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生きるための武装を更新する時がきた話。

こんばんは。タカタです。

いつもはグラレコの話や成果物の置き場に使っているnoteですが、今回は久しぶりに言葉の置き場に使ってみようかと思います。備忘録的に。


きっかけは、ひとりぼっちの自立には限界があるらしい、と思ったところから。


元々あまりセルフコントロールが得意ではないタイプだったのが息苦しくて、「今どういう感情なんだろう」「なんでそう思ったんだろう」「息苦しくならないためにはどう置いたらいいんだろう」と、自分なりのシステムを作るようになっていきました。

その結果、生きやすくもなったし、強くもなったと思います。


そうして組んでいくうちに、人に相談するときも課題を明確にしてからじゃないと球を投げられなくなりました。

それ自体はおそらく答える側も答えやすいし、一旦自分の中で考える癖がつくので、悪いことでもないと思います。


ただ、それは結局、課題設定やシステムの組み方そのものを人に相談することが難しい「一人システム化」状態。散らかった状態を人に見せられない。



強くなればなるほど、散らかっていてはいけない、自立していなければいけないという自分自身へのプレッシャーが無意識化でどんどん膨らんでいきました。



そして今年に入り、コロナ禍で人と話して整理する機会も減ったことも相まって、「一人システム化」は加速し、同時にシステムエラーを頻繁に感じるようになりました。(そしてSNSでもポロポロとこぼれ落ちるように…)


エラーが重なっても膨らみ続けたプレッシャーが更にエラーを作り出すという負の無限ループ。

もはや一人システムの限界だと気付かずに、というより、認めたくなくて。



でも、どうやら、自分は1人でシステムを構築できない人間らしい。というか、できなくて当然らしい。(できちゃう人もいるし、エラーを気にせずに生きられる人もいるけど。)

と思えたら、肩の力がふっと抜けた感じがしました。


今、冷静になって思い返すと、「一人でシステムを組めない=自分は不出来だ」っていう気持ちが心のどこかであったんだと思います。だからエラーを解決できないことにはしたくなかったし、人にも出せなかった。


生きるために装備したはずの武器たちが、気が付けば関節さえも動けなくしていました。

けど、その装備は決して無駄なわけではなく、必要な箇所は柔らかい素材に変えていく時期に入ったのかもしれない。


まだまだ迷走するだろうし抵抗感もあるけど、硬くなった部分も武装によって触れられていない柔らかい部分も、そのまま出せる機会を作るためにちゃんと投資をしようと思い、とりあえずコーチングを頼んでみることに。


ひとりぼっちで戦わなくてもいい場所を作ってみます。

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