【車いすユーザーが情報発信したい】わたしというかたち

”文章を記す”という行為は、昔から繰り返しては自分の心の中に片づけてきた。
自分の心と向き合い、心の叫び(と書くと壮大に感じてしまうが)を文字に起こす。
言葉や思考によって私という形が作り上げられていると感じる。

そうやって自分の中で昇華してきた私がなぜnoteというツールで、大きく広がる世界へ言葉を発信しようと考えたのか、紐解いていきたい。

車いすユーザー(障がい者)である自分

私の一番のステータスといえばこれだろう。
決してネガティブなものではなく、私は自分に誇りを持ちながら生きている。
自己紹介がてら少し生きてきた道のりを記していこう。

先天性希少疾患(尾部退行症候群=caudal regression syndrome)としてこの世に生まれて、20数年が過ぎた。

尾部退行症候群、または仙骨無形成は、まれな先天性欠損症です。

https://en.wikipedia.org/wiki/Caudal_regression_syndrome

まだ20代。と思いつつ、もう20代半ば。という焦りとは違う謎の哀愁がある。
体調の変化を一番に感じる。
年齢のせいかしら、なんて年上の方に怒られそうなことを考えながら。
焼肉をたくさん食べられなくなってきたとか、生クリームがきつくなってきてチーズケーキをついつい選ぶようになってしまっただとか・・・。

話が大きく逸れてしまった。
私の胃もたれの話はまったく関係がない。

いわゆる、”世間的な普通”の環境で育ってきたのだとずいぶんと大人になって気づいた。
例えば、通常学級で授業やテストを受けて順位を争うとか。
例えば、友人がほぼ健常者である環境の中にいたとか。
例えば、両親が甘やかさずに厳しく育てたとか。

そういった環境下で育った私は、良くも悪くも”世間的な普通”しか知らなかった。
社会へ出て、障がい者の当事者である現実や、同じように障がいを抱えながら生きている方が沢山いることを知った。
(文章に起こしてみるとどれだけ世間知らずだったかが窺える)

大人になり、自分でできることが増えたと同時に、当事者である自分にも”世間的な普通”が通用しなくなった時がきた。
理解してもらえないこと、好奇的な視線、自分が行けない場所、物理的にできないこと・・・等。

・・・挙げていくときりがない。

しかし、それらと同時に、車いすユーザーである自分しか見ることができない視点や景色があるのではないかと考えるようになった。

私が知らなかったように、周囲の人も知らないことの方が多いのではないだろうか。
知らないと、理解しようがない(そうする術さえない)のだから。

工夫をしながら賢く生きていくこと。
人と関わりながら支えを受けていくこと。
外へ積極的に出かけてみること。
どんな風にしたら自分が楽に生きられるか想像して行動すること。
楽しく心穏やかに生きられる方法を見つけること。

私が大人になってから社会で身につけてきたことである。
(未だに未熟なことの方が多い。)

私が発信者へ

同世代の方への有益な情報がまだ少ないと感じている。
私が10代~20代特有の悩み(お察しくださいませ)に直面した際に、調べても納得できるような答えは少なかったように思えた。

先述したように、私と同世代の障がいのある当事者たちが直面する壁というのは数多く存在しており、それらに対しての解決策や有益な情報がまだまだ足りない。

じゃあどうするか?
母数を増やすしかない。
だったら私が身をもって経験してきたことを発信したい!と自信が無いながら(?)に決意。

障がいの有無にかかわらず、互いに知識を深めていくことは重要なことだと考えており、それが理解や差別解消への一歩に繋がるのではないだろうか。

賛否があるだろうな、と思いつつ、互いが障がいを理解すること・知ること・共存ができても、障がいのない方のように生きることはきっと難しい。
(私が一般就労をしながら感じるため。)

だからこそ、少しでも生きやすく。楽しく生きるために。知ってもらうために。
私が発信者として、少しの情報源として、世界へ文章を記したい。

最後に

だらだらとした文章になってしまったが、実は何を主に発信していこうかという方向性ははっきりと決めていない(おい)。

ただ、困ったときの話、恋愛の話、おしゃれの工夫、家事の工夫、病院選び・・・など、自分が当時知りたかったような情報を発信していければと考えている。

見切り発車のようなスタートで、ゆっくりと小さな発信ではあるが、誰かの目に留まってくれたら幸いである。

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