。

「今日は本当にありがとう。史帆ちゃんとこうしてゆっくり過ごして、夢みたい」

そういうと、わたしの肩を抱いて、軽く引き寄せた。いや、引き寄せた、というより、ちょっと肩に触れただけだったのかもしれない。それでもわたしは先輩の肩に体を預けた。


「史帆ちゃん、嫌なことは、しなくていいのよ。でも、してほしいと思うことは、全部して あげたい」


お酒を飲んでいるわけでもないのに、意識が朦朧としている。どうやらわたしは目を閉じて先輩の顔に唇を近づけたようだった。唇が2回触れて、3回目は舌が触れあった。そのまま先輩をいざなってベッドに倒れ込み、先輩の手や唇の動きを感じた。先輩が時々わたしの顔を覗き込む。わたしが触れてもらいたいところを確かめているかのように


わたしはどうやらそのまま眠ってしまったようだ。朝、目覚めたら、わたしのパジャマだけがはだけていた。慌てて整えると先輩も目覚めた。


「おはよう、史帆ちゃん。よく眠れた?」


「おはようございます。由香里先輩。昨日は、なんかすみません。いつの間にか寝ちゃって」


先輩はかぶりを振って微笑んだ。

「着替えたら、朝ご飯にしましょうか」


そのとき-


4 親密と恋愛の境界線(2)あこがれの先輩との一夜を後悔しているところを、親友に見透かされて抉られるはなし


「史帆、ほら、休みだからっていつまでも寝てんじゃねえぞ!起きろっ!」


スマホから香苗の声が聞こえてきた。いつもセットしているアラームだ。


なにやってんだ、わたし・・・




由香里先輩と一夜を過ごした翌朝、香苗の声を吹き込んであるアラームにわたしは動揺した。泣き出したわたしに先輩が駆け寄り、わたしの背中を抱きしめた。


「ごめん、ごめんさい。それ、香苗ちゃんよね?どうしても史帆ちゃんがほしくて、史帆ちゃんのためとか言い訳してひどいこと言って、わたしを慕ってくれてる史帆ちゃんの気持ちにつけ込んで、こんなに史帆ちゃん傷つけて・・・ わたし、なんて愚かなの??」


「違います! 先輩がわたしを好きってわかっていて、わたしが、誘ったんです・・・、ごめんなさい・・・」


わたしはスマホを投げつけかけて、思い直してもう一度だけメッセージアプリを見た。やはり未読のまま


「先輩、いいんです、香苗とはもう終わっていますから・・・」


そう言うと、わたしは先輩をベッドに押し倒した。乱暴にキスして、パジャマのボタンに手をかけた」


「待って怖い!!」


先輩のことばにわたしは弾かれた。 


――どこまでわたしはバカなんだ――


「ごめん、史帆ちゃん、もう大丈夫。香苗ちゃんと何があったかわからないけど、でも史帆ちゃんの心の中に香苗ちゃんがまだいるなら、わたしはもう、こんな愚かなことはしない。だから、許して・・・ これからもせめて一先輩と思って話しかけて・・・ おねがい します」


帰り道―

きっと香苗は気づいていたんだ。わたしも実は先輩が好き(?)になった、ってこと。香苗への好き、と先輩への好き、違うと思っていたのに、違わなかったのかな?自分でも全然わからない。でも、少なくとも、香苗にはそう受け取られた。だから、そっと身を引いたんだ。どこまでも優しい香苗。香苗裏切って、先輩傷つけて、もう死にたいよ・・・ 


そのとき、着信が入った。みすずからだ。

「史帆ちゃん、どうしてる?香苗ちゃんのことで話したいことあるんだけど、いいかな」


織田みすず、わたしと香苗を結ぶかすがい、わたしの無二の親友。こいつのことも裏切っちゃったな。きっとわたしを軽蔑してくれるだろう。そしたら、少し気が楽になる。

「みすず・・・ ありがとう、今まで。わたしなんかの友だちでいてくれて」

「史帆ちゃん?どうしたの??」

「わたしさ、もうお前に顔向けできないよ。最低の人間」

みすずの声のトーンが急に変わった

「史帆ちゃん、今どこにいる?」

「家だけど」

「今からそっち行く。先生に、申し訳ないけどこれからお邪魔したい。って言っといて。

先生、とはうちのママのことだ。

「いや、学会で帰ってこないんだけど、どうして?つか、もう7時前じゃん、お前の家こそ大丈夫なのかよ」

「大丈夫。史帆ちゃんのピンチって言ったら、お母さん、絶対許してくれる。あ、大宮まで送ってくれるって。だったら90分で着くから」

「ピンチって、何の話だよ?」

「ごまかしたって無駄だよ。これ、直接会ってあげないとダメなヤツだ。わたしの直感がそいう言ってるの。絶対逃げちゃダメだよ!」


こういうときのあいつは本当に鋭い。イヤなやつ。 でも、ありがとう。


 90分後、本当にみすずがやってきた。


「どうやってこんなに早く来たんだよ」

「新幹線乗り継げば余裕だよ♪ さて、まず史帆ちゃんの話から聞くよ。」

「待って、先にみすずの用件を言ってよ」

「んー。その方がいいか。あのね、香苗ちゃん、女の子助けようとして、男の人ボコボコにしちゃって、やり過ぎちゃって、少年鑑別所にしばらく入っているの。」

 

私は絶句した。恐らく通信機器は取り上げられている。既読がつかなかったのはそのせいだ


 それからみすずは、香苗に何があったか話した。親に学費を使い込まれ、あまつさえ体を売れと言われ、自暴自棄になって新宿に流れて、たまたま女の子が男に暴力振るわれてるのを見て、その子が自分と重なって、我を忘れて殴りつけた、と。ほとんど何も話さない香苗から、担当の弁護士がようやく聞き出したのがみすずの名前。で、その弁護士がどうにかみすずを探し出した、とのことだ。


「でも、結局みすずなんだね、わたしじゃなく。やっぱわたしじゃ、香苗の特別になれなかったんだ」


「違うよ。特別だから、話せないんだよ。」

みすずのことば、わたしは最初意味がわからなかった


「わたしね、舘崎たちのおもちゃにされてた時、こんなみっともない私を大好きなお父さん、お母さんに見せられないって。だから、塾のお金を渡していた時も、本当のこと言えなくて、ますます孤立して・・・ 史帆ちゃんだって、香苗ちゃんとのこと、全部佐野先生に話せる?」


さすがに香苗と一線を越えたことだけは、話してない。別に悪いことをしているわけじゃないけど、余計な気遣いさせるようで、まだ無理だ。話したのは、このみすずにだけ。


「さ、次は史帆ちゃんの番だよ」


私は昨日のことを含めて、先輩とのこと、自分のよくわからない気持ちのこと、全部みすずにぶちまけた。

「みすず、今まで本当にありがとう。でも、わたしって、こんなに最低なヤツ。だから、軽蔑して、いっそ絶交してくれ」


「本当に最低なヤツだな。自分が最終的に責任取らないように立ち回って、相手にさせるように仕向けて、それで傷つけました。ごめんなさいって言って逃げる。なんなの?ホント軽蔑するわ。来て損した」


(全部お前の言うとおり・・・これは全部わたしがまいたタネ)


「なーんて、言ってあげると思った?」


え?


