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リアル英語 英語が聞き取れるようになった時の快感は他に変え難い

私は高校の時にアメリカに留学して英語を話せるようになったので、
あまり時間的にどれだけやってから聞けるようになったというのが、
参考にならないと思いますが、
高校2年生の確か8月に渡航して、
ちょうど3ヶ月で聞き取りができるようになりました。

それまでは、本当に相手が言っていることが全く分からず、
いかに学校で勉強していた英語がreadingとwriting重視だったのか
思い知りました。

聞き取れるようになった時は、徐々にではなく、
ある日を境に、ぶぁーっと、相手の言っている内容が、
英語のまま頭に入ってきて自分がアメリカ人になったかのように、
英語の文字が別に見えるようになったわけではなくて、
相手が何を伝えようとしているか、相手の脳みそにあるイメージが、
自分の脳みそでも描けるようになった、という感覚でした。

それは、よく私が使う表現なのですが、
点と点が繋がり、線となり、線と線が繋がりまくり、
やがてその線の数が増えまくると面にな利、
面と面が増えて、繋がり、立体になり、会話の奥行きが、
手に取るように分かる感覚です。

この点は何を指すかというと、英単語や英語でもあるのですが、
シーンだと思うことがあります。
つまり、こういう時、こういう言う、というシチュエーションが、
生活していると、それこそ1万とか100万とかあると思うんです。

トイレに行く場合でも、相手やシチュエーションによって、
色々なコミュニケーションの仕方があって、
例えば友達には、「トイレに行ってくるね」と言うけど、
家族には、「ちょいトイレ」とか、
あまり知らない人には、「席を外します」とか
トイレの場所が分からなければ、「トイレどこか知ってる?」と聞く場合と
「一番近いトイレどこにありますか?」と施設スタッフに聞くのでは、
英語の使い方が違います。

このように、さまざまな、1万を軽く超えるシチュエーションを経験し、
この時はこう言ったのに、違う人は同じシチュエーションでもこう言ったな、
みたいなのが、自分のデータベースの中にどんどん溜まってくることにより、
無意識的にも、意識的にも、線が面になったあたりで、
パァーンと、視界がクリアになりました。

覚えているのは、その日は月曜日だったと思うのですが、
1時間目のSenior(日本の高校3年生に相当) class のEnglish (国語)の授業でした。

あ、わかる!!

進⚪︎ゼミのチラシに入ってたマンガの一コマみたいですが(笑)、
本当にそのような感じで、世界が光り輝いてました。

ほんにゃくこんにゃくを食べたら、きっとこんな感じなんだろうな、とその瞬間に思いました。
あの瞬間の感動ってもう感じることはできないんですよねー。寂しい。

それくらいに、楽しくて、素敵な、壁を乗り越えたー!って感動体験ですね。
辛い3ヶ月が報われた瞬間だったので、余計にそう感じたんでしょうね。

体験を語ることで、actionは何一つ語っていないのですがw、
それでも、聞き取れる時の感覚を表現したのは今回が初めてなので、
人によって体験の仕方は違うとは思いますが、
スーパー⚪︎イヤ人になる時のような、一段階、レベルが変わる時の感覚を、
是非まだ経験されていない方には経験してもらいたいなと思います。

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