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ご当地ヒーローの明日はどっちだ~震災とコロナ禍を乗り越えて~
※本記事は、宣伝会議 第44期 編集・ライター養成講座の卒業制作として作成しています。
日本の特撮映像作品からヒントを得て、2000年代中盤から各地で誕生した「ご当地ヒーロー(ローカルヒーローとも)」。町おこしの手法として、各地の歴史や名産物などにちなんだスーツに身を包んだヒーローが数多く誕生した。
彼ら彼女らの主戦場はヒーローショーだが、2020年からのコロナ禍により市民が集まり密となってしまうショーができない状況に。2人のご当地ヒーローを訪ね、現状を聞いた。
ダルマからヒーローが生まれるまで
東京で夢を追う演劇青年。妻の妊娠をきっかけに夢をあきらめ故郷の福島県白河市に帰る。青年は紆余曲折の末ご当地ヒーロー「ダルライザー」となるが、故郷はある組織の計画により不穏な空気に包まれていた。ダルライザーはご当地ヒーローの枠を超え、本物のヒーローとして実際に彼らと戦うことになり……。
「映画だと妻の妊娠という設定でしたがちょっと脚色していて、『このまま演劇を続けていてもいいのかな』と思っていた矢先、父親に『会社の後を継げ』と言われて白河市に戻ってきました」
そう語るのは現実でも映画のなかでもダルライザーを演じる和知健明氏。(ダルライザープランニング代表)。映画というのは『ライズ ダルライザーTHE MOVIE』(2017年公開)。ご当地ヒーローが主役で、かつ本格的なヒーローアクションが話題となった極めてまれな作品である。
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和知氏によると、ダルライザーが誕生したのはいわゆる「平成の大合併」で2005年に4つの自治体が新体制の白河市となったことがきっかけ。白河商工会議所青年部に所属していた和知氏らが町のシンボルとなる新しいキャラクターを作ろうとしたことによる。
「白河市名物のダルマが人の顔をしているので、それをヒーローにしたらどうかなと思ったんです。すると青年部の先輩たちが『面白いじゃないか』と言ってくれて」
ダルマだけに合言葉は「転んでも起き上がれ」。和知氏は2008年からコスチュームに身を包み、ヒーローショーや握手会を始めた。
「ダルライザーは最初名前が付いてなかったんです。市民の皆さんが決めたほうが愛着をもってもらえるかなと思い、デビュー日に名前公募のチラシを配っていました。その時皆さんは単に『ヒーローさん』と呼んでいて、自分が元々好きだったヒーローになったつもりになって『ヒーローって気分いいな』なんて思っていました」
だが、ある子どもたちとの出会いが和知氏を変えた。
「ある日5歳ぐらいのお兄ちゃんが3歳ぐらいの弟と赤ちゃんを連れて、ベビーカーを押しながら近づいて来たんです。『ヒーローさん、握手してもらえませんか』と言われて……」
その子が差し出したのは、自分のではなく弟の手だった。
「さらに『この子もいいですか』と言ってベビーカーに乗っている赤ちゃんとも握手させて、最後に『僕もお願いします』と。みんなと握手して『よかったね。ありがとうございました』ってお辞儀をして帰って行ったんです」
和知氏には、その「お兄ちゃん」がヒーローに見えた。自分がめざすヒーロー像は、その子のように「純粋な優しさをもっている普通の人間」なんじゃないか―例えば生身の人間がスーツに身を包み悪と戦う「バットマン」のようなヒーロー―ダルライザーの本格的な誕生の瞬間である。
「コンセプトには『転んでも起き上がれ』に『負けてもいいけど、勝つまであきらめない』が加わりました」
東日本大震災と新たな出会い
そんななか2011年3月11日、東日本大震災が福島県を襲う。
「震災2日後ぐらいには原発避難地域の方々が続々と白河市に避難して来ていると聞きました。見知らぬ土地の避難所で子どもたちも不安な思いをしているんじゃないだろうかと考えて、ダルライザーとして応援しに行こうと言ったんですけど『今はそれどころじゃない』という返事が返ってきて……。だから素顔でおにぎりを握ったり配ったりといった活動をしていました」
震災1週間後、市役所から避難所に慰問に行ってほしいという依頼が来る。それまで言葉はしゃべらない「設定」だったダルライザーだが、避難者を励ますため和知氏が肉声を発するようになったのもこの頃である。