「史帆ちゃん、きっとわたしに傷つけてほしいんだよね。その方が罪滅ぼしになるから。でもだめだよ。その十字架、ちゃんと背負って前に進まなきゃ。わたしが舘崎たちのおもちゃにされてた時、わたしは全部自分のせいにした。弱いんだから仕方ない、弱みを握られちゃったから仕方ない、奴隷でも何でも、この人たちと一緒じゃなきゃ自分を守れない、そう言って、未来から目を背け続けたの。だからせっかく手を差し伸べてくれた史帆と香苗ちゃんにもひどいこと言っちゃった・・・史帆ちゃんも、位相は違うけど、香苗ちゃんと会えないから、憧れの先輩だから、いろんな理由をつけて、女の子同士の親密な関係と恋愛っていう、難しい問題から逃げようとしている。」


ぐうの音も出ない・・・

「史帆ちゃんの親友、やめてあげないから。ちゃんと苦しみな」


「ごめん、ごめんね、みすず・・・」


「あたしに対しては、『ごめん』じゃないぞ。史帆ちゃん、おいで♪ 香苗ちゃんや由香里先輩に怒られない程度に、慰めてあげよう」

そういうと、みすずはわたしを自分の胸に抱きしめた。

「大丈夫、史帆ちゃん。史帆ちゃんがもし香苗ちゃんではなく、由香里先輩を恋人に選んでも、恋愛だもん、それは仕方ない。人の感情なんて、きれいごとだけではいかないよ。香苗ちゃんにだってダメなところはたくさんある。でも、香苗ちゃんは、いつだって史帆ちゃんの幸せを願ってる。だから史帆ちゃんが心からの選択をしたなら、それは受け止めてくれるよ。きっと逆の選択をしても、由香里先輩だって、傷つくかもしれないけど、史帆ちゃんのことを本当に好きみたいだから、きっと受け止めてくれる。傷つけた事実ときちんと向き合っていさえすれば。わたしはね、どんな史帆ちゃんでも、史帆ちゃんが史帆ちゃんであるかぎり、史帆ちゃんの味方だよ♪」」


「ありがとう、みすず。お前の背中、本当に広いな。大好きだよ」


「ほほう、背中、ときたか💢 わたしの格付けダブルAの胸をいじったな!史帆ちゃんが無駄に胸に脂肪つけてるだけだ。なにがEだよ。そんなの企業だったらとっくに倒産じゃないか!」


みすずに首を締め付けられて、二人で笑った。久しぶりに、腹の底から、笑った。


「軽口たたけるようになったね、史帆ちゃん。よかった。少し落ち着いたね。ねえ、BLと百合を500冊は軽く読んでるわたしから言うとね」

「お前、そんなに読んでんのかよ」

「同性同士の恋愛は難しい。異性のように徐々に距離を詰めていくのとは違って、気が合えば一気に近くなっちゃうから。間違いなくいえることは、香苗ちゃんも、由香里先輩も、史帆ちゃんのことが大好きで、その『大好き』の意味で揺れている。だから一つお願い。」

「なに?」

「どちらを選ぶにせよ、またどちらも選ばないにせよ。完全に関わりを断つことはしないで。もう一度関係を作っていって。」


わたしは、もう一度みすずの背中-いや胸だった-胸に顔を埋めて、うなずいた。


―――――――

5 不良少女 再び前へ ~自暴自棄になって鑑別所に入った香苗に、親友が手を差し伸べるはなし~


「香苗ちゃん?やっほー」


みすず??


女の子に暴力を振るっていた男を殴り飛ばして、なんかむかついたんで、げしげし踏み潰して気絶させた。鑑別所に入って何日か経ったところ、いきなりみすずが面会にやってきた。


「弁護士さんから聞いたよ。香苗ちゃん、さすが、大活躍だったじゃん。」

「いやいや、あたし、捕まってんだぞ。つか、おばさん、なんでみすずに連絡したんだよ!」


どうやらこの弁護士のおばさん、わたしが話した友だちの名前、「織田みすず」だけで、うちの中学に行って教頭先生に経由で突き止めたらしい。


「ちょっと、教頭先生にも知られちゃったってことかよ・・・ あたし、もう会えないじゃんか」


「香苗ちゃん、何言ってるの?私はちゃんとここにいるわよ」


「教頭先生!?」

「香苗ちゃん、今は校長先生、だよ」

そうだった。舘崎ゆりかがここにいる織田みすずをいじめてた事件で、隠そうとした校長はクビ、あたしのことばを信じて解決してくれた教頭先生が、今、うちの中学の校長先生になってる。


「先生、ごめんなさい やっぱり、だめでした。あたし・・・」


「なんで?ぜんぜんダメじゃない。確かに、一番いいやり方じゃないけど、知らんぷりして通り過ぎるより、勇気出して助けてあげたのは、さすが香苗ちゃんだわ。」


先生の優しさが、逆に辛い。もう取り返しがつかない。

「でも・・・、もう学校行けないし、せっかく頑張ったのに、あたしの心が弱いから」


「お金のことね?払えなかった分は私が払っておいたよ。50年かけて返してくれれば大丈夫、あ、その頃には死んじゃうか ははは。」

「え、そんな、先生にそんな迷惑かけて・・・、それに無断欠勤しちゃって店長やスタッフの人にももう・・・」

「それはきちんと謝りなさい!本当に心配してくれてたのよ」


弁護士のおばさんが外へ出た。誰かを呼びに行ったようだ。


「店長!?」


「なにやってんだよ。早く店に戻ってこい!」

「え?で、でも・・・ 」

「まだ子どもにくせに、人に迷惑をかけない、なんてとんでもない思い上がりだよ。いいんだよ、いくらでも迷惑かけて、もっと俺たちに迷惑かけろよ。ばかやろう!」


あたしはもう、何も言葉が出てこなかった。どれだけ泣いただろう。そして、絶望以外で泣いたのは、多分、生まれてはじめてだ・・・

あたしは自分の狭い世界の中の範囲での可能性しか知らなかった。親がだったら、もうあたしに未来なんかないんだって、あたしに手を差し伸べてくれる人なんかいないんだって、もしいたって、その手をとったらその人が不幸になるんだって、ずっと、そう思っていた。そうじゃない世界っていうのが、あるんだ、甘えてもいいんだ、はじめてそう思った。

弁護士のおばさんは、どうやら母親を名乗るあの女にも会ったらしい、そして、「話にもならない、親権停止の申し立てをするからあたしに話を聞きたい」と言った。難しいことはわからないけど、要するに2年間親に縛られずに生きられるようにしてくれる、2年立てば18歳だから、あいつと完全に切れる、そんなことらしい。そんなことが本当にできたら夢のようだ。


