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写真展鑑賞記録(3) 「燐光する霊性」展編
先の2つのnoteの続き.
落合陽一さんの写真展「燐光する霊性」に行ってきました.
おさらい
ステートメント文を読んだとき,質量への憧憬,情念との反芻,燐光する霊性の流れがとてもエモく感じた.アーティストが概念を形にするとき,自ら文脈を組み立てていく様を目の当たりにしている感じ.そして,霊性という言葉が表しているようにアーティストに対するリスペクトを感じました.
勢いあまってツイートしてたので以下.
燐光、霊性、風、布、光、音、残響、こだま。それらはもともと接続されていて、人が言葉で分けたそれらの事象を再接続する人為が霊性。落合陽一というアーティストのデジタルネイチャーの文脈をかじっているとそう思うし、とヨウジヤマモトという霊性へのリスペクトも含んでいる。 #燐光する霊性
— まっちゃ (@tkrei_trader) October 13, 2019
質量への憧憬→情念との反芻→燐光する霊性 アートとして既存の文脈に影響されたのではなく、カメラというメディア装置を通した写真への解釈を探る旅とそこであぶり出される落合陽一という個人の心象風景を垣間見れるし、この先に言葉で分けられた世界を再接続する意図を読み取ってすごくエモい。
— まっちゃ (@tkrei_trader) October 13, 2019
ステートメント文で以下が好きなところ.
社会と時代の変化の中で,さまざまなモチーフが消えては生じて,生まれては死んでいく.その生成は部屋に反響する鈴の音のようにこだまし,生命的な起伏を繰り返しては1つの波を紡ぐように感じられる.風に吹かれる布の振る舞いも,空気を揺らす音の振動も,光の反射の作るわずかな揺れも全ては繋がっている.
科学的に風も光も音もどのエネルギーにもなりえるし,物質とエネルギーさえ相対性理論で一つに表されました.そういうものを踏まえても,あらゆるものが関係をもってつながる感覚は東洋思想といった言葉で若干の矮小化されてしまうかもしれないですが,よくわかります.
「燐光する霊性」という言葉を聞いたとき,私の中では火の玉や幽霊を思い浮かべました.不吉な意味でなく,人が持つ想像力が風や布や光に意味を持たせるという性質が霊性という言葉に表されているのかなと思いました.詫・寂と同じで,時間経過とともに変化した”寂”に対して美しさを見出す人の性質である”詫”は,人が最後に発する”燐光”に”霊性”を見出すことに似ているように感じました.物質に対して美しさを見出す性質がアートを生み出す性質と考えると,まさに布と風を使って表現するヨウジヤマモトと光と音で表現する落合陽一に接続を感じます.
«燐光する人»は「質量への憧憬」から「情念との反芻」を経て「燐光する霊性」に至ったあとに一番楽しめると思う。これだけ見たらなぜこの写真?みたいなのが好き。 #燐光する霊性 pic.twitter.com/Iwwjel0eNe
— まっちゃ (@tkrei_trader) October 15, 2019
思わず,Tシャツ買いました.(笑)
最後に東京タワーが燐光していました.