ダルライザーとしての活動を続ける和知氏に新たな出会いが訪れる。「ヒーローとしてショーでアクションをやるのに普通じゃつまらないから、憧れのバットマンがやっているのと同じものを習ってみたい」と和知氏が連絡したのは、スペイン武術のKEYSI Fighting Method(ケイシ・ファイティング・メソッド)の創始者フスト・ディエゲス氏。クリストファー・ノーラン監督の『バットマン ビギンズ』(2005年)やトム・クルーズ主演の『アウトロー』(2012年)など、ハリウッド映画のアクション・コーディネーターをした経験ももつ人物である。
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「思い切ってスペイン本部のホームページにメールを送りました。勢いで『I want to learn KEYSI』って、その一文だけです。するとフスト氏が『フクシマを知ってるよ。震災や原発事故のことでは私も心を痛めている』と長文の返事をくれて。それから2016年に来日してもらって、白河市の空手道場を借りてKEYSIを教わりました」
この時のトレーニングをきっかけにフスト氏に認められた和知氏は、弟で俳優の和知龍範氏とともに日本では数少ないKEYSIの正規インストラクターを現在も続けている。
「KEYSIには運命的なものも感じています。フスト氏にKEYSIでなぜ身を守るかと聞いたら『自分たちの未来を守るためだ』と言っていて、合言葉がnunca te rindas(『ヌンカ・テ・リンダス』、スペイン語で『決してあきらめない』こと)なんです。僕らも合言葉として『勝つまであきらめない』って言っていたので、とても共通するところがありました」
そして映画化へ
多くの白河市民を元々俳優だった和知氏自ら演技指導して出演させ、さらにはフスト氏も俳優として加わり、ダルライザーはついに映画化にこぎ着ける。だが何もかもが順風満帆とは行かなかった。
「2015年には企画が立っていたのですが、脚本が難航して予定より1年遅れのリリースになってしまいました。当時まだDVDが全盛期だったんですが、公開直後にいわゆるサブスクリプション動画配信が一気に出てきたんです。だからレンタルショップへのDVDの販売で製作費の多くを回収しようという見込みは外れてしまいました」
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しかしSNSでの口コミでの評判を目にとめたミニシアターのプロデューサーに声をかけられ、映画は東京でも公開されることになる。映画はレイトショーながら、異例の観客動員数を記録。
「ご当地ヒーロー映画でこんなに観客が入ると思ってなかったとプロデューサーに言われて、さらに『続編を早く作ったほうがいい』ともアドバイスを受けたんです。だから構想はしていたんですが、もしあのタイミングで作っていたらおそらくコロナ禍が始まった頃の公開だったと思うんです。観客を集めるのは難しかったでしょう」
映画作りの中で和知氏はあることに気づく。
「いちばん見てほしいのは僕がヒーローになる姿よりも、市民が一生懸命演技をやっていることなんです。ダルライザーは『転んでも起き上がれ』とか『夢をあきらめるな』とかいうことを伝えているんですけど、何かなりたいものがあっても必ず壁にぶち当たる。でも、そこであきらめちゃうと進まないじゃないですか」
演劇をあきらめて故郷に戻ってきた時から、和知氏にはずっと心残りがあった。しかし今は形を変えて夢を追いかけ続けられている自分がいる。
「それを伝えるのに、地元にずっと住んでいる市民に演技の指導をして、しかも映画まで出た彼らが『映画で観ました』と声をかけられるようになったので、それは一種の成功なんだろうなというのがあります。市民と彼らが住む町をプロデュースできたというか……白河市に遊びに来ることは、映画の世界に来ると言ったらいいかな。テーマパークを作るにはお金がかかるけど、ハードにお金をかけなくても町を楽しくすることができるなと思うんです」
2020年世界各地を襲ったコロナ禍により、人と人とが触れ合うヒーローショーや握手会はほとんどがキャンセルになってしまった。だがダルライザーの合言葉は「転んでも起き上がれ」。
「出演がなくなったものの、『和知さん、映画を作ったんだからCMとか撮影できますよね』という相談が自治体や企業などからよく来るんです」
和知氏は、児童向けの新型コロナウイルス感染対策やさらにはニューノーマルの社会を見据えて首都圏から近い白河市への移住やワーケーションを薦めるCMを、自らダルライザーを演じつつ作成している。
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「出演だけじゃなくて企画も編集も撮影も自分でやります。映画の経験がなかったら、たぶん注文も来なかったでしょう。映画で反省点はいろいろありますが、今の糧になっていればいいかなと思っています」