「校長先生が里親さんになって、店長さんも身元保証人になってくださるんだって。よかったね。」

「すみません、なんにも返せないかもですが、よろしくお願いします。」


差し伸べてくれた手を取って、人生リベンジするんだ


結局3週間で鑑別所を出た。


あたしが殴った男は、やはり児童買春と暴行で捕まったらしい。そして、店長が店の倉庫を片付けて、あたしが寝泊まりできるようにしてくれたそうだ。あの家に帰らなくてすむ。それだけでどれだけ心が安まるか。

みすずが来てくれた。「スマホの電源はわたしが来るまで入れちゃだめだよ」と言われていたので、返却されても入れずにいた。電源を入れてみると、案の定史帆からの大量のメッセージ。

「ねえ、由香里先輩に 告られた っぽい」

「どんなに遅くてもいいから、通話して」

「ねえ、先輩の家に来ないかって、誘われているんだけど」

「なにも言ってくれないと、先輩の家に行っちゃうよ?」

「ねえ、香苗は別にいいの?」

「嫌いになったのならはっきり言ってよ!」

    ・・・

 「ごめん、香苗を裏切った、わたし」


 「みすずがうちに来てくれた。なんで既読がつかなかったか聞いた。辛いときに、力になってあげられなかった、ごめん・・・」

 

最後のメッセージを読んで、あたしは泣いた。人が一杯見ているのに、何にも見えない。みすずにすがって、ただただ泣いた。みすずはじっと、あたしを抱きしめてくれた。

そのあとで、ペアで入れる個室のネットカフェに入った。史帆に何があったのか、みすずが話してくれた。

「ねえ、香苗ちゃん、史帆ちゃんのこと、好き?」

わたしは黙ってうなずく。なんで今さらそんなこと聞くんだろう…

「それは、どんな「好き」?」

どんな?「好き」にどんなもあるのか? しばらく考えていると、みすずはあたしの顔を覗き込んできた

「ねえ、わたしのこと、好き?」

「そんなの、今さらわかってんだろ?」

「ちゃんとことばにして♪」

「みすず、大好きだ」

「嬉しい♪」


え? おまえ、なんでいきなりキスしてるんだよ!??


「えへへ、香苗ちゃんの唇、もらっちゃった。実はね、史帆ちゃんともキスしたの。だから、香苗ちゃん、史帆ちゃんと間接キス、だよ」


「おいおい、史帆に怒られなかったか?」


「驚いていたけど、『ノーカン』だって。 じゃあもっかい。史帆ちゃんのことは好き?」

「それは…、好き、を超えてる気がする」

「よくできました♪ 香苗ちゃん。女の子同士の「好き」って難しくって、史帆ちゃんは今、それで苦しんでる。香苗ちゃんが特別なのに、あこがれの先輩への「好き」が、どんな「好き」なんだろうって。相手が男の子なの違って、何をした、だけではわからないんだよね。今、わたしが香苗ちゃんに「大好き」のキスをしたように」

「…そうかな?男なんか好きでもないヤツと平気でカネ払ってヤるじゃん」

「あー、ごめん、男はサルだから、気持ちとカラダが別々なんだよ。そうじゃなくて、友だちと思える男の子の話」

「いねえな。」

「じゃ、この際男はどうでもいいや。史帆ちゃん、尊敬する先輩が出来て、先輩のこともっと知りたい、自分のこと知ってほしいって思って、ずっと一緒にいるようになったの」

「うん。それは史帆がとても楽しそうに話していたな。いつも由香里さんの話。」

「香苗ちゃん、どういう気持ちだった?」

「どうって…史帆が幸せそうで、よかったな、嬉しいな、って…」

「それだけ?」

みすずがあたしの顔を覗き込んた。

ホントはちょっと嫉妬した。でも、あたしじゃとても由香里さんの代わりなんかできない。

「嫌だな、と思ったら、そう言った方がいいんだよ」


みすずは本当に人の気持ちに敏感だ


「史帆ちゃんが何の遠慮もなく香苗ちゃんに話したのって、自分の楽しい気持ちを香苗ちゃんと共有したかったからだよね。だって香苗ちゃんは恋人、由香里先輩はあこがれの人。でも、手に届くあこがれの人って、どんどんその人のことを知りたい、自分のことを知ってもらいたいって思うから、恋人との距離とあまり違わなくなってくる。由香里先輩は、自分のことを好きといって距離が近づいてくる史帆ちゃんを愛おしく思って、だんだん気持ちがよくわからなくなってきた。多分、由香里先輩ってとってもモテると思うけど、史帆ちゃんみたいな子に会ったのははじめてだったんじゃないかな。で、香苗ちゃんの「好き」と同じになっちゃって、史帆ちゃんも、もともと憧れていた人だから、キスしたり、それ以上するのも抵抗できなかったんだと思う。だからね」


みすずはあたしの目をまっすぐ見つめた


「本当は、それ以上は近づいてほしくないと思ったら、そういった方がよかったんだよ」


「うん、でも、史帆を縛りたくなかった。史帆が望むこと、全部応援したかった」


「それが、ほかに好きな人が出来ることになっても?」

「だって、あたしじゃダメだって、ことだろ?」

「難しいことはいわないよ。わたしのお願い、二つ聞いてくれる?」

みすずのまっすぐで透き通った目。舘崎たちに脅されていた時とは全く別人だ。あたしはしばらくみすず目に吸い込まれ、やがてうなずいた。この親友の頼みなら、何でも。

「史帆ちゃんと恋人じゃなくなったとしても、 一つ、勉強は続けて、美容師の夢を叶えて。二つ、史帆ちゃんと、友だちでいつづけて」


「みすず。あたし、もう中学の時と違う。あたしを応援してくれる人がいるんだってわかった。史帆が、たとえあたしを選ばなくても、史帆があたしのこと好きだったことは変わらない。史帆が、『なんでこんなヤツ好きだったんだろう』って思わなくていいように、あたし、頑張れる。」

「もう一つは?」

「もちろん、あたしから切ることはしない。でも、恋人だった人とつながり続けるのは、由香里さんとしてはつらいんじゃないかな。」


「うん、無理強いはしない。でも、もう少し史帆ちゃんに時間をあげて」

「わかった」


わたしはみすずをぎゅっと抱きしめた。あたしをずっと気にかけてくれた、大切な、大切な友だち。


「なあ、みすず。おまえ、学校の先生になったら?おまえみたいな先生なら、きっと多くの生徒が救われるんじゃないかな?」


「えー、考えたこともなかったな。でも、香苗ちゃんがいうなら、前向きに考えてみよ♪」




6 最後の約束~ 史帆が恋人と憧れの人と、二つとも手放してしまうはなし~


「すみませ~ん」


「由香里っ、可愛いカノジョがお呼びだよ!」


「史帆ちゃん・・・あの・・・」


放課後、わたしは目一杯明るく由香里先輩を誘っていつもの生徒会準備室に行った。


「史帆ちゃん、先週は・・・」

「ありがとうございました!とっても楽しかったです!!」


先輩がフリーズしてしまった。恐らく想像と真反対なわたしの反応に受身が取れなかったのだろう。

「せんぱい?おーい」

「あ、ご、ごめんなさい。わたし、てっきり・・・」


「てっきり、もう会ってくれないかと思って・・・」


「わたしのこと、嫌いになっちゃいました?」

「そんなこと、そんなことないよ!でも」

わたしは食い気味にことばを続けた

「あのときは、取り乱しちゃってごめんなさい。でも、先輩のこといろいろ知れてよかったし、とっても満たされた気持ちでした」


「ねえ、わたしは今の史帆ちゃんを、どう捉えたらいいか、わからない。」


わたしはみすずとした話を先輩に話した。


「わたしが先輩の「好き」の境界線が曖昧にしてしまったんです。わたしもまたそうで。先輩のことが好き、香苗のことも好き、その好きが、なんなのか、もう一度考えてみろ、みすずにそう言われました。なので、香苗とは少し距離を開けることにしました。」

