東京都迷惑防止条例改正案に対する雑感
東京都迷惑防止条例改正案、昨年にパブリックコメント募集出ていたのに、全然気づかなかった。中身をみれば政治運動を取り締まる気満々だし、労働運動が取り締まりの対象となれば憲法との整合性に関わる。ただ、複雑化するつきまとい行為(恋愛に端を発するストーカーだけでなく)について何らかの対策を取ってほしいと考える市民も多いだろう(そのようなパブコメも寄せれていた)。
参考になるのは弁護士団による意見書。少し長文だが引用する。
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この(「内心の感情による合法・違法の切り分け」)問題は、社会的トラブルにおいてしばしば発生する抗議や非難、クレームや苦情などの現象を、「うらみ、ねたみ」といった内心の感情で切り分けようとする構造が宿命的にはらむ問題である。トラブルがエスカレートし、「殴る」「脅迫・強要する」「ガラスを割る」などの行為に及べば、ダイレクトに刑法犯を構成するから犯罪の発生は客観的に明らになる。暴行の動機が、「うらみの感情の充足」か、「カッとした一時的な衝動」か、あるいは「正義感に燃えた鉄槌」かは、犯罪が成立したあとの情状の問題にすぎない。
ところが、「つきまとい行為等」規制ではこの「内心の感情」が犯罪の成否の分水嶺となり、「正義の鉄槌」や「一時的な衝動」なら犯罪にならず、「うっぷんばらし(うらみの感情の充足)」だと犯罪となる。では、断られても電話を繰り返した住民が「ウチの子をいじめて謝りにもこない親にお灸をすえてやろうと思った」と供述したら、その電話は合法なのだろうか、違法なのだろうか。
このデリケートな違いを警察が的確に判断して条例を運用することなどほとんど不可能と考えざるを得ない。この問題は犯罪構成要件の「つくり方」にかかわる問題であって、「正当な理由」だの「濫用防止条項」だのをつけ加えてもまったく解決しない。この構造を根本から見直さない限り、構成要件面での欠陥は治癒できないのである。
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さまざまな読み方が出来るだろうが、「何が行われたら条例が適用されるか」の構成要件を満たしているかどうかの判断が極めて難しく、要するに有効に働かないということであろう。確かに本当に困っていても、起訴できるかどうかあいまいな(上の電話の例のような、殺人にまで発展しかねないほどのことでもなく、手間ばかりかかって面倒そうと警察が考えるような)案件だったら条例があっても役に立たない。そんなもののために、自分の将来の政治的権利を制限しかねない条例を制定されるのはやはり反対である。もしもう一度二次元に対する表現規制を行おうという条例を出してきたら、私は全力で政治的権利を行使して戦う所存である。
ただ、SNSを起点として、誰かにつきまとわれる恐怖というのは大なり小なり持っているだろうし、学校や地域のコミュニティに中で、神経を衰弱させられるような目に遭っているひとも少なくないだろう。反対する野党は、そうした、もう少し規制を強化して欲しいという立場の市民に寄り添わず、ただ「言論の自由を守れ」と叫んでも支持は広がらない。それは、二次元に対する表現規制に反対する人も、賛成する人と対話しつつ着地点を見いだす努力が必要なのと同じことだろうと思う。
参考資料
2018年3月自由法曹団東京支部「東京都迷惑防止条例改正に反対する意見書」(2018年3月16日閲覧)http://www.jlaf-tokyo.jp/shibu_katsudo/seimei/2018/180312.html