ダルライザーに憧れて
そんなダルライザーに憧れたご当地ヒーローが栃木県那須塩原市にいる。5月5日のこどもの日、雲ひとつない快晴で気温はすでに夏日というなか、白と青のスーツに身を包んで現れたのは「ナスライガー」である。
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この日は市民会館前の運動場で「宝探し」のイベント。はしゃいで駆け回る子どもたちと一緒に、隠しておいたビー玉などの宝のありかを探すナスライガーの姿があった。
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ナスライガーは那須の名所「殺生石」の伝承である「九尾の狐」の力を借り、「キーグ博士」なる人物が創り出したというご当地ヒーローである。その誕生のきっかけも、ダルライザーの分岐点となったのと同じ東日本大震災だ。
震災当時、原発事故による放射能の影響で那須塩原市を離れてしまう市民も多かった。残された市民、特に子どもたちに何か希望や勇気は与えられないだろうか。元々は地元古民家再生協会の主催する子どもたち向けのイベントのために集まっていた経営者の有志により、2013年に地域活性化団体「那須らいず」が立ち上がった。
那須らいずが企画したイベントにゲストとして呼ばれたのがダルライザー。その時のことを那須らいずの主要メンバーでもあるキーグ博士が語る。
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「ダルライザーを見て『これだ!』と思い、ご当地ヒーローを創造することを考えました。その時ダルライザーが語ってくれた『何かを変えようとする時には、何か特別なことをしなければ』という言葉にも共感しましたね」
そこから始まった手作りのヒーロー作り。秋葉原のコスプレショップで衣装を探すところから始まり、スーツの造形業者を紹介され、一歩一歩ゆっくりと進みながらナスライガーは生み出されていった。
コロナ禍でやはりイベントは減ったが、地道に献血の広報活動に力を入れているナスライガー。自主的に始めたが、やがて日本赤十字社からも依頼が来るようになった。その姿に全国のご当地ヒーローも共感・共鳴し、彼らも那須塩原市での活動に参加している。
宝探しのイベントの休憩中、ナスライガーに改めて話を聞く。
「手応えを感じるのはやはり子どもたちの声援を聴いた時ですね。活動を始めて何か失敗と感じたことはありません。強いて言えば、もう少し若い時に始めればよかったことかな」
少しの間マスクを外してみせたナスライガーは笑顔でそう語った。
子どもたちと町の未来のために
ダルライザーこと和知氏の話に戻る。
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「ダルライザーというのはキャラクターのことではなくて『ダルマのように起き上がる人』のことだと思っています。そういう人たちを増やしていきたいというのが常々自分のなかにあって、そうすれば町が活気づくだろうと」
和知氏が現在力を入れているのは講演活動。「地元でヒーローになって映画を作る夢まで叶えた」ことなどを、中学生らに約10年前から伝えている。
「そのなかには『ダルライザーの話を中学生の時に聞いて、地元に貢献したいと思って戻ってきたんです』と言ってくれた若者もいる。そのうちの一人はいま僕の事務所に所属して、一緒に働いています。そういう若者たちが夢を叶えるかどうかはもちろん本人次第ですが、僕らがやってきた『20〜30年後の未来を活気づける』というのはコンセプトとして間違いなかったかな、と思っています」
ナスライガーもご当地ヒーローとして全国区で有名になることより、地域のために何ができるかを模索している。那須らいずのキーグ博士が語る。
「ヒーローというキャラクターとしてだけでなく、地域のために頑張っている自分たちの活動自体に興味をもってほしい。またナスライガーをイベントで見た子どもたちが大人になった時、故郷を思い出して那須塩原市に戻ってきてほしいというのが私たちの願いです。那須らいずのメンバーには地元の経営者も多いので、雇用もしっかり確保したいところですね」
東日本大震災を機に活躍を始め、コロナ禍も生き残り、子どもたちに町の未来を託すご当地ヒーローたち。今後の自治体のあるべき姿といわれる「持続可能な町づくり」の旗を振るのは、彼らなのかも知れない。
ダルライザー公式サイト
ナスライガー公式サイト