「わたしは、どうすれはいいの?」

「由香里先輩の思う距離感で」

「はい。」


つくづくなんて卑怯な女だ、わたしは。これでは完全にフタマタ。「わたしがいいだしたんじゃない」曖昧な関係の責任を由香里先輩に全部おっかぶせている。


その晩、久しぶりに香苗と通話した。全部話して、嫌われようと思ったからだ。


本当はウソ。香苗はすべて許してくれる、と心の奥底で思っているわたしに気づいている

「史帆。由香里先輩のこと、勇気だして打ち明けてくれてありがとう。あたしなんかね、新宿で見ず知らずの男に5万円で売ったんだよ。史帆がいるのに、カネが必要だったわけでもないのに。最低だよ。あの時点であたしは史帆のカノジョの資格を失っていたんだ。だから史帆は悪くない。」


「香苗はなんでそんなに優しいんだよ、なんでそんなに強いんだよ…わたし、もう消えちゃいたいよ…」


「バカなこというんじゃないよ!言霊って知ってるか?口に出したらそうなっちゃうんだよ。

史帆、あたしはお前が好きだ。それは一生変わらない。史帆がどんな結論を出したって、史帆が心から望むことならあたしは嬉しい。お前があたしの隣にいてくれたこと、あたしの一生の誇りだ。それだけで、あたしは生きていける。カノジョでも、親友でも、知り合いでも、いや絶交でも。お前がいる、それだけがあたしの望み。だから消えるなんて、いわないでくれよ…」


なにが「消えちゃいたい」だよ。そういえば香苗が優しい言葉をかけてくれるって、知ってるくせに。


わたしの本当の醜い部分。これだけは誰にも知られたくない


わたしは香苗を、どこか危なっかしい、ガラス細工のような子だと思ってた。だからわたしが守ってあげたいと。とんでもない思い上がりだ。本当は香苗に依存していただけ。共依存ですらない。きっと香苗はわたしをもう必要としていない…


わたしの中に邪悪な心が芽生えた


だったら由香里先輩をわたしに依存させてしまおうか


翌朝


「由香里先輩! 模試いかがでしたか?やっぱ帝都大A判定ですか?先輩、文Ⅰですか?。待っていてください!わたしも絶対文Ⅰ行きますから!」


わたしは先輩の腕にしがみつき、顔をのぞき込みながら話した。

先輩は戸惑ってる。けどわたしを意識しているのがわかる。正直心地いい。


それから1ヶ月くらい経っただろうか、先輩が深刻な顔でこう切り出した

「史帆ちゃん、今まで話せなかったんだけど、大事な話があるの。聞いてくれる?」


放課後、先輩の家のリムジンに乗って家に行った。なんだろう。やっぱり、告白だろうか?どう返事しよう。頭の中がぐるぐる回って軽く車酔いしてしまった。

「ごめんね、史帆ちゃん。私は帝都大は受けないの。イギリスの大学に進学することが決まっているの。もっと早く話そうと思ったのだけど、史帆ちゃんが嬉しそうに大学の話をするものだから・・・卒業したらすぐ渡英して、半年準備をして入学するから、あと4ヶ月でお別れしなくてはならないの。」


わたしは思考停止に陥った。先輩が、わたしの前からいなくなる。一ミリも想定していなかったことだ。


「そして、こっちが本題。わたしの「好き」ってどんな「好き」なんだろうってあれから考えたの。今までわたしのことを好きって言ってくれた人は何人もいた。男の子も女の子も。わたしもとっても好きな人だったから嬉しかったけど、その子だけを特別とは思えなかった。でも史帆ちゃんは違った。史帆ちゃんが香苗さんのことを話すたびに感じるもやもや、これが嫉妬なんだと気づいた時、わたしの中で本当にいけない考えが思い浮かんだの。それが、そう、あの日の話。」

あの日の話、とは、由香里先輩が、香苗は本当に私を成長させる存在か?と問いかけたことだ。

「史帆ちゃんの心配するフリして、史帆ちゃんのわたしに対するあこがれを利用して、史帆ちゃんを独り占めしようとした。あの日の朝の史帆ちゃんの動揺を見て、わたしははじめて自分がこんなにも醜い人間だったか、思い知ったわ。だから史帆ちゃん、わたしはあなたに憧れてもらえるような、そんな人間じゃない…それに」


そこまでで、すでに心が抉られて死にそうになった。その嫉妬が醜かったら、香苗の優しさに甘えて先輩を誘惑しようとしたわたしは、人間ですらない…

わたしはひたすら懺悔した。自分が傷つかないように、先輩から告白させようとしたこと、誰かに依存してもらいたかったこと、人を介してでないと自分の価値を信じられない人間であること、全部。相手の反応を計算しないで話したのって、多分、はじめて。


*********


深夜に史帆から通話が来た。珍しいな。でも、弁護士さんや店長さんのお陰で、もうあの家に戻らなくていい、だから気兼ねなく通話できる

「珍しいね。でも嬉しいな」


「香苗…ごめん…」


あたしは、由香里さんを選んだ、という話かな、と思った。でも、自分はあたしに好きになってもらう価値のない、心の醜い人間だ、隣にいる資格なんかないんだ、とひたすらあたしに謝るだけ。


「ねえ、前にもいったけど、由香里さんを選んだということなら全然いいよ。でもそんな風に自分を傷つけられたら、あたしはどうしたらいいか、わからない・・・」


「違うの、あのね・・・」


どうやらこういうことらしい。あたしをキープしたままで、由香里さんをもっと誘惑して、告白させたら「好きって言われて仕方なく」ってことで由香里さんと付き合って、そうならなかったらあたしにとどまろうとした。でも、先に由香里さんに心から謝られて、自分がやろうとしたことの醜さに耐えられなくなって、心の底まで全部話したら、「それはまず香苗さんに言うべきことだよ」ってたしなめられた・・・


