才
あくまで、最近考えていた独り言。
音楽をしていると、どうしても才能と言う言葉が付いて回る。
これは、仕方のない事。
なら、いったい才能があるって言う状態はどんなものなのか考えてみたら
おそらく、身の回りの空気感とか流行り廃りや今の時代に漂っている流れを的確にかつ少し先見的に敏感に捉えられる、感じ取れることだと思う。
楽器を演奏しなくなって久しいけれど、演奏することに才能があると言う状態はあくまで身体的なもの。
これに関しては天賦のものが存在しうる。
足が早いとか、体が大きいとかと同じ部類のものだから。
でも曲を作る事や音楽をする際に一旦自分の頭で構築する部類の才能に関しては、時間はかかるかもしれないけれど育てられると思う。
なぜなら、誰しもが初めから的確にかつ先見的に捉えるなんて出来ないから。
何か自分の中で基礎になるものが構築されて初めて流行りだとか廃りだとかを考えて、作曲やなんかに行かせることが出来る。
あと売り方もそうだ。媒体を何にするかとか。
この辺りの事はどう考えても後天的なものだし、自ら進んで勉強した結果得られる感覚だと思う。
もちろん、理解の早い遅いや物事の捉え方の違いなんかは出てくるけどそれでも自らの身の処し方次第でどうとでもなる気がしている。
そうなると、天才ってなんだ?ってなって。
今のところ考えついていると言うか、自分の考えの中では
自分が基礎においたジャンルや発想の元になる文化的なものや、身を置いている文化を多段的に飛躍させることが出来る人のことだと思う。
通常は、膨大な人が関わりあいながら時が進むにつれて一段一段進めて行くものだけど、天才と言える人たちはこの時が進むにつれてと言う状態を自分の頭の中で再現出来るのだと思う。
再現出来るからこそ、一気に飛躍させることが出来る。
再現出来ない自分たちは、今の流れに時代について行くのがやっとになるけど、再現出来る人たちは自分自身の普段の考えが今の流れに同調してくる。
すると、その先を考えることそのものがすでに先見的になってくる。
と、ここまではあくまで個人レベルの話。
そんな感覚を持たない自分たちがその世界で飯を食べて行くにはどうしたらいいか。
これが本題
でもここからは以上に長くなりそうなので、次のタイミングで書きます。