達✖️達 素敵な平野さん

平野啓一郎さんがryuchellさんと対談したNHK「達✖️達」という番組を観た。
ryuchellさんは、賢そうでかわいい人だなと思っていたけど、世代的にも接点がなくて、でも「平野さんがryuchellさんと対談してみたいな、と思うのはなんかすごくわかる気がする!」と思ったので録画して観た。夫も後から観た。
私は出産前まで、結構頻繁に、平野さんの講演会やら公開対談に出かけていた。「マチネの終わりに」で平野さんのファンに女性(それも、なんか知的できれいな女性が多い)が増えてからも、「くそう・・・私、みんなより前からファンだったからね!負けないかんね!」という気持ちを押し隠しつつ、末席からその美声を聴いていた。平野さんは声がいい。声がいいだけじゃなく、話し方が優しい。

この人は言いたいことがすごくたくさんある人だけど、対談だと、お相手が伸びやかに話せるように細心の注意を払う人なのだなと、よく思った。当たり前のことだと思うかもしれないけれど、お相手もそうだとは必ずしも限らないわけで・・・平野さんが、内心、疲弊していないか、それが気になって集中できない時もあった。平野さんは、聴衆にも、お相手にも、気を遣って、気を遣われないようにも気を遣っていた。萎縮しているわけではもちろん全くなく、たとえば聴衆の中に妙な質問者などが現れても、堂々と応じていたりする。私は目がハートになっており、なっているがサイン1つ貰いに行けず、いつもそそくさと帰った。

一度だけ、サインを貰えそう、貰おう、と思ったことがある。横浜文学館での文学についての(確か複数者での)講演会の時のことで、この時はその趣旨から、聴衆は平野さんのファンばかりではなかった、つまりサインを貰う列がいつもほど長くはなかった。
その時、迷いながら列に並び、「いつも応援しています」とかそういう、普通のことを言おうと思っていたと思う。でも、平野さんが「次の方」といったそぶりでこちらを見遣ったときも、相対して「こんにちはー」と声をかけてくださった時も、サインを書いてくださり、そばに立つ人が合い紙を入れて最後に「ありがとうございました」のようなことを言ってくださったときも、私はただ目を見ていただけで、何も言えなかった。もう30歳くらいだったと思うのだが。

前置き、長すぎ。それで番組を見たら、いつも聞き役のようだった平野さんが、対談場所と聞き手・語り手をスイッチする前も後も、ryuchellのインタビューに楽しげに答えるような番組構成になっていた。ryuchellはデリケートな話に触れる時も、その容貌や語り口、声もあって暗い感じにならず、その明るさに平野さんは救われていたのではないかなと思う。そして彼の若さそのものへの眩しさや、自分の若い頃とは違った生き方の指標に、(もしかしたらほんのちょっぴり嫉妬もしたかもしれないけれど、)心慰められもしたのではないかなと思った。いや全て妄想ですけど。そうだといいなと思ったし、こんなに楽しそうな平野さんを久しぶりに見た。(いや、産後のバタバタで見逃していただけかもしれないのですが・・・)昨秋に懇意にされていたであろう瀬戸内寂聴さんが亡くなられて、気落ちされているのではと思ったけれど、そんな平野さんの表情を見られたことが、とても嬉しかった。ryuchellさんありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?