「史帆、ありがとう。全部話してくれて。つらかっただろ?」


史帆のトーンが突然変わった


「な、なんで 許しちゃうのよ・・・ なんで許しちゃうのよ!浮気してました、フタマタかけようとしてました、って言ってるんだよ?? 結局一方的にわたしが香苗を必要としてただけで、香苗って、別にわたしのことなんか必要じゃなかったんじゃないの??」


「嫌だったよ本当は! 口惜しくなかったわけ、ないよ・・・でも、仕方ないじゃないか、あたしじゃどうやったって由香里さんみたく、史帆のあこがれになれないんだから」


「最初から、嫌だって、言ってよ・・・」


ああ、みすずの言ってたのはこういうことか。なぜすべてを受け入れることが、受け入れた人を傷つけることになるのか・・・


「史帆、じゃあ、罪滅ぼしと思って、最後のワガママを聞いてくれ。あと一年だけ、あたしを切らないで。一年後 あたしとデートをしよう。」


「最後の、ワガママ??」


「あたし、絶対一発で美容師試験に受かる。そしたら研修でお客さんを担当するんだ。あたしの最初お客さんになってほしい。あたしの人生を変えてくれた史帆、あたしの一生の宝物の史帆、その史帆を、あたしのありったけで可愛くして、それで、史帆を 諦める・・・」


7-1 クロッシングポイント(1)~1年後の約束、お互いを諦めるために、史帆と香苗が再び会うはなし~



先輩が卒業して渡英した。あのとき途中でわたしが取り乱して最後まで聞かなかった話、一言でいえば、先輩には許婚がいて、大学を卒業したらその人を婿養子に迎え入れることになっている、ということ。令和の時代に許婚とは驚いたが、本来恋をしちゃいけないのにしてしまい、わたしを傷つけたと何度も頭を下げられた。由香里先輩は、どこまでも祁答院家の次期当主という運命から逃れられない、真逆の香苗といい、人は生まれながらにして大きな桎梏をはめられて生きている。そんなもん何もないわたしが、一番ひどいことしてる。


みすずと合う約束をした。

「今日はHPが空になるような厳しいこと言わないでくれ」

「わたし思うんだけど、史帆ちゃんと出会えて、好きになれて、由香里先輩きっと幸せだったと思う。『奇譚花物語』」って台湾の漫画知ってる?日本当時時代の女学校を舞台にした、女の子同士の恋愛を描いた短編集。将来の結婚相手は決まっていて、恋人と将来結ばれることは絶対ない。でも、その瞬間の恋を大切に生きてる。由香里先輩も、そういう時間だったんじゃないかな。離ればなれになって熱を失ったあとでも、その時間は嘘にはならない。史帆ちゃんを愛おしく思って、悩み、涙を流した全ては、きっと先輩の宝物になる。だから、これ以上「ごめんなさい」は言っちゃダメなの。」


みすず、天使かお前は…


「まあ、フタマタはいかんぞ」

う、やはり抉ってきやがった

「香苗ちゃんとの約束、絶対逃げちゃダメだぞ。そして、きっちり帝都大も決めようね。この前の模試、全国順位さがってるみたいだったけど」


そんなところまで見てるのか・・・


「わかってる。わたしが落ちたら香苗はきっと自分を責めるから。帝都一本で勝負する。」


みすずは嬉しそうにうなずいてくれた。


「ところで、みすず、お前はどうするんだ?帝都狙う?」

「あはは、そこまで頭よくないよ。わたしの志望校は、なーいしょ♪」



~一年後~


スランプもあったけど、第一志望の帝都大文科一類に合格できた。由香里先輩も順調に英国の名門私学に進学、時差はあるけどたまに連絡をくれる。みすずは、あろうことか指定校推薦で應稲大学教育学部、つまりママの勤務先に進学しやがった。わたしの醜態ママに話したらぶっ殺す。

 そして香苗からも嬉しいメッセージが届いた。


「国家試験通ったよ! 高校卒業資格も無事取れそう。 かねてからの約束。あたしの最初のお客さんになってほしい。研修は4月以降なのでもう大学はじまっちゃうと思うけど、史帆が大宮まで来れるところ、何曜日の何時でもいいから、教えてほしい。」


香苗が一年前言ったことばを反芻した。通話だったけど、一言一句、その空気感も、香苗の覚悟も、全部覚えてる


「あたしの人生を変えてくれた史帆、あたしの一生の宝物の史帆、その史帆を、あたしのありったけで可愛くして、それで、史帆を 諦める・・・」


そう、次会う時が、恋人として 最後の時。わたしの弱さゆえに、わたしは香苗を傷つけ、そして失おうとしている・・・ でも、逃げちゃだめだ。因縁因果の鎖をここで断ち切るんだ。あのときの香苗に、由香里先輩に、本当の意味でわびるとはそういうことだ。


**********


明日、史帆がお店に来てくれる。あたしのお姫様、どん底だったあたしの人生に光をくれた人。でも、あたしの未熟さ、気持ちの弱さで、史帆との距離を勝手に作っていた。その結果、史帆をさみしさの海の底に沈め、間違いを起こさせてしまった。これはあたしの天罰。この十字架は、あたしが一生背負っていくんだ。


******************

翌日のラストの時刻、史帆を迎え入れる準備をした。研修生の練習台になってもらう代わりに、無料でカットするものなので、まだあたしも一人前ということではないけど、アシスタントではなく、美容師としてお客さんをカットすることには違いない。史帆を席まで案内してラップコートを着せると、史帆の匂いがふわっと届いた。なつかしい、ほっとするような感じ。


「いらっしゃいませ! なんか、緊張するね」


「うん、ちょっと恥ずかしいっていうか・・・ でも香苗、とってもカッコイイよ」

「えへへ、やっぱちょっと照れるな♪ さて、どうしたい?」

「香苗が考える、一番で」



「いや、なんかまだ恥ずかしいっていうか。でも嬉しいな。最初に見てもらいたかったから。じゃ、いくよ。

       お客様!今日はいかがなさいますか?

「全部香苗に任せたい」

「じゃあ、ボブはどう?」

「あはは、小学生以来だな。香苗、覚えてたんだ。」

「お任せっていわれたらショートかなって。でもボブってストレートでも可愛いけど、ちょっとしたアレンジもできるから、楽しめるよ」

「うん、じゃあ、おねがい」


**********

「史帆の髪の毛、本当に素直でいいね。縦巻きカールとかも考えたんだけど、やっぱまずはこれかな」

 香苗のハサミの音が軽やかに響く。ときどき息がかかってどきっとする。中学の時のあのときめきとは少し違うけど、やっぱり特別なんだ

「香苗、本当に頑張ったんだね。カッコイイ。わたしなんか、なにやってたんだろう・・・」

「おいおい、帝都大に受かっちゃうような子が何言ってるんだよ。あたしなんか、一生かかっても無理だよ」


帝都大 ということばに周りが一瞬こっちに意識を向けたのがわかる。世間的にはそうかもしれない。でも、中学からの成長の強度ははるかに香苗にかなわない。


「なんか、そんなすごい人と友だちになれたんだ、と思うと、あたしみんなに自慢したくなっちゃうよ。あはは、あたしがすごいわけじゃないんだけどね。」


―友だち- そうか。香苗の中では、もうわたしはみすずと同じ、友だちなのか。


「え?どうしたの?なんかあたし、まずいこと言った?」


「え? え? ああ、これ??ごめん、なんか目に入ったみたい・・・」


ごめんごめん、といいながら、わたしの顔を優しく拭いてくれた。これくらいのウソなら、いいよね?


