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私の人生とアンナ・モッフォ

今日は私とアンナ・モッフォの出会いについて
書いてみようと思う。

さあ、どこから話していこうか。
まず言っておきたいのはモッフォに出会った頃と椿姫にハマった頃は
同時期であるということ。
つまり私が初めて見た、聴いたモッフォは椿姫だったというわけである。 

それは、去年の7月に遡る。
この頃から私は人生のどん底におち、不登校になった。
しかし中3という年齢。高校生にはならなくちゃという強迫観念に駆られていて
普通の高校はまた行けなくなるかもしれないけど、、音楽だったら好きなことだし…
と、わずかな希望を託して音楽高校の受験を決意。
しかし、受験準備は想像を絶するもので毎日長時間の練習はもちろんのこと、頻繁にある本番や、大先生のレッスン。
ちょっとでもミスしたり、レッスンで言われたことができてないと怒られる。
そのうえ、私の好きなことや今までの人生の歩みをいつもいつも否定されて、心も体もボロボロになった。
でも受験を途中で投げ出すなんてあり得ないと思っていたし、高校生にならなきゃならなきゃと逃げられなかった。


そんな時に唯一現実を忘れられるのが、私の心の中での妄想世界。
既存の物語を自分の好きなようにオマージュすること。

私は悲劇ものが好き。そして、バレエがずっと身近にあったのでよく「ジゼル」や「ラ・バヤデール」をオマージュしていた。
これがなんとも言えぬ心地よさで、解き放たれる感覚があった。
そして、私のもっと細かい特性も説明しておく必要がある。
幼稚園の頃から、悲劇恋愛でかつ、美しい女性が病気で亡くなるというラストになぜだか魅力を感じるというもの。
(自分でも本当に謎すぎて、プラス恥ずかしい気持ちもあり今日初めて告白するが、最近その“特性”が病弱萌えというもので
私だけが抱いていた感情ではないと気づき、安堵している。)


そんなこんなでとある日の夜中、不眠症の私は寝つけず、
気づいたらYouTubeの検索欄に「椿姫 オペラ」と入力していた。

私の家にはなぜかアレクサンドル・デュマの小説「椿姫」とオペラ「椿姫」の漫画があった。
小学生に原作小説を理解するのはまだ難しく、読んだことはなかったが、オペラ漫画の方は話もかなりシンプルになっているので
パラパラと読めていた。
とは言っても、主人公ヴィオレッタの運命を左右させた「社会的地位」や「金銭問題」、時代背景などは全く考えておらず、
「美人なヴィオレッタがアルフレードという青年に恋をして、でも病気で死んじゃう話」という程度のざっくりとした浅い理解だった。

しかし「椿姫」の検索を試みたのは今回が初ではない。以前にも何度か調べていたことがある。
幼心ながらもやはりこの作品の中に存在する「美」、「哀愁」の本質を感じていた部分があったからなのではと思っている。

でも調べていた当時はオペラなど全くわからないうえに、
バレエの精神だけ根付いていたので、歌というより、見た目を気にしてしまい
どの動画を見てもヴィオレッタらしいビジュアルの方がいなくて幻滅してしまう、
というのが唯一の感想だった。 
今考えれば、そんなことしか感じられない当時の私に幻滅するが…


とはいえ、オペラとキャラクターとしてのビジュアルの両立は、永遠のテーマであろう。
新作品の初演がこのような理由で失敗に終わったという話はよく耳にする。

そしてここまでくると、こんな意見が出てくるのも想像できる。
ビジュアルを求めるのなら、バレエにも「椿姫」があるではないか。
そうだ。仰る通りだ。

だが説明させてほしい。
オペラではヴィオレッタ、バレエではマルグリット。ヴェルディの作品とノイマイヤーの作品。
もっと簡潔に言えば、「ラ・トラヴィアータ」と「椿姫」なのだ。
全く別の作品と言ってもいいくらいだと私は考えている。

だからここでは、ヴェルディの作品の方にだけ焦点を当てていくことにしたい。


今の私はオペラをビジュアルだけで見る、そんな馬鹿な真似はしない。
オペラは第一、声で表現するもので、最高峰のベルカントを生み出す芸術。
しっかり心得ているつもりだ。

しかし、オペラまでもビジュアルで見たいという非・常識的な考えがなければ
アンナ・モッフォに出会えなかったわけだから完全にその考えを否定することはできない。



つまり、検索したあの夜、モッフォの椿姫の映像を見つけてしまったのである。



見つけたのは
アンナ・モッフォ主演、夫のマリオ・ランフランキ監督によって1968年に制作されたカラーフィルムだった。

最初は昔の映像、やりすぎぐらいのモッフォドアップに混乱したが、徐々にその美しさに魅せられていった。
どんちゃん騒ぎをしながらも本当は孤独で苦しむ姿、アルフレードの愛に目覚め、想いやり、犠牲者となるヴィオレッタの優しさ、正義。
こんなものが彼女から溢れんばかりに輝いていて見えて、私はなぜだか涙が出てきた。
どこまでも伸びる美声。そして動きが素晴らしく上品で、指一本動かしただけでも、その美しさにため息がこぼれてしまう。
まさにヴィオレッタ・ヴァレリー嬢ではないか!
私はこのフィルムを一年以上、毎日欠かさず見続けている。


そしてこの日から、私には楽しみができ、心の拠り所ができた。

YouTubeの検索履歴はモッフォで埋め尽くされ、毎日狂ったように聴いた。
彼女の音楽には、歌には、魔法のような力があると思っている。
まず、体の不調が治ってしまう。たとえば生理痛や痒みなどが瞬く間に落ち着いてしまうのだ。
そして心がすぅっと軽くなり温かくなる。

しかし私のどん底は容赦なく落ちていき、経緯を説明すると長くなるので割愛するが、
最終的に死にたいと思うようになり、その方法を考える日々が続いた。
そんな時も毎日モッフォは欠かさず聴いていた。
聴いていると、
「生きていてくれてありがとう」
とそんな声がいつも聞こえる気がして、私の命を優しく包んでくれるような心地になった。
この瞬間だけは思いっきり泣けて、自分のありのままの感情で、
本当に音楽が、
この世界が
美しいと思えた。

自分の魂を解放し、この世界に生きる自分の命のありがたみを感じていた。

モッフォとは2年違いで生は重なっておらず、もう生で彼女の歌を聴くことはできないが、
CDやレコード、映像などで今でも彼女の音楽に触れられるだけで、ありがたいことだ。

まだまだモッフォについて語りたいことは山ほどあるが、最後に。



私が音楽を愛し続け、この世界に生きていられるのは
アンナ・モッフォに出会えたから。



ありがとう。

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