**********

史帆はあたしに気を遣って「目にゴミが」なんて言ってくれたけど、きっと気が重いんだ。無理してあたしに付き合ってくれているのかな。

シャンプーするために椅子を仰向けに倒す。中学生の時、何度も触れた唇があたしの目の前に現れる。キスしたら、お姫様は 再び目覚めて、あたしを好きになってくれるだろうか・・・


「これがベース。どう?」


「あはは、なんか子どものころに戻ったみたい。でも、やっぱ、これが一番可愛いのかな、えへへ」


ごめん、出会った頃のきみに会いたかったんだ。でも、ここまで


「でね、簡単なのは、こうしてピンで止めるだけでも感じ変わるでしょ? そして、お薦めは、ほら、こんな風に小さくお団子を作るの。うなじの線がきれいに見えて、ちょっと大人っぽいでしょ?」


「ホントだ、すごい」


「せっかく大学生なんだから、ちょっとしたアレンジ楽しんで!あたしの自慢の友だちが帝都大のミスキャンとかになったら、むっちゃ自慢しちゃう!」


史帆を笑顔で見送った。恋人としては、これが最後。

もうきみを縛るモノはないよ。安心して・・・


「香苗、おい、大丈夫か?」

先輩に声をかけられて、初めてあたしが泣いていたことに気づいた


**********


約束通り、長かった髪をばっさり切って、香苗にとびきり可愛くしてもらった。美容院を出て、階段を降りた。魔法が溶けて、友だちに戻った。ありがとう。わたし、これから一歩踏み出すからー


ーあれ?足が動かないよー


階段の入口にいちゃ邪魔なのに、早くいかなきゃダメなのに、雨も降ってきた、傘ないよ、向かいのコンビニに買いにいけばいいだけなのに。このままじゃ、せっかく可愛くしてもらった髪が台無しだよ! なんで?なんで??ねえ!どうして動いてくれないの!!!


**********

「香苗!さっきの子、下でうずくまって泣いてるぞ! 片付けはいいから早くいってあげな!」

入口のサインを片付けに行った先輩の声であたしは我に返った。



7-2 クロッシングポイント(2)~1年後の約束、別れるための最後のデートに親友が現れるはなし


「史帆!どうしたの?具合悪いの?」


史帆はうずくまって泣いたまま首を振るだけで、何も話さない。

「とにかくあたしの部屋に入れ!」


部屋、といっても、店舗の隣に借りているバックヤードの一角に住まわせてもらっているのだけど、雨に濡れている史帆を放っておくことなどできない。


史帆ががたがた震えている。何かにおびえている子猫のようだ。まずは拭いてあげようと、その子猫を大きなバスタオルで包んだ。


「いや!」


史帆があたしの手をはねのけた。やっぱり、あたしが心の重荷だったんだ・・・


「せっかく恋人の香苗に、可愛くしてもらったのに、なくなっちゃう」

「え?そんなのまたやってあげるよ」

「だって、次はもう、ちがう」


なに??よくわからない、でもきっと あたしが悪い・・・ 



トントン

「・・・、あ、店長 ごめんなさい、うるさかったですよね??」


「やっほー あたしだよ~」


みすず??


「あーあ、やっぱりこうなってる。さ、お二人さん、ちょっと出かけるよ」


史帆もあたしも、突然のみすずに混乱。でもみすずはいつになく強引にあたしたちを連れ出した。


 連れてこられたのは駅前の結構いいホテル。ルームキーがあたしたちに渡された。


「さ、とにかく入ろう」


「ねえ、どういうこと??なんでみすずが香苗の所に?」


「わたしね、ずっと美容院の向かいのマックで女子高生やってたんだよ。二人とも、別れるために今日を迎えたんだよね。お互いを諦められればわたしも干渉しない。でも、まあ、無理だろうな、と思って史帆ちゃんの様子を見てたら、やっぱり無理だった。で、お助けキャラのみすずの登場ってわけ♫」


「みすず、ありがとう・・・、でもあたしはずっと史帆を縛り付けていた、史帆は優しいからあたしを拒否しないだけ・・・」

「史帆ちゃん?ホント?」

「違うよ! わたしが香苗を裏切って、傷つけて、香苗の中では、もうわたしは特別じゃなくなってる、だから、諦めなきゃって」

「なんで!?あたしがいつそんなこと」

「香苗ちゃん、ちょっとタイム」

「史帆ちゃん、この際香苗ちゃんの気持ちなんてどうでもいい。史帆ちゃん、どうしてもらいたいの?史帆ちゃんの本当の願いは なに?」

「わたしは・・・ 本当は香苗がほしい!全部許して!!わたしをもう一度好きになって!わたしをあなたの絶対一位にして!!」

「香苗ちゃんは」

「なんだよ『もう一度好きになって』って!! 無理だよ そんなの」

「うん・・・」

「だって、一度も嫌いになったことなんかないんだぞ!嫌いになってないのに、「もう一度」は無理だよ!!」


「だったら・・・だったら会ってくれたってよかったじゃん! 直接抱きしめてくれたって、よかったじゃん さびしかったんだよ、何が隣にいる資格がない、だよ!・・・ ゎたしがどんなにさびしかったか、わかってないでしょ!!香苗のバカ! もう、二度と、離しちゃ、だめなんだから・・・」


「はい、よく言えました。香苗ちゃんのターンだよ。抱きしめてるからってダメ。ちゃんとことばで伝えなきゃ。」


「史帆、大好き。あたしと付き合って。あたしを、ただ一人の恋人にして・・・」


しばらく抱き合った後でみすずに声をかけられた


「まったく世話焼けるなあ、二人とも、不器用すぎ、ことば足りなすぎ。あはは♫ さ、もう大丈夫だね。わたしは別の部屋とってるから、ここは水入らずで使ってね。」

「ちょっと待って、ここ、高いだろ?あたし払うよ。お給料だってもらえるし」

「大丈夫。 二人のピンチ、って言ったら、うちのお父さんとお母さん、いくらでもお金だしてくれるから、ついでにわたしもホテルで楽しんじゃう。」

「???」

「それだけね、香苗ちゃんと史帆ちゃんには感謝してるんだよ。わたしだけじゃなくて家族全員。あのとき、わたしを舘崎たちから救い出してくれなかったら、わたしの人生とっくに終わり」

「もうそんなのとっくに返してもらってるよ、それなのに、なんでここまで・・・」

「決まってるでしょ?わたしがそうしたいから、だよ♪ じゃ、あした♫」


「とりあえず、史帆、まだ濡れているし、お風呂行こうか。あっ、でも髪触られるの、いやだったっけ?」

「ううん、さっきとは違うから。」

「どういうこと?」

「だって、さっきは、恋人としての香苗はあれが最後っていうもんだから、それがすぐぐちゃぐちゃになるのがさびしかっただけだよ。今は、これからもずっと恋人の香苗にやってもらえるんだもん」

「うん!今度は少し色を入れてみようか。あたしが嫉妬するくらい、モテモテ女子大生にしたい。え?史帆、ちょっと待って、だめ、それはベッドに行ってから。まったくもう・・・」


バスローブを着てそのままベッドに。「いけないこと」っていう気持ちと半々だった中学生の頃とは気持ちが全然違う。唇から耳元、首筋、胸元、史帆の反応があたしの次の動きをいざなってくれる。愛おしくて、何度も頭を撫でる。とろけるような表情が可愛いくて、いつまでも味わいたくなる。


*******

香苗のしなやかな指先が、わたしをめくるめく快楽の世界にいざなう。さっきから軽い絶頂が続いて理性が飛んでいきそう。セックスは難しい。いくらお互いが好きでも、ちょっとした心の躊躇があると、終わった後に重い気持ちになる。あのときの香苗とも、由香里先輩とも。でも今は違うとわかる。香苗の優しい息づかいが、わたしの心の深いところが、それを教えてくれる・・・


わたしたちは、何度も何度も、お互いの体温を確かめながら、恍惚の海に溺れていた。


 気づいたら朝になっていた。わたしが目覚めた気配に気づいたのか、香苗も目を覚ます。おでこに軽くキスをして、わたしの頭を香苗の胸にいざなう。また鼓動が早くなる、が、次の瞬間、内線が鳴った。


「おはよう、そろそろ下に降りようか」


「みすず?お、おはよう、あ、もうこんな時間!?」

「もう・・・深夜までお楽しみ、でしたか?」


もう、その「わたしはすべてお見通し」って態度、腹立つなあ


合流してバイキングを取ってきたところで電話。げ、忘れてた!ママからだ


「ご、ごめんなさい、夕べは・・・」

「この不良娘が!親に連絡もせず無断外泊か?」

「心配かけて申し訳ありません・・・」

「なんてな、あんたのことは学籍番号2024E2100011の織田みすずさんから全部連絡もらってるよ。朝も連絡くれた。いい友だちもったな。一生大事にしなよ。」

「はい、? ってママ、一体みすずからどこまで聞いてるの?」

「さあね、心配かけた罰だ♪ 教えてやらない」


「ちょっとみすず!あんたママになんて話したの??」

「史帆ちゃん、ひどいなあ。わたし、今回の功労者なのに・・・」

「史帆、一体何があったの?」

「わたしの代わりにママに連絡してくれた、それはありがたいんだけど、ママ、なんか事情まで知ってそうな口ぶりだったんだよ!みすずの家に泊まる、とでもいってくれりゃよかったのに」

「わたしは嘘をつくと死ぬ病気だから」

「だったらもう何度も死んでるじゃないか!」

「ちょっと史帆、なんてこと言ってんだよ」

 

ひとしきり笑った。一緒にいるのがもっとも自然な3人


「みすず、もし、だよ?もしわたしが香苗を諦めてそのまま家に帰ったら、逆に香苗に素直な気持ちを話せてたら、このホテルどうしたの?」

「そんな可能性はないっ!だって史帆ちゃん自分に嘘つくし、頭いいくせに言語化下手だし、将棋とかやれば、深読みしすぎて自滅するパターンだよ」

「じゃあさあ、あたしが、部屋で史帆に『やっぱ諦められない、好きだ』って伝えてたら?」

「自分に対して意地っ張りな香苗ちゃんが、そんなことできるわけないじゃん。実際できなかったでしょ?」


 たぶん今、二人とも同じこと思ってる 
(なんでこいつ、ここまでわたしたちのこと知ってんだよ)


「百合に挟まる男は最低だけど、女だから、少しは背中を押してもいいよね?

香苗ちゃん、佐野史帆の隣にいる資格はただ一つ、きみが『藍田香苗』である、ってことだけだよ。

史帆ちゃん、自分の心の嫌な部分が頭をもたげたとき、それに蓋をしちゃだめだよ、香苗ちゃんか、言いにくかったらわたしに全部ぶちまけて。

以上、みすず先生の恋愛講座でした♪」


「ねえ、みすず?「ゆりにはさまるおとこ」ってどういう意味?」


「香苗!」「香苗ちゃん!!」 「きみはこっち側にきちゃだめ!!」


「??」



「なあみすず、お前、そんなに恋愛に詳しいのに、なんで恋とかしないんだ?釣り合う男がいないのか?」

「なにを言ってるかなあ。これからこのダイナマイトボディで誘惑しまくるんだよ。カレシできたら紹介するね」

「ダイナマイトボディ? お前の胸って、ダイナマイトで爆破された後の山じゃん」


「ほほぅ・・・ じゃ、佐野先生にレポート出そうかな」


「すみませんちょうしにのりましたゆるしてください・・・」


幼い頃に出会い、クロッシングポイントで全く別々の人生をあゆんだ香苗とわたし。中学校の時のクロッシングポイントはダイヤモンド。出会っても再び離れる運命。そして昨日、別れる決心のためにもう一度クロッシングポイントに向かった。ダイヤモンドかと思ったら、親友が渡り線を用意してくれた。今度こそ、わたしたちは 同じレールを走り続ける



エピローグ:その後の二人のはなし


「史帆!何時だと思ってんだよっ!あたしそろそろ出勤だから、そこの朝ご飯食べられるだけ食べて早く大学行けよ」

「え?もうこんな時間??なんでもっと早く起こしてくれないんだよぉ」

「💢 何度起こしたと思ってんだよ!!」

「えーん、髪の毛可愛くしてよ・・・」

「だったらあと30分早く起きろ!」


これがあたしたちの日常。あれから1年。あたし、藍田香苗の配属が文京区の小石川の店になったので、思い切って二人暮らしを提案した。史帆の家は神奈川県のちょっと遠いところ、史帆の通う帝都大は、1・2年は渋谷の近くの駒場、3・4年はあたしのお店の近くの本郷にあるから、店の近くに住めばどっちも遠くない、つか、本郷なら歩いていける。史帆ママも「都内に宿ができた~」と賛成してくれた。家賃も半分出してくれると言ってくれたけど、それは断った。あたしの給料でなんとか暮らしていけるから、なるべく自分の力で頑張りたい。


******


あーあ、また香苗の手料理食べそびれた。実家の時はちゃんと起きてたのに、近くなったらすっかり油断だ。わたし、佐野史帆は、まずは司法試験を目指している。予備試験は一年生の時に突破したので一気にクリアしたい。同棲してありがたかったのは、会うための時間がいらなくなったこと。確かに二人とも忙しいけど、家に帰れば最愛の人がいる。同じ空気、同じ時間、同じ体温、これだけで、頑張れる。


「ただいま、ちょっと遅くなっちゃった」

「お帰り、ご飯出来てるよ、ママも来てる。」

「もう、今日はなんなの?」

「明日朝イチで教育実習の訪問なんだよ。相変わらず香苗ちゃんの料理はおいしいな」


こんな感じで、たまに二人の幸せ空間にお邪魔虫が上がり込んでくる。


「あたしは例によって勝手にここで寝るから、お二人さんは、構わず気持ちいいことしててくれて、いいんだぞ」


「だから香苗にセクハラするなって言ってんだろ!」


「こら、史帆。ママになんてこと言ってんだよ。あたしは、ママが来てくれるの、すごくうれしいんだ。ママが文部科学副大臣の人を連れてきて、あの腐った中学を一気にぶっ潰してくれたから、あたしはこうやって史帆と暮らせてる。あたしみたいな、勉強できないヤツにも全然差別しないし」


「あーもう香苗ちゃん最高、史帆のカノジョにはもったいない。つかさあ、家事全般香苗ちゃんにやってもらて、お前恥ずかしくないの?」

「い、いや。あたしの方が圧倒的に体力あるんで。史帆は大事な勉強の真っ最中だし。」

「女子力0はママの遺伝ですよー」

「いいじゃん。その代わり、圧倒的に頭いいんだし。あたしは今の仕事や、史帆の支えになることに誇りを持ってるし、史帆もそういう仕事すりゃいいんだよ。」


(香苗ちゃん。親として、あらためて、きみが史帆のパートナーでいてくれて、ありがとう)


「あ、みすずから着信だ もしもし、どうした?」

「佐野先生、そちらにいらっしゃる?」

「佐野先生? 押しかけセクハラばばぁならいるけど」


織田みすず。香苗とわたしの親友。9割9分終わっていたわたしたちの関係をつなぎなおしてくれた、二人にとっての大恩人。しかしあろうことか應稲大学でママのゼミ生という最悪の事態。二人でわたしのこと何話してるんだか、わかったもんじゃない・・・。みすずは国語科専修だけど、ママの教育社会学ゼミに入っている。修士で専修免許を取ったら現場に出るとか。ママはもうべた褒め。そしてあろうことかみすずもママをずいぶん尊敬してる。おかしい。


「メール? ちょっと待った。  あ、ごめん、完全にすっぽ抜けてたよ、あはは。」

大丈夫なんか?この人・・・


~二年後~

「やっほー、「美人帝大生」さん♪」

「みすず💢 いい加減その言い方やめろ!」


わたしは目標通り、在学中に司法試験を突破。そうしたら、なぜか一部メディアがわたしのことを「才色兼備の帝大生、現役で司法試験を突破」とか取材しにきて、少し有名人になってしまった。わたしのどこに「色」があるっていうんだ。女だからってなんでも「美人」にするなよ。でもなんか、香苗は嬉しそう。


「えー?だって香苗ちゃんが史帆ちゃんのかわいらしさを引き出してくれてるから、美人にみえるよ~」

そうか、香苗がわたしのこと盛って盛って盛りまくっているおかげか。


今日は、久しぶりに由香里先輩に会うことになっている。

祁答院(けどういん)由香里先輩。わたしの高校時代の先輩で、鹿児島の大財閥の次期当主。家の方針で、イギリスの大学に進学して経営学を学んでいる。わたしが憧れをこじらせて、先輩を誘惑して、間違いを起こさせてしまった人・・・


「先輩!久しぶりです!!」

「史帆ちゃん、ああ、史帆ちゃんだ。嬉しい。織田さんも、本当にありがとうね。」

「ひどいなあ、みすずって呼んでほしいのに・・・」

「こんにちは、はじめまして。藍田香苗です」

「こんにちは、祁答院由香里です。香苗さん・・・ あのときは 本当に・・・」

「そんな、頭上げてくださいよ。あたしは由香里さんが史帆を大事にしてくださったこと、本当に感謝してるんです。あのときのあたしは、とっても史帆を受け止められる余裕がなかった。迷子だった史帆の心を、救ってくれたのが、由香里さんなんです」


由香里先輩は 大粒の涙を流して、香苗の手を取った。


「史帆ちゃん、本当におめでとう。同性カップルだからって、いろいろ言ってくる人もいるかもしれないけど、大丈夫。時代は前に進んでる。」


楽しいランチからはじまって、夜は祁答院家に招待していただいた。香苗やみすずはその別世界ぶりに唖然呆然。


「ねえ、史帆ちゃんはどんな弁護士さんになりたいの?」

「わたしは、香苗のような境遇の子が苦しまないように、正しい知識を持って逆境を乗り越えられるように、手を差し伸べたいです。お金にはなりませんけど。あはは」


「さすが、わたしの好きになった子。やっぱ嬉しいな。」


「織田さんには、本当に助けてもらったわね。わざわざ訪ねてきてくれて、史帆ちゃんや香苗さんの様子を教えてくれて、心配ない、って言ってくれて」


「みすず・・・、そこまでしてくれてたのか・・・」


「そんなことは、どうでもいいんですけど、なんでわたしだけ苗字なんですかぁ?」


「あはは、ごめんね、みすずちゃん♪」

「やった♡」

「みすずちゃんは、学校の先生になるのよね?」

「はい。香苗ちゃんが勧めてくれたんですけど。中学の時いじめ、というか、人の奴隷にされて、尊厳を奪われて、生きたまま殺されたんです。それを救い出してくれたのがこの二人。だから、いじめは必ず起きるんだ、という前提で、正しく対処できるように、わたしのようの子が一人でも減らせるように。なーんて。大した才能ないですけど」


「みすずちゃんにしか、できないことね。でも、無理して心を削っちゃだめよ。それこそ史帆ちゃんと協力することだってできるわ」


「香苗さんは」

「あたしも、香苗「ちゃん」って呼んでもらって、いいですか?」

「うん。香苗ちゃんは、美容師さんとして、どんなことをしてみたい?」

「はい。もちろんエリアマネージャーの仕事も大事ですけど、昔のあたしみたいに、誰にも手を差し伸べてもらえない、自分の味方なんてだれもいないって、そう思って無気力になりがちな女の子に、ボランティアで髪の毛とかメイクとかやってあげたい。自分が可愛くなれば、自信がつきますし、自信がつけば、今まで見えなった、自分に差し伸べてくれる手も、見えてきます」

「ねえ、それ、うちの祁答院コンツェルンに協力させくれてない?その分の支援をさせてほしいの。」

「え?で、でも」

「これはね。罪滅ぼしとかそういうんじゃなくて、企業の社会貢献っていうのは、経営戦略ではとても大切なの。だから、わたしの会社の利益のためだと思って、気軽に活用してくれれば、嬉しい」


クロッシングポイントで、わたしたちは一つの線を走ることができるようになれた。でも、よく見ると、その線は単線ではなく、力強い複々線だった。わたしたちは、ひとりぼっちでも、二人ぼっちでもない。この線路は、時に少し離れ、時に寄り添い、前へと進んでいく


                